第6話 戦の足音

ーーー


初戦闘後であっても、俺たちの日常は変わらない。

走って、剣を振るって、馬の世話をして・・・・


こういう毎日を過ごしていられるだけ中世では幸せなんだろうか。

一方で、こんなうわさも聞く。


「知ってるか・・?灰死病が、西の街出たって話だぜ」


「ほんとかよ・・・!それじゃあ・・・いずれはこの街にも・・・!」


彼らはひそひそ話のつもりだったのだろうが、声は兵舎の廊下を全体に響いていた。

それはまさしく、彼らの恐怖心の裏返しに他ならなかったのだろう。


俺はその病気について不勉強だったので、その脅威についてははっきり言ってよくわからなかったが

彼らの表情からただ事ではないという事はよくわかった。


「ああ、それは近年流行ってる病さ。なんでも、罹ったら数日で死に至るらしい」

とクリストフは気だるそうな様子で言った。


「詳しい事なら、デニスに聞いてくれ。彼は聖職者になるためにいろいろと勉強してるから」

と彼は部屋の隅で本に食いついているデニスへ話を振った。


「やぁ、ハヤト君。久しぶりですね。何について知りたいんだい?」

とデニス。彼は気さくに本を閉じてわざわざこちらを向いてくれた。


こうやってデニスさんと向き合ったのは初めてかもしれない。

彼は案外にも近くで見ると細い線の中にしっかりとした芯を持っていた。


「デニスさん、灰死病とはいったい何なんですか?」


「・・・南西から来た、風土病です。数十年前に一度流行して、収まったと思いきやまたやってきてしまった」


「・・それに罹患すると、どうなるんですか?」


「非常に感染力の強い病だ。数日で体中に発疹ができて、発熱や嘔吐をする。そのまま1週間以内にほぼ確実に死に至ります」

デニスは俺に顔を近づけて教えてくれた。


俺はごくりと唾を呑んだ。

「じゃ、じゃあもしも罹ったらどうするんですか・・!?」


「もちろん、これは神罰だから教会に祈りをするのです」

とデニスは真面目な表情で言った。


しかし、俺がそれに口をへの字にして納得していないところを

見ると彼はにぃと表情を変えて

「そうだよな、未来から来た君はそんなのは建前だとわかるよな」

笑った。


「私は、この病は何かを媒介して体に入ると考えています」

「そしてこの病は神智学でもない、天文でもない。これは唯物的な現象なのです」

とデニスは興奮気味に言った。


俺はその彼の答えに感動した。

もしも、この時代が俺の世界で言う所の中世なら、その考えは革新的だ。

彼が、もしそれを体系化して世に出せたなら、この世界の医学は数段速く進むだろう。

「貴方の考えは、画期的です!すごい!そうです。俺の世界では・・・病気は、その、あなたの言う通りにですね・・・」

俺は自分の過去の記憶を辿って彼の意見を精一杯に擁護してやろうと言葉を並べようとしたが、上手く説明できなかった。

当たり前だ。たかが一般人が知っているようなこと。

いくら未来から、別世界から来ようが説明なんかできないに決まってる。


でもデニスは、そんな様子の俺を見て

「ふふっ。ありがとうございます。転生者のあなたからそういう言葉をいただけるだけで励みになります」

と笑顔で言った。


ーーー

やがて、夏が来た。


兵舎の周りの森はすっかり緑に溢れかえり

窓からは日差しと共に、青い風も入って来た。



俺は、だいぶ筋力が付いて体つきもしっかりしてきていた。

武器も剣から槍、メイスまで様々な物を訓練してある程度

は扱えるようになってきていた。


それでも精鋭ばかりのメンアットアームズの中ではまだまだ下っ端だ。俺は同期のフリッツらと共にあいもかわらず、教官たちにしばかれていた。


「どうしたぁ!!立て!!司教領の雑魚に勝ったぐらいでいい気になるなぁ!!」


訓練の相手となる教官はめっぽう強かった。

俺とフリッツの二人がかりでも剣の先さえ当てることさえできなかった。


