第7話 進撃開始

ー10月12日 伯爵領南方軍団集結地点ー


暑さも和らぎ、木々が色づいてきたこの時期に、伯爵はいよいよ出兵を宣言した。


この号令に帝国南方の諸侯が集結し1万5000もの軍団が彼の指揮下に集った。

地方伯として彼は付近の領主や伯爵に命令する権利を持っており、そこに自分の領土から徴収した民兵と傭兵と家臣の部隊を加えてこれだけの大部隊を編成して見せた。


この手際の良さは皇帝をもうならせた。

丁度収穫終わりの時期に重なったのが良かったのだろう。

農民を徴収しても、兵糧を手配してもそこまで負担にはならない。


しかしそれは相手にしても同じ事。


ヴァルティアの教皇派プラディサート市も傭兵と宗教騎士団を招き入れて、防備を固めていた。



我々メンアットアームズも当然武器を取ってその戦列に加わった。


盗賊や、二流の軍隊が相手の今迄の戦争とはまるで違う。

今度の相手は、同じく訓練を重ねた精鋭や騎士が出てくる。


俺はフリッツら同期と共に大規模な戦闘に胸を膨らませつつ、

同時に恐怖もしていた。


ーー 


我々はまずこの戦争で行ったのは戦闘でもなくただ歩くことだった。


しかし行軍は楽な作業ではない。兵士たちは自分の装備だけでなく、騎士が乗る馬や武器・弾薬を運びながら移動するのだ。

数キロ動くだけでもへとへとだ。

これが山を越えろとか、海を泳いで行けとかそう言うような無茶苦茶な命令になったらそれはもう無理だ。


古代の英雄や、妄想まがいの物語にはそんな話がごまんとあるだろうが、兵士の体を鑑みない作戦は大抵うまくいかない。


その点、伯爵は現実主義者だ。彼は行軍を3つに分けて、

一つ一つの進路の負担を軽減し、更には宿営拠点と行軍計画を指揮官たちに配っていた。

もっともこれも、潤沢な資金があるからできる戦術だ。



伯爵直属軍はまっすぐ街道を下り最短距離でプラディサート市を目指している。



「それをもう少し、俺たちの待遇改善に回してくれると助かるんだがな」

とクリストフは行軍縦列の中でぼやいた。


デニスがそれに対して

「衣食住は保障されているんです。飢えている民も少なくないこの世の中ではだいぶ贅沢だとは思いますよ」

と相変わらず聖人君子の様な事を言った。


クリストフは「おぉそうかい」と手を振って

厄介そうにそれを遮った。


そうでもしておかなければまた彼が聖書を説法してくる。

クリストフは「俺は農民の出だから、そうゆう事は勘弁してほしいね」と彼に告げる。


そう言うとデニスは

「皆、そうですよ。下層民出身ばかりですよ」

と真面目そうに言った。


だがクリストフはその文言にある人物を思い浮かべた。


「・・・・教官は違うんじゃないか?あの人は確か」

と彼は言う。


デニスも教官の素性ついては聞いていたが深い所まで知りはしなかった。


「教官は・・、私ももう3年の付き合いになりますが彼女が自分の事を話すのはほとんど見た事がありませんからね」

とデニスも言う。


教官は彼らよりもずっと昔からこの軍に所属している。

彼女はデニスとクリストフがそれぞれ小隊長を勤めるに至った3年間

よりももっと前から唯一生き残っている兵士だ。


「それでなくとも、この部隊は入れ替わりが激しい。俺らが入ったのが3年前だろ?あのころから居た兵士はもう20名も居ない。それなのに、5年以上も生き残ってる教官は異常なんだろうさ」

