第10話  含意

ーーー


聖ヴァレッタ騎士団を撃破して、河の防衛ラインを突破した伯爵軍はそのままプラディオーサ市を包囲した。

プラディオーサ市の評議会は、数度にわたる伯爵からの降伏勧告を突っぱねた。


市街は高い城壁に覆われていて、上には据え付け式の投石機やバリスタが設置されて

近づこうとする者に対して目を光らせていた。


伯爵はそんな城塞にすぐには攻めかかろうとはしなかった。

城内には、ヴァレッタ騎士団の残存兵も居たし、市街を守るべく傭兵も大量に迎えられていた。

このまま力攻めしては、大きな被害が出る。


だから伯爵はじっくりと街を囲って、ひたすらに持久戦を展開した。

伯爵軍は、城塞の郊外にある田畑を襲って十分な量の兵糧と消耗品を揃えていた。


伯爵は、市街を見下ろせる丘の上に陣取り

ぶどう酒を片手に包囲戦を楽しんでいた。


「よくもまぁ、これだけ蓄えたものよの。プラディサート市も。交易で儲かっていたのだろうな」

と伯爵。

彼の今飲んでいる上物のワインは、都市同盟軍が持って行けずに捨て置いたものだった。


「しかし、この様に時間のかかる攻撃方法では・・・教皇派の諸侯が立ち上がりかねません」

とエルデリック卿は伯爵に強硬策を訴える。


だが伯爵は相変わらずぶどう酒を口に含みながら、彼の意見を退けた。

「相変わらず、戦については何も分かっとらんの。子爵。お前は敵の行動を見て何か思わんか?」


「・・・散発的な夜間斬りこみと、騎兵突撃でしょうか。こちらの兵を疲弊させる意図でしょうが・・・・」

とエルデリック卿が言うと、

伯爵はがはは、と笑い

「たわけ、あの夜間斬りこみはな、つまるところ口減らしだよ」

と言い切った。


「口減らし?」


「そうさ。あんなに狭い市街に、市民も騎士団員も傭兵まで居る。そうなればどうなる?

