第28話 戦局

ーーー 教皇庁


半島の中部ラティウム地方。海を望むこの地はかつては巨大国家の中心部であった。

しかしいまやこの地方を占めるのはのどかな田園風景ばかりで古代王国の首府を偲ばすものは草陰の遺跡のみである。


一方でこのラティウムの中でも未だ輝きを失っていない町が一つだけある。

それは教皇庁の置かれるヴァッカティアだ。ここはかつての古代王朝時代の首府が一角でパンテオンが置かれていた。

かつての教皇がそれらの神殿を作り替え、国教と認められるのはおおよそ600年以上前の事だ。

いまや大聖堂は天を突き、石畳の絢爛な装飾は清貧の本質を忘れてしまっている。


そのヴァッカティアの地の中心に聖座と呼ばれる建物がある。

これがいわゆる教皇庁の行政府であり、そして教皇が鎮座する居城でもある。


それは一国の君主の城に匹敵するほどの大きさで、古代調に整えられた柱が空をも支えんばかりの意気を張っている。

居並ぶ教皇騎士は胸に十字を刻み精強そのものだ。


それらの関門を抜けた先に、洗礼の間がある。

ここはいわゆる謁見の間だ。天から垂れるヴェールが差す光によって照らされている。


「猊下、お久しゅうございます」

男は間の中心に進み、奥に鎮座する教皇へ挨拶を申し上げた。


「よく戻った。枢機卿。戦況はどうかの」

と教皇。


「はっ、現在ヴァルティアの都市同盟の諸侯と帝国軍が交戦しております。

敵は未だ先鋒のようで、こちらの防御縦深に悪戦苦闘しておるようです」

枢機卿はそう言って膝をつき、教皇に戦況の報告書を奏上申し上げた。


「ふむ・・・・敵の総勢は?」


「およそ3万」


「多いな。しかしその割には押されていないじゃないか」


「はい。敵はおよそ統率のとれていない烏合の衆です。前回の越境攻撃の方が遥かに手ごわかった。指揮官が変わったかあるいは・・・」


「敵も一枚岩ではない、か」


「左様かと」


教皇は首をもたげて面倒くさそうにそれを聞いた。

「戦争がこうも続けば儲けも増えるが、如何せん人が死にすぎた。そろそろやめにしたいのぉ」


「猊下がお始めになった戦争です。今すぐ終わりにするには、都合が良すぎます」


「なはは、そうだったかの!?はははっ!」

教皇はそういって大声で笑った。


「そうだなぁ・・・何か、面白い策でもないかの」


「策ですか。・・・・では、一つご提案があります」

枢機卿はそう言うと教皇にあるプランを提示した。

これに彼は大層面白がり諸手を叩いて賛成した。


「流石知恵が回るの。よし。お前の随意にせよ」


枢機卿はそれに頭を下げただ御意に従った。


ーーー半島 北部伯爵軍指揮所


「伯爵様、ご機嫌はいかがですか」

補佐官の徴税請負人が天幕の外から声を掛けた。


それに伯爵はゆったりとした声で「極楽であるぞ」と返した。

今伯爵軍は進軍ルートを大きくそれた海岸の街に居る。

ここはヴァルティアの都市同盟の西端で、海浜の都市として有名だ。


「しかし、ここは進軍ルートからは多く外れております」

徴税請負人がニマニマした顔で伯爵に聞く。

それもそのはずだ。帝国軍の最終目標は教皇庁のあるヴァッカティアだ。この都市は寄り道も甚だしい。


「そんな事は百も承知だ。お前だってそんな事ぐらいわかるだろう?わざとらしい」

伯爵は徴税請負人に少し面倒くさそうに告げる。


「はは!顔を立てるのにも愛嬌が要りますな」

「・・・・この都市は、守るに易く攻めるに難い。尚克、商業港で兵士を賄うだけの十分な物資もある」


「そうだアルフレート。ではわざわざ進軍ルートを逸れた理由は?」


