第30話 裏切り者

俺はそこでエレオノーラの血が収まるまで少し休んだ後、彼女をおぶって味方のところまで戻った。

彼女は最初こそ自分で歩くと聞かなかったが、数歩歩いて転んだところで仕方なく俺の背中に収まった。


「・・・なぁ、エレオノーラ。お前さっきさ」

「いや、やっぱ何でもない」


「何よ、気持ち悪いわね。はっきり言いなさいよ」


「・・・大切な人ってどういう意味かなって・・」


「・・・」

その質問は我々の間に沈黙を作り出した。

エレオノーラからしてみればきっと不意に出た、あるいは出まかせのような取り留めのない一言だったのだろうが、

それにしてはその言葉は俺と彼女の心を騒めかせた。


暫くすると

「別に、何でもないけど」とエレオノーラはケロッとして答えた。


俺はなんだか気まずくなって話すのを控えた。


我々はそのまま坂を下って部隊の待機するところまで戻った。

「戻ったぞ、フリッツ。村は無人だったが、追手が来ていた。休むのは良いがすぐに出立すべきだろう」

と俺が彼に話しかけると、フリッツは焦ったような顔で振り向いた。

どうしたのかと思い俺は彼にまずそのことを問いただすと

「実はなさっきから指揮官殿の姿が見えないんだ」と答えた。


「まさか、さっきまで居たじゃないか」


「あぁ。だからおかしいんだ」

俺はそれを聞いて兵士たちの方をちらりと見た。


いくら手練れのメンアットアームズ達とはいえ、指揮官が行方不明となれば流石に動揺する。

兵士たちはざわざわと噂話をしだして、士気は下がりつつあった。


「ハヤト。兵たちの手前、こういう話題はまずい。さっさと指揮官殿を見つけるか誰かが指揮を引き継いだ方が良い」


「・・・だが、そのどちらをするにも兵は動揺するぞ。どこか近くに居ないのか?」

俺とフリッツは何とかこの事件を秘密裏に終わらせようと話し合った。

しかし、運の悪いことに俺達より先に兵士の一人が彼を見つけてしまった。


「・・・・この先の林の中で死んでいました。喉を一突きです」

と斥候が報告する。


俺とフリッツは顔を見合わせて「まずいことになった」と焦った。


階級で言えば正式な騎士であるエレオノーラが指揮官になるべきだが生憎彼女は怪我をしている。

名義上の指揮官を彼女にするにしても実務の面を担当する人間が必要だ。


「なら俺がやろう。副長の俺なら問題なかろう」

とフリッツが言う。


「私も馬に乗れば指揮ぐらい」

とエレオノーラは申し出るが

「いいや、ここは俺が指揮を執る」とフリッツは譲らない。

妙に彼が態度を硬化させたので疑問に思ったが

そうまで言うなら、と俺とエレオノーラはその提案を承諾した。


我々は追撃を恐れてできるだけ行軍を早めた。

途中の村々で1晩休んだ以外には夜を徹して街道を進み続けた。


兵士たちも疲れと不満がたまってきている。

そして、そういう時には往々にして悪い噂というものが立つ。


「なぁ聞いたか?指揮官殿を殺したのはハヤト殿らしいぞ」


「なんだって?一体全体、そりゃどうして?」


「わからん。だが、フリッツ副長から指揮権を奪おうとしたらしい」

兵士たちは行軍中にそう、噂話をした。


数百人程度の集団。そういう類の話はすぐに全体に伝播する。

その噂話は先頭を進む俺の耳にもすぐに到達した。


おれは大変困惑したが、それよりもまず腹が立った。

そもそも事実無根だし、指揮権を強硬に主張したのはフリッツの方だ。

だがそれをエレオノーラに言うと彼女は「あんたも従騎士になったんだから少しは毅然とした態度でいなさい」

「人の上に立つ人間がそんな風ではますます下の人が心配になるわ」と辛口で宥めた。


その意見はごもっともだが、俺は平民上がりだしそもそもこの世界で生まれたわけじゃない。

そんな立派な振る舞いなどできない。


ーーー

数日間進んだ後、我々は深い森を抜けて川の流れる広い平原に出た。

途中敵の敗残兵の一隊が野営しているのを見つけて10人ほど捕虜を取った以外にはこれと言ったハプニングもなかった。


「敵ねぇ・・」

と俺は捕虜の報告を受けながらぼやいた。

”敵”という言葉は簡単だが、一体この戦場での敵とは誰なのか?