飯の食う量は半端じゃない。ただでさえ少ない備蓄を切り崩すだけの人数が必要か?」


エルデリック卿はその伯爵の物言いにはは、と感銘を受けて頷くだけだった。

伯爵は、この子爵のあほさ加減が大変気に入っていたので彼の様子を見てまた笑った。


「それに、奴らこんな上物を置いていくほどに余裕もないみたいだからな」

と伯爵はワイングラスを傾けて言う。


そしてその香りを再び嗅いで、残りのぶどう酒を一気に飲み切った。


ーーー


伯爵ら司令官たちがのんびりと包囲を行っている間。

その指揮下の兵士たちも少なからず余暇を楽しんでいた。


前線での警戒任務は当然必要であったが

警戒任務が無いときは天幕のはった陣地で思い思いに過ごす事が出来た。



「あー、くそっ!こないだの戦ではまともに戦果を挙げられなかったぜ畜生」

とフリッツは言う。


「ハヤトはいいよな!教官と一緒に騎士を討ち取ったんだろ?共同とはいえ、大戦果じゃねぇか」


だが、その物言いに俺は胸がえぐられるようだった。

ここの包囲網に着くまで、俺はあの日死んだ女騎士の顔を何度も、何度も思い出した。


この時も表情は何とか誤魔化したが、フリッツの問いかけに返事はできなかった。

俺はそのまま少し気分が悪いと言って、陣地を後にした。


同僚たちは心配したが、俺は大丈夫と断って笑顔を取り繕った。

他人から見れば、却って心配になるだろうに。

ーーー


「あぁぁぁ!!痛い!!」

天幕の中に男の叫び声が響く。

男は、複数人に押さえつけられながら、刀傷の治療を受けていた。

伯爵軍は河畔での戦いに勝利こそしたものの、

負傷者や戦死者は多数だった。

幸い、包囲陣には雇った聖職医が常駐していたので

ここまで何とかたどり着いた傷病者は治療を受けることができた。


しかし、この時代の外科技術などたかが知れている。

治療を受けたところで、劇的に生存率が上がるわけではなかった。


「騒ぐな、暴れると余計に傷がつくぞ」

と軍医は負傷者の傷口を抑えながら言う。

そしてそのまま、焼き鏝をもってその傷口を焼いて止血した。


再び男の叫び声が天幕の中に響く。

しかし、彼の声は他の患者のうめき声や医者の怒号でかき消されてしまった。


「相変わらず、野戦の後は大変だな」

と教官がその様子を天幕の隅に腰かけながら言う。

彼女は昔に受けた傷が原因で体の一部が痛むことがある。運動した後にはこうして医者に見せに来るのが通例になっている。


医者は彼女の上衣を預かって、その締まった肩に触れながら

「ええ、全くですよ。しかし、まだ野戦はマシです」

と言った。


「何?」


「本当にひどいのは攻城戦です」

と医者。


「確かに、死傷者が増えるし油桶などを投げ込まれると厄介だな。治療が困難だろう」


「そうですね。単なる火傷ならまだしも、熱した油を掛けられた兵士の治療は困難を極める」

医者はそう言って、手ぬぐいを水に浸した。


教官は、治療を受けながら彼の様子をぼんやりとみていた。

医者はかなりの老齢で、濡れ布巾を絞るのも辛そうだ。


教官はふと、昔に居た助手の事を思い出した。

前に診てもらった時には、若い男が居たはずだ。


「助手はどうした」

と教官は何でもないように聞いた。


それに対して、医者は一瞬手を止めたかと思えば

直ぐに作業を再開して軽く「彼なら死んだよ。流れ矢に当たって」と言った。


教官は少し頷いて「そうか」と返した。


ーーー


結局教官の体に異常はなかった。

彼女は医者に礼を言って、天幕(テント)出た。


そして彼女は陣地で余暇を楽しむ兵士たちを少し厳しめに見回った後、

指揮官用の休息所へと戻った。


休息所はやはり粗末な天幕で、中にはブランケットが散乱していた。

騎士でもない限り個人用の休息所などない。たとえベテランの兵士だったと言えども、それは同じだ。


幕をくぐった先には、デニスとクリストフが居た。

クリストフはこの間の戦で負傷したらしく、少し横になっていた。

デニスは相変わらず、本に食いついている。


「教官、どうもです。お戻りになられたんですか」

とクリストフが挨拶をする。


彼はそのまま立ち上がろうとしたので、教官は

「無理に動かなくていい」

と手で宥めた。


そのまま彼女は自分の荷物を取り出し、奥の空きスペースに腰かけた。

そして袋から装甲板を取り出して、へこみを小さな金槌で叩いて治し始めた。


テントの中に、コンコンと小気味の良い金属音が響く。


そんな様子を傍で見ながら、デニスはパタンと本を閉じると

「読み物はお好きですか?」

と唐突に教官へ質問した。


教官は最初自分の事だと思わず、きょとんとしてして手を止め

「私かね?」

と少しとぼけた声で返した。


「えぇ、そうです」


「・・・あまり好きじゃないな。小さいころからそれほどお利巧でもなかった」

と教官は言うとまた視線を手元に戻し

小槌で兜を治し始めた。


クリストフとデニスは見合い、顎でやって合図する。

「そう、おっしゃらずにどうか一冊お読みになりませんか?」

とデニス。


彼はそう言うと、手に入れたばかりの本を彼女の前に差し出した。


教官は前髪を整えながらそれをゆっくりと手に取ると

奇怪な目で眺め、「思ったより軽いな」とおどけてみせた。


デニスは彼女の女性らしい表情に少し驚いた。

教官はいつも尼さんのように短髪で、顔には大きな傷跡が付いているせいでどうしても武人のイメージが強いが

こうして普通に生活しているところを見ると、落ち着いた大人の女性としての魅力を備えている。


クリストフはデニスと共に、その姿をみてやっと彼女の事を少し知れた気がした。


「これは、難しいな。宗教用語が特に分からん」

と教官は眉を潜める。


それにクリストフが

「教官殿は字が読めるんですね。てっきり、全く読めないもんだと」

と体を起こしてやや失礼な事を言った。


デニスが肘で彼の脇腹を小突く。


教官はその様子をみてケタケタと笑い

「昔にな、ある人に習った。優しいやつでな」

と笑顔で語りだした。


クリストフはそんな雰囲気につい楽しくなって

「惚気ですか?」

とまたぞろ余計な事を言った。


それに教官はすこしはにかみながら

「あぁ、そうさ。私が惚気ちゃまずいか?」

といたずらをした子供の様な顔で返答した。


なんだか、心地が良い。

なぜだろうか。