「・・・・この戦の目的が教皇庁の攻略だけではないからです」


それに伯爵は海を眺めながら「そのとおりよの」と呟いた。

「この戦は、帝国貴族の力を削るための戦よ」


「皇帝は、国内の皇帝派でも教皇派でもない人間を一気に排除して自分の取り巻きと入れ替えようとしてるのさ」


「では、なぜ義弟の伯爵様までこのような戦区に投入されているのでしょう?」

補佐は少し意地悪な質問をした。

伯爵は顎髭を弄って暫く黙った


「・・・皇帝陛下が、外戚すら信用ならんと判断されたのであろう」

「まぁ実際この戦争の行く末などどうでもいい」

「わしはどれだけ楽して収奪品を稼げるかにしか興味が無い」



ーーー

俺とフリッツはボッツ伯の指揮下のまま暫く掃討戦に従事した。

ヴァルティアの都市同盟との戦闘は一進一退という感じで被害ばかり増して得る物は少なかった。


「こうしてどれぐらいになる?」

と俺は行軍中にフリッツに尋ねた。


「そうだな。お前があのべっぴんと現を抜かしている間、おれはメンアットアームズに残って、まぁ再訓練と下らねぇ戦闘ばかりしてたさ。そうだな、半年と数か月か?」


そういった彼の顔はやつれているような気がした。

前までのフリッツはどこか楽観的で奔放なところがあったが、今ではなんだかくたびれてしまっているように見える。


「年取ったように見えるか?そりゃそうさ。毎日がこんな風だ。年取らねぇ方が無理さ」

とフリッツ。

俺はそれに上手い返事ができなかった。


「なに、俺は死なねぇさ。でもよ、何のために戦ってんのかわかんねぇのがつらいところさ。

俺らには民兵のような郷土愛も騎士たちのような立派な忠義もない。背景が何もない。殺し殺されるのに銀貨10枚は安すぎる」


「・・・・」


「だからこそ、お前が羨ましい。従騎士としての背景を手に入れたお前がな」

俺はごくりと唾を呑んだ。それはフリッツの言葉のトーンと剣幕がただならぬものを感じさせたからだ。


彼は昔の様に冗談めかして言う事が少なくなった。



間もなく我々は友軍の部隊に合流し、物資集積所へ入った。

ここは付近の村や敵部隊から奪った食料・弾薬を集積しておく場所の様で、何百という大天幕と馬が居並んでいた。

付近には山があって、集結地点はその盆地の様である。


中央にそびえる大天幕は指揮所となっており、貴族たちが詰めていた。

俺は従騎士としてその警備に駆り出された。


この警備というのはかなり暇な任務で、

定期時間に司令部天幕の周りをぐるりとするだけだ。

それ以外は待機所で適当に時間を潰していればいい。


何せ、天幕の中には貴族の個人的なボディガードが何人も控えているのだ。我々のようなぺーぺーができる事など限られている。


「エレオノーラ。貴族様方はなんて言ってんだ?」

俺は天幕内に小間使いへ行っていたエレオノーラを捕まえて尋ねた。

彼女はそれに怪訝そうな顔をして少しあたりを見回すと俺を脇へ引っ張って行って憚りながら告げた。


「戦況は相も変わらず悪いわ。でもそれよりももっとまずいことがある」


「まずい事?」

俺が聞き返すとエレオノーラはごくりと唾を呑んでさらに顔を近づけた。

そして眉を潜めて

「・・・・ボッツ伯は皇帝派から教皇派へ寝返ろうとしている」

と耳打ちした。


「なに?それじゃあ、この軍はそのままそっくり敵方になっちまうのか?」


「・・・今知ったのは私たちぐらいよ。騎士クラスの士官は皆知ってたのよ。どうりでここに来てから行動が消極的なわけだわ」


「しかしボッツ伯は自分の所領があるはずだろう?それを捨ててまで寝返る価値があるのか?」