しかしそれでも、俺は自分を奮い立たせて

「まだまだぁ!!」と叫んで彼女に向かっていった。

彼女と剣を交えるたびに自分が強くなっているという実感があったからだ。

フリッツもそれに感化されて一緒に彼女へ向かって飛び込んでいった。


我々は結局、日が傾き始めるまでなまくらの剣で叩き合った。



「ようし、今日の訓練は終わりだ。後は、馬の手入れをして

庭を掃いたら終わりだ」

と教官は汗だくになりながら宣言する。


俺ら兵士たちはへとへとになりながら返事をして、すぐさま厩舎へ向かった。


教官は汗をぬぐいながら、オーニング(立て脚式の日よけテント)に入ってそこの椅子に腰かけた。

そこには他のベテラン兵士たちも座って居て、訓練の様子を眺めていた。


「教官、今日も精が出ますね」とクリストフ。

彼から見ても、教官が若手の兵士たちに入れ込んでいるのは分かった。

だから彼は

「教官は、彼らをだいぶ気に入っているようですね。見込みがありますか?」

と少し愉快な様子で尋ねた。


「あぁ、奴らはここ数年で一番の逸材だな。体はそこまでデカくないが、心意気がある。何倍もの相手に食って掛かれるだけの闘志は何物にも代えがたい」

と教官は冷静に言ったが、デニスとクリストフは顔を見合わせて笑った。


「はは、教官。彼らの性格が気に入ってるんでしょう?」

と少しからかうようにクリストフが言う。


それに対して教官は

「馬鹿いえ、私はあくまで職務上の話をしてるんだ。クリストフ」

とあきれ顔で言った。



それから三人の指揮官たちは遠目で兵士たちの作業を見守りながら、あれこれと話をした。

その中でも、とりわけある話題が彼らの興味を惹いた。


「それより、知ってますか?今度また、大きな戦が起こりそうだってこと」

とクリストフが言う。


それにデニスが本から目を離して、

「伯爵閣下は、またぞろ新しい戦争を行うつもりだと聞きます」と乗っかった。


教官は苦虫を噛み潰したかのような顔でそれを聞いた。

「相も変わらず、上の連中は戦争ばかりだな」

「今度はどこに出兵するんだ?」


「南の”半島”だそうです。ヴァルティア都市同盟の中で、教皇派に寝返った都市があるとか何とかで・・・」


「となると、相手はいよいよ教皇派の諸侯か。これは大きな戦争になりそうだ」

と教官は落ち着いた声で述べる。


デニスとクリストフはそれに同意しつつ、前途を思いやや心持を重くした。

戦場は彼らの出世の機会でありながらも、命を落とす場でもあった。

だから、彼らは本当は戦場に等出たくはないのだ。


「兵士になど、成るべきではなかったかもしれませんね」

デニスは本を片手に、ボソッと零した。


教官はそれに聞こえないふりをしたが、

服を掴む手は硬く握られていた。


ーー 神聖帝国西方、アーディッツ市 ーー


伯爵はこの日、神聖帝国の皇帝に呼びだされて

彼の直轄領であるアーディッツ市にやって来た。


ここは、古代の王朝君主が教皇より帝位と王冠を授かった場であり、特別な意味を持つ都市であった。

とりわけ、現在の皇帝は積極的な拡大政策で周辺諸国に圧を掛けていたため、この地域の権威というのは非常に重要視されていた。



伯爵は騎士数名と側近を連れて、華やかなこのアーディッツ市へとやって来た。その中には侍女の代わりとしてエレオノーラも含まれていた。


伯爵はそのまま皇帝が滞在する大聖堂脇の屋敷へと足を運んだ。皇帝は、現在催事の為にこの街に来ている。


館は厳重に警備が敷かれていた。伯爵の背丈の何倍もあろうかというような大男の騎士が、来客を一人一人睨むような視線で確認していた。


それはまるで刺客を見極めるかのようであった。


だがしかし、それも仕方がない事である。

皇帝は、この国トップでありながらすべての領邦を配下にしているわけではなかった。彼は、辺境伯の一人に過ぎなかったが戦争によって勢力を拡大し終には皇位を簒奪するに至った。