裏切り者のボッツ伯も教皇軍も敵だろうが、そもそもこんな苦境に放り込んだ皇帝とて俺達一般将兵からしてみれば敵に他ならないのではないか。

いいや、それ以前に国家という纏まりを持たずあやふやなまま進むこの戦争自体に”敵”も”味方”もあるのだろうか。


俺は最近、そんな事ばかり考えている。


「この先を少し行ったあたりに友軍部隊が居るらしい」

とフリッツが舞台に向けて言う。


俺はぼんやりと空を眺めていたがエレオノーラに頬を叩かれて気を取り戻し、フリッツの方を向いた。


「友軍?この先にか」

と俺がフリッツに尋ねる。

彼は嬉しそうな顔で「あぁ。この先に友軍部隊がいるそうだ」「さっきの捕虜の話で、確かなようだ」


「捕虜はどうした?」


「始末したよ」


俺はその返答にやや面食らったが、今は兎にも角にも友軍に合流して部隊を立て直さなければならない。

三日三晩飲まず食わずでやっていけるほど我々はタフじゃない。


エレオノーラが前身の号令を告げて、先頭を馬で走り出す。

俺とフリッツはそれに続く形で駄馬に跨りながら追いかけた。


メンアットアームズ達の数も、途中で行方不明になったり栄養失調で斃れたりしたので減りつつあった。

猶更我々はすぐに味方へ合流しなければならない。


間もなく小さな村に煙が立っているのが見えた。

パンを焼いているのか、はたまた何かを調理しているのか判らないが兎も角それらの部隊には食料があるのは確かだった。


「さあ、行くぞ。休息まであと少しだ」とフリッツが兵士たちを励ます。

しかし先頭のエレオノーラは手綱を引いて馬を止めると、全隊に横隊を形作る事を命じた。


俺は下馬して身一つで彼女の元まで駆けていくと

「何事だ?エレオノーラ」と質問した。


それに彼女は焦ったような表情で振り返ると「何事も何も、あそこに居るのは友軍じゃない」「教皇派の部隊よ」と叫んだ。


俺はそれを聞いて血の気が引いた。

そしてすぐさま部隊に戦闘用意を命じるべく再び馬のところへ戻った。

「フリッツ、あそこに居るのは友軍じゃない。教皇派の部隊だ。それも数が多い」

俺は慌てながら彼に告げる。


だがフリッツはらしくもなくすました顔で「知ってるぜ」と答える。


俺は呆気にとられて暫く固まってしまった。

「何言ってんだよ、だったらなんでこんなとこへ」

「案内したんだ・・・?」


「ハヤト。俺前に言ったよな。お前の首に懸賞金がかかってるって」

「教皇派は帝国の騎士にやたらめったら懸賞金掛けてんだよ。そこのエレオノーラ嬢ちゃんだってそうさ」

「そりゃあ、もちろん貴族に比べりゃ大した懸賞金じゃないけどさ」

「人一人が騎士に成れるぐらいの金は貰える」


俺はそれを聞いた瞬間にやっとその意味がわかって剣を引き抜こうとした。

がしかし、その対応はフリッツの方が早かった。

こちらが剣先をフリッツに突き付ける前に、彼の剣が俺の喉元を抑え込んだ。

「大人しく馬から降りろ」とフリッツは言う。

俺はおとなしく剣から手を放して、馬から降りると彼の息のかかった兵士に腕を縛られた。


「フリッツ・・・お前・・・」


「すまんなハヤト。俺、お前のこと好きだぜ」

「でもな、お前迂闊だったんだよ。俺たちみたいなゴロツキを信用してるあたりな」


俺は彼に反論しようとしたが、直ぐに麻袋を頭に被せられて運ばれてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る