「きっと、かなりの報酬を積まれたのでしょうね。妻子は磔にされても心が痛まないほどに」

エレオノーラはそれを軽蔑するかのように吐き捨てた。

彼女にとって何より重要な家族の縁という物を軽視するボッツ伯は理解できないのだろう。


「しかし、そうなると俺たちはどうやって身を振ればいい?」


「・・・私たちはあくまで増援に出されている伯爵麾下の部隊。ボッツ伯の指揮に従う必要はないわ」

俺はエレオノーラと顔を突き合わせて頷いた。


まずは俺とエレオノーラは大天幕から離れ、同じく伯爵軍所属のメンアットアームズの下へ向かった。

隊長は若い騎士だが実戦経験に欠き、事実上フリッツが指揮を執っている。


俺とエレオノーラはまずフリッツの詰所に出向き彼に状況を説明した。

「そうか・・・ボッツ伯がまさかそんな計画を練っていたとは」

と彼は言ったがそこまで驚いた様子ではなかった。


「とりあえず、此処を出よう。伯爵の部隊と合流してこのことを皇帝に知らせなければ」

と俺。

それにフリッツは頷き

「よし。では今夜の11時頃に兵を率いて出発しよう。できるだけ皇帝派の人物を集めてきてくれ。一緒に脱出する」

と快諾した。


一方指揮官の騎士を説得しに行ったエレオノーラは予想外にも難航していた。

メンアットアームズの指揮官は事実上ハンコを押すだけの人物であったが、それでもその指揮権は彼にある。


エレオノーラは彼のところまで行くと一礼してから天幕の奥へ行き、彼に状況を申し上げた。


「ですから、ボッツ伯はこの軍団から抜け出して寝返ろうとしているのです」


それに騎士は眉を潜めて暫く額に手を当てた。

「・・・そのような話は皆知っている。しかし、この軍団はもはや教皇派だらけなのだ」

「下手に動いてはまずい」

と彼は呑気な事を言う。


エレオノーラはそれに呆れた。そもそも指揮系統が違う彼の部隊は居るだけで怪しまれるだろうに。

若さ故に状況が呑み込めていないのだろうか。


「・・・ですが、この様な状況では伯爵閣下の指示を仰ぐべきでしょう。

我々はあくまで増援として出されているのであってボッツ伯の部下ではないのです」


「そんなことは百も承知だ!しかし・・・」

「しかし、私も内通を持ちかけられている・・!もし向こうにつけば土地を貰える・・!」

「血縁者も居ない、同族からも追い出された私には千載一遇のチャンスだろう?」


と彼は少し興奮気味に言った。エレオノーラは唾をごくりと飲んでたじろいだ。

そしてそのまま彼女は黙って剣を抜くと彼にゆっくり近づいた。


騎士はあわてて立ち上がり、「なんの真似だ!?おい、落ち着け!」と彼も剣の柄に手を掛けた。

それに彼女は凄まじい剣幕で「よもやそのような不埒な考えで家名を捨てようとは!!」と叫んでにじり寄った。


騎士はそれに慄いて足を絡めて尻もちをついてしまった。

エレオノーラは倒れた彼の脇に走り寄って剣先をつきつけながら言う。


「我々と共に脱出するか、此処で死ぬか!?どちらかに一つです」


それに騎士は腰が抜けてしまって「わかった、わかった!剣を収めてくれ!」と懇願した。

エレオノーラはそれを聞いて自分が少し感情的に動いてしまった事に気が付いた。


騎士はすっかり青くなってしまって震えあがっている。

エレオノーラは横暴な振る舞いに自己嫌悪したが、それを鑑みているほどの時間が今は無いので

今度は剣の柄で机を叩き彼に判断を迫った。


「わかった!脱出の命令を出す!」

騎士はそう言うと急いで命令をしたためてエレオノーラに差し出した。


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