先代の皇帝は、教皇に推薦されていて、当然その子供が後を継ぐはずであったがそれをはねのけての戴冠であった。

しかしそれを教皇とその取り巻きが許すはずはない。


つまり帝国は今、皇帝派と教皇派に二分されているのである。


伯爵はそんな事を思いつつ、屋敷に入り

皇帝へのお目通りを願った。近衛兵たちはひそひそと話をしてから、彼に通る様に命じた。


そのまま伯爵一行は屋敷の仮御殿に進み、

奥の間で待つ皇帝に謁見の許しを得た。


「皇帝陛下、お呼び頂き恐悦至極に存じます」

伯爵は扉から皇帝の間へ入り、数歩進んだところで

傅いて、最大限の敬意と共に挨拶を申し上げた。


皇帝はそれに対して小さくゆっくりと、されど威厳のある

動きで頷いた。


伯爵は許しを得て恐る恐る顔を上げる。

「陛下のご機嫌、大変麗しゅう存じます。今回の催事も滞りなく、行きますよう・・・」

と長ったらしい口上を告げた後に伯爵は

「それで、この度はいったいどういう用件で私をお呼びになったのでしょうか?」

とぎろりと鋭い眼光で本題を突き付けた。


皇帝は椅子にもたげて伯爵を眺めて、やがてはゆっくりと

口を開いた。

「半島の、まつろわぬ都市国家と田舎貴族どもを蹴散らすのだ。ヘルムート、お前は諸侯を率いてまずは教皇派の出鼻を挫いて来い」


「目標はどこの都市でしょうか?」


「半島の北部。ヴァルティア都市同盟の中でも最も我々に敵対的なプラディサート市を攻撃せよ。貴様に軍事指揮権をくれてやる」

と皇帝。


それに対して伯爵は平伏して「有り難き幸せ。必ずや皇帝陛下の前に鉄王冠をご覧に入れましょう」と仰々しく言った。





エレオノーラはそれらの儀式めいた話を遠くで眺めて居たのだが、イマイチその意味が分からなかった。

だから彼女は、共に伯爵の随員として来ていたエルデリック卿に尋ねた。


「子爵様。何故、皇帝陛下は教皇派と戦争へ?皇帝位はすでに陛下の思いのままではありませんか」


「・・・・貴様は・・・?あぁハロルドの娘か」


「そうだな、端的に言えば、皇帝陛下は神聖帝国皇帝に実質的には就任したが、権威と伝統的にはまだ完全ではないのだ」


「というと?」


「古代帝国の中心は、今の教皇庁があった場所。つまりは

あの”半島”こそが正当な帝国の土地なのさ。だから本当の意味で帝国の後継者になるんだったら、あの半島を手に入れなきゃならんのさ」


「では、鉄王冠というのはあの・・・」


「そうさ。かつてメシアに打たれたという杭を基にして作られた王冠。ヴァルティアの鉄王冠の事さ。聖遺物で”半島”の王位を継ぐものだけが被ることができるという」


「つまりは、伯爵様はその戦いの先鋒としてヴァルティアの教皇派を一掃しに行くのですね」


「その通りだ。また戦費がかさむな」

と子爵は嫌そうな顔で言葉を締めた。


エレオノーラは戦費と聞いて少し胃が痛くなった。

子爵と同じく、彼女も戦費の調達に苦労していたからだ。


ただでさえ、疫病で農奴の数が減って税収も少なくなっているというのにこのごろは戦争続きで出費が多い。

仕方なく、農奴へ自由身分を売り払ってしまう領主も多いと聞く。


そんな状況に、半島への大遠征なんかできるのだろうか。

彼女は戦場での心配よりも懐事情の方が心配だった。


そしてそれは、多くの貴族にとって同じであった。

ーーー

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