とクリストフは吐き捨てた。



彼らは教官を尊敬しつつも、恐れつつあった。


自らの存在を語らぬ者に寄り付く人間は少ない。

ましてや、命を懸ける上司ともなればなおさらだ。


ーヴァルティア地方北方、ナヴォーリオー


神聖帝国より南下した1万5千のうち伯爵が率いる中央軍4000は街道からまっすぐ進み、

プラディサート市の支配地区であるナヴォーリオを攻撃した。


ここには、大小さまざまな砦と幾つかの農村があるのみで、大した障壁は無かった。

民兵の自警団300が自分らの村を守るために立ちふさがったが、

正規軍を率いる伯爵の前には無力も等しかった。


本格的な戦闘が行われるようになったのは、10月も半ばを過ぎて、すっかり空気が冷え込んできてからだった。


10月21日にナヴァーリオを攻略した伯爵軍に対し

満を持して、プラディサート市の部隊が反撃を仕掛けて来た。


どうやら彼らは増援である聖ヴァレッタ騎士団を待っていたようだ。

教皇に忠実なことで有名なヴァレッタ修道騎士たちは、皆一様に十字のマークを胸に描いて、軍旗や声には聖典の文字を刻んでいた。


10月22日には、ナヴァーリオ地区を丁度南北に隔てるように流れる川の南側に聖ヴァレッタ騎士団5600名が布陣し、鬨の声を上げた。


これに対して伯爵は同日未明に北岸に軍を集結させ、

4500の直轄部隊で迎え撃つ構えを見せた。


戦場となる川は東から西へと向かって走っていて、流れは緩やかだった。

また、両軍の対面した地域は水位が浅く人馬ともに容易く渡河することができた。


一方で川幅が広いため、作戦行動の為に川を渡ろうとすると

相手から丸見えになってしまう地形でもあった。


22日明朝の段階では両軍ともまだ動かなかった。

伯爵は、河畔の北東に位置する高台に指揮所を置いて

そこから対岸の様子を伺った。


昼頃になって、伯爵ら指揮官たちの陣に敵方から軍使がやって来た。

伯爵と、補佐のヴァルマン公(伯爵の部下。遠縁)はそれらの受け入れを許可し使者と会見した。



軍使は豪華な鎧に、サーコートとマントを翻して、特に兜はバシネット式の高価な物であった。

腰に帯びた剣には黄金で打たれた十字架が太陽の光できらびやかに輝いていた。


「私は聖ヴァレッタ騎士団のロッテだ。貴公らに最後の忠告をしに来た」

と彼は勇ましく名乗った。

そして、従者に持たせていた一振りの剣を地面に突き立てた。


「貴様ら田舎貴族が、もしこれ以上半島を進むなら神のご意志によって必ずや天罰が下るであろう。この剣は最後の忠告だ。この杭より先に進むなら、我ら5000騎の精鋭が貴様ら反徒を撃滅する」