と彼女は心の中で思った。

しかし、彼らとの会話の中にも自分自身の中にもその理由は判らなかった。


今はただ、この時間が愛おしい。

ーーー


俺は吐き気を落ち着かせるため、陣地の裏手ののっぱらに

寝そべった。



どうしてもあの少女の顔が頭を離れない。


端整な顔つきがぐしゃりと歪み、次の瞬間血しぶきと共に宙を舞う。


そんな光景が、毎晩毎晩俺の頭をよぎっては消えていった。


こんな事では精神が摩耗してしまう。

俺はそう思って、このどてっぱらに横になった。


正直”人を殺す”という重みを俺はしっかり理解していなかったのだろう。


死から遠ざかった現代人の感性は、さながら

つぎはぎだらけの壺がごとく繊細で壊れ物だ。


そんな感傷に浸っている時、

「おい、そこで寝そべっている兵士!まさか逃げ出そうとしているのではあるまいな」

と甲高い声が俺の鼓膜を貫いた。


うじうじした気分を吹き飛ばすようなこの声には聞き覚えがある。

エレオノーラだ。

「なんだ、あんたなの」

と彼女は失望したような口調で告げた。


俺はバツが悪くなってその声に顔を背けた。

あの日の夜。俺が彼女にぶつけた罵声は、全くもって理不尽だった。

俺は彼女に悪いことをしたという自覚があった。


しかし、それでも彼女のように人の死を割り切って考えることはできない。


だから俺は彼女の呼びかけに答えなかった。


それに対してエレオノーラは暫く俺の方を見て、

睨みつける様な表情をすると呆れたように去って行った。


もはや、俺と彼女の間には修復しがたいほどの溝が生まれつつあった。

彼女の去ってゆく足音が聞こえる。


俺はその草を踏む音を聞きながら、静かに目を瞑っていた。



しかし、その足音は途中で止まりそれどころかこちらへ向かって戻って来た。

そして彼女は俺の隣へドカッと座るとまたぞろぶっきらぼうにこちらを見た。


「あんた、あの晩殺した敵の事でまだうじうじしてんの?」

とエレオノーラ。


俺はそれに対して、隠す気もなかったので

「あぁそうさ」

と乱暴な口調でやり返した。


これにエレオノーラが答える。


「私はね、あんたみたいなのが大嫌いなのよ」


「・・・・・」


「別に転生者だか何だか知らないけれど、何時までも自分の事をお客様だとか、第三者だとか。

離れたとことにいるように錯覚して、あれこれ他人に言うくせにいざ自分が矢面に立たされれば言い訳ばかり並べたてて向き合おうとしない」

「違う?」


「・・・・俺は、別にお前らの殺しに対する姿勢に文句なんかない。ただ、俺自身がそれを受け止められなかっただけだ」


「その言い方も嫌だわ。なんか、まるで自分が反省してます風で結局は、他責に聞こえるよ」


「なんだと?」


「あんたみたいな奴がうろうろしているのが気に食わないのよ」


エレオノーラはそうやって吐き捨てると俺の顔をぎろりと睨んだ。


だが俺も、それには引かず睨み返した。

もう、俺は迷う事はない。ここへ来た時に決めたから。


俺はそのまま、自分の心にこびり付いた鬱屈した気持ちを彼女へ包み隠さず告げた。


「俺は、自分自身の命のために相手の命を絶った」


「当たり前でしょ。戦場なんだから」


「そうだ。当たり前だ。だから嫌なんだ」


エレオノーラは目を細め、やや軽蔑するような顔で聞いている。


「そもそも、この時代の倫理を俺の持っている価値観で断ずることさえおかしいのかもしれない。

それに俺の考えはあまりに、楽観にすぎる」


「・・」


「きっと、お前に見えている世界も、教官の見えている世界も、全部違う。

ちょっとずつ変わっていて・・・・それで・・それで・・」

俺はそこまで言って、自分の考えが全くまとまっていない事に気が付いた。

だが、もう止まれもしないのでそのまま拙い言葉を思うように吐き出した。


「でも俺は、人の死がしょうがなかったなんてことはないと思うんだ」


「はぁ?」


「自分を守るためだとか。こんな残酷な世界だからとか。そういう理由は言い訳にしかならない。

だから俺は、もう逃げない。戦場で殺した誰かも、俺のせいで死んだ誰かも、全部苦しむ」

「この世の中に、俺は真っ向から挑むよ」


エレオノーラはそれを聞いて少し目を丸くして、首をもたげた。


彼女は暫くその青臭い考えをどう罵倒してやろうかと考えたが、あんまりにもまっすぐな彼の瞳を見てそんな気持ちも薄らいでしまった。

思えば、この男はとんでもない真面目な奴だった。それに恩もある。


そう考えてエレオノーラははぁ、とため息をつくと

「・・・ほんとに、あんたは真面目ね」

とあきれたように言った。


そして彼女も自分の思っている事を少しずつ話し始めた。

「・・・・・あんたが本当に馬鹿で、でもくそ真面目な事はわかった。

本気でこの世界と向き合うだけの覚悟もあるのもね」

「でも、それだけじゃこの世界は乗り越えられない。いつか心が壊れて、立てなくなってしまう。

これは私の持論だけど、私たちが背負いきれる罪の重さには限界がある。

だから、人はあれこれと理由をつけて”仕方がなかった”ことにする」

「そうでしょ?だって、私も人なんか殺したくない」


エレオノーラの問いかけに、俺は閉口した。

だが、彼女の語り口はだんだんと柔らかくなっていたし

最後には思いもよらない言葉が飛び出した。


「それでも、あんたがこの世界に真っ向から挑むというなら

私は最後まであんたの行く末を見届けるわ」

エレオノーラは最後にそう告げて、言葉を締めた。


「あ、ありがとう・・・」


俺はその含意が判らず、赤面した。

エレオノーラもぽかんとしていたが、暫くして

その言葉が少し別の意味にも聞こえてきて

「別に、変な意味じゃないわよ!?勘違いしないでよ?」

と慌てて補足した。


俺は相変わらずやかましい彼女に圧倒されつつ、

その様子に元気づけられた。


とげとげしい言葉でも、彼女からしてみれば精一杯の励ましだったのかもしれない。

そう考えるにしては、楽観すぎだろうか。


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ガチ騎士のエレオノーラ ハンバーグ公デミグラスⅢ世 @duke0hamburg

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