とロッテは高圧的な態度で言い放った。

帝国側の諸侯と指揮官たちはその宣言にごくりと唾を呑んだ。


聖ヴァレッタ騎士団の武名は貴族の間でも有名だった。

彼らは”布教”という名目で東の未開地域や、砂漠の王朝と激闘を繰り広げてきていた。

この時も補給と再編成のために半島の修道院領まで下がっていたところを、教皇より呼び出されたのだという。


彼らの巨大な体つきや勇猛な聖歌を見聞きして、実戦経験に乏しい貴族たちはすっかり震えあがってしまった。


しかし伯爵は、それに対して一歩も引かなかった。

彼は椅子から立ち上がると、ずんずんと使者の前まで行き

相手の突き刺した剣を引き抜いた。


「ほぉう、これは良い剣ですな。ロッテ卿。騎士団は良い鍛冶師をお持ちだ」


そしてそれを片手で持ったまま、刃先をロッテ卿に向けて、

「この剣、しかと受け取りましたぞ。ロッテ卿は、今日中にもう一度目にすることになるでしょうが」と煽った。


これに対して、ロッテ卿は「愚かな男よ、伯爵」と吐き捨て

颯爽と陣を去った。


ーー10月22日 14時ごろ


同日の昼過ぎ、先に動き出したのは意外にも伯爵軍の方であった。伯爵は右翼の部隊1500名にパヴィスシールド(大楯)を持たせ重装歩兵を先頭に突撃させた。


右翼軍の指揮官はヴァルマン子爵で、伯爵から信用されていたが実戦経験には乏しかった。

彼は、自分の常備軍を先頭に槍と近接装備の部隊による突撃を繰り出したが

川岸で長弓の集中砲火を受けて被害を出した。

子爵は何とか強行突破しようとしたが、敵の弓兵と散兵の攻撃を受けて、遂に渡河をあきらめた。


伯爵はその様子を見つつ、騎士団の陣形が左側(伯爵軍の右翼側)に斜行し始めているのを確認した。

ヴァルマン子爵の部隊を追いかけるあまり騎士団の部隊は

左側が突出するような形になってしまっている。


「ヴァルマン子爵から至急、支援をしてほしいとのことです」

と伝令が告げる。


しかし伯爵はそれに対して慎重だった。

「・・・・騎士団の主力である騎兵が居ないな・・・妙だな」

と彼は顎の髭をさすりながら言った。


実際、敵は虎の子である重騎兵をまだ出してきていなかった。

そのため、伯爵は無暗に兵を動かして相手に手の内を明かすのには慎重だった。


だがしかし、彼には確信があった。

奴らはこの正面では、騎兵を出してこない。

なぜなら、河の中では馬の速度はたとえ襲歩(馬の全力走行)でも大幅に低下する。だから伯爵は渡り切った後に敵は攻撃してくると考えていた。


「エルデリックに常備兵とパイク兵をつけて、側面警戒させろ。

それ以外はこのまま渡河して敵を押し出す」

彼はそう命じると、ロッテ卿から貰った剣を腰に帯び

馬へ跨って自ら前線へ向かった。


ーー 同時刻、河畔北側伯爵軍待機陣地 ーー


「なんだよ、ケッ!俺たちは渡らねぇのかよ」

フリッツは対岸へと進む味方部隊を見送りながら毒づいた。


俺はそれを横目で見ながら

「仕方ないだろう。友軍の側面警戒を命じられたんだから」

となだめる。


しかし彼の言い分も分かる。

俺は大規模な戦闘に怯えつつも心のどこかで

訓練の成果を確かめてみたいという心意気もあった。

フリッツにとっても、燻っている気持ちはあるのだろう。


だが不自然にも俺はそれがなんだか自分たちの身に起きているような実感がなかった。

不思議な浮遊感と実態感のなさを不気味に思いつつ、俺は肩を二、三度回した。


いずれにせよ、俺達はまだ現実をよく理解できていなかったのだ。


あたりはもう薄暗くなりつつあった。

右奥に見える森は影が差して、すっかり見えない。


暫くすると歩哨に松明が配られた。

その灯りはそこまで明るくなかったが、何もないよりはよっぽど良い。


我々は暇を持て余していた。工兵はその暇を利用して

陣地の築城以外に監視塔を立て、それすらも終わったら大穴を掘って遊んでいた。


「なんだって、そんな穴なんか掘っているんだ?」

とエルデリック卿は工兵に聞いた。


工兵たちはそれに

「技術の向上のためですよ。今度攻城戦で穴を掘るでしょう?」と返答した。


しかしエルデリック卿はその意味するところが分からず、

戦に参加できない鬱憤も相まって

「勝手な事ばかりするな!ただでさえ汚い下郎の癖に、

わざわざ汚れる事をする意味が分からん」

と叫び散らかして工兵達を侮蔑した。


一方で、彼が去った後にやって来た教官は、その穴を見て

「ここの土は伯爵領のそれとは違う。良い心がけだ」

と誉めた。


工兵達はてっきり彼女にも怒られるものと思っていたので

目を丸くしたが、教官が真面目な表情で言うものだから妙な気分になった。


「だが、肝心の戦闘の時に動けなくては困るぞ。ほどほどにしておけ」と最後に言い残して教官はその場を後にした。


工兵達は皆、彼女の予想外に優しい振る舞いに疑問をもったが、

悪い気分はしなかった。


兎も角、そんなことがあったりしながら我々は

だいぶ長い時間を戦闘もせずに見張りとして川岸の北側で待った。


俺は日が落ち始めてから数時間ほど歩哨として陣地から森の方まで足を延ばしていた。

これは、散兵や迂回軌道をしようとする敵が潜んでいないかを確かめるための偵察で、俺はおなじみのフリッツと共にその斥候に出ていた。


「おい、ハヤト!敵なんかいやしねぇよ。適当に時間潰してようぜ」

と彼は一時間ほど歩いてから言った。

俺も疲れていたのでそれに同意して、そこらへんにある木の陰に座って二人で雑談をし始めた。


フリッツはケトルヘルムを下ろし、その短髪をかき上げながら口を開く。

「ハヤト、お前は異邦人らしいけど何の為に戦ってんだ?」


「俺は、まずは安全に暮らす為かな。衣食住が保証されてるって聞いたのと、少ないながらも給与が出るって話だったから。まぁ、それ以上に俺は元の世界に戻りたいとも思ってるけどな」


「はーん。なるほど。でもその割には、必死にこの世界から帰ろうとはしないよな?なんでだ?」


「そもそも、そんな時間がないのと・・・・単純に何の手掛かりもないからだ。この世界は・・・・あまりにも混乱している」


「そうか。お前はこの世界がそう感じるのか。まぁ、確かに入隊してからあっという間だったしな。お前の言うように」

とフリッツ。


俺と彼はその後もサボりながらあれこれと話をした。

そして次第に話はくだらないものへとなり下がって行った。


「お前の知り合いの騎士様・・・たしか、エレオノーラとか言う

金髪の嬢ちゃん。あれは結構上玉だぞ。お前、仲いいのか?」

とフリッツ。若い男子が二人集まれば、次第に話はこういう方へ向かっていく。

中世とてそれは同じのようだ。


「あれは、推薦してもらったってだけで特に深い仲な訳じゃない」


「でもよ、何かと話してるじゃねぇか」


「俺は、あいつ苦手だ。高飛車で、お嬢様の癖に上品さってもんが無い。その割には、偉ぶっているのも鼻につく。スタイルと顔こそいいが・・・あんな奴はこっちからごめんだな」と

俺はやや興奮気味に言い放った。


フリッツはそれを見て笑いながら

「そーかいそーかい」と言った。


俺はなんだかからかわれている気がして

「そう言うんじゃなくて、マジで言ってるんだからな!?」

と断ったら、なおさら彼が小ばかにしやがる。


そんなこんなで俺たちは歩哨の任務を適当に消化した。

本当なら、歩き回って敵を探さなければいけないのに俺たちは

そこらへんの木に腰かけて駄弁っていた。

やがて、交代時間になって俺たちはそこから陣地の方向へ戻り始めた。

本当ならば、ダメだ。


「なぁ、もしここで喋っている数十分の間に敵が来てたらどうしてた?」


「そらぁ、迎え撃つしかないだろう」

とフリッツが言う。


俺は彼の適当とも、豪胆ともとれる言動に

頼もしさを感じつつ歩みを友軍の方へ向けた。


だがしかしその時、俺の耳は遠くで異音が響くのを捉えた。


「おい、フリッツ。何か聞こえないか?金属音みたいなの」


「馬鹿いえ・・」


俺とフリッツはそう言って立ち止まって、音の響く方を凝視した。

それは森の奥の方から聞こえた。

カツン、カツン、という鉄製の板がこすれる様な音。


それはだんだんと数を増していって、大地を揺らすほどの大音量となった。


その段になってやっと俺とフリッツはこれが敵襲であることに気が付いた。

しかもそれは、騎馬突撃だ。

金属の掠れる音は鎧のずれで、カツンカツンというのは馬の蹄鉄だ。


つまり我々は幸か不幸か、サボっていたせいでこの攻撃に鉢合わせたのだ。

予定通りのルートを進んでいたなら監視塔で見えるまで友軍は気が付かなかっただろう。


だが、俺とフリッツにしてみれば要らぬ危険を冒すこととなった。

俺たち二人は日も落ちてすっかり暗い森を灯りもなしに掛けて行く。


運が良いのか悪いのか。俺は走りながらそんな事を考えた。


まぁともかく、それが良い緊張覚ましになったのは間違いない。


ーー

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