第2話  勇気の証明



翌日、叔父様が襲撃されたエレオノーラの下へ急いでやって来た。

彼は顔面蒼白と言った感じで、わたわたと彼女の下へ走り寄るとエレオノーラを抱き留めた。


「エレオノーラ!!無事でよかった・・!!」

彼はただでさえ不健康そうなやつれた顔を更に強張らせてそう言った。


「もう、叔父様!心配性ですよ。かすり傷しかないですから!」

とエレオノーラ。


俺はそのやり取りを、やはり柱に腕を縛り付けられながら聞いた。

どうやら、彼らの関係というのは単に叔父と姪というだけではなさそうだ。さながらそれは親子の様であった。


しかしそんなことより、俺は自分の処遇の方が心配だった。

俺はエレオノーラの方へ向かって叫ぶ。


「おい!助けてやったのになんだこの仕打ちは!」

俺は縛られた腕を掲げて言った。しかし、彼女は相変わらず冷たい表情で「それは、それ。貴方が何者かは未だにわかっていないのだから」と言い放った。


俺は彼女の横顔に無性に腹が立って、目と舌を出して馬鹿にした。


一方で叔父様の方はだいぶ話の分かる人だった。

「これ、エレオノーラ。彼は恩人なんだろう?なんで腕を縛り付けているのだ」


「でも、彼は異邦人です!脱走農奴かもしれないのに」


「しかし、それはそれ。彼が恩人であることに変わりはないだろう?縄をほどいてあげなさい」

と叔父様は言った。


俺は柔軟な彼の発想に驚くと共に、その恩赦に感謝した。一方で、エレオノーラはこちらの方を訝し気に眺めて居た。俺はそれに対して睨み返した。


暫くして、昨日の襲撃の犯人が叔父の前に引き出された。

俺に圧し掛かっていた方は死んでしまっていたが、彼女に斬られた方は傷が浅く、まだ息があった。


叔父はその男に対して穏やかな口調で詰問し始めた。


俺はそれを遠くから眺めていた。

脇にはエレオノーラが居る。


「・・・あのおじさまは、だいぶ話がわかるじゃないか」

と俺が言うと

「ちょっと、馴れ馴れしくしないでくれる?」

とエレオノーラは不機嫌そうに言う。

だから仕返しに

「・・・なんでぇ、可愛くないの」

と言ってやると

「馬面のあんたに言われたくないわ!」

と反目した。


どうにもこいつとは馬が合わない。馬面だけに。

なんてことはどうでもいい。


俺はやはり彼女の強すぎる気性に腹が立ってむしゃくしゃした。

反対に彼女も俺の事が気に食わないようでやはり怪訝そうな顔をしていた。


しかし一方で、彼女の中には一抹の感謝の気持ちはあるようだ。

叔父が尋問を終えて、従者たちが下がっていく合間に彼女は

それをぎこちなく口に出して表象しようとした。


「・・・・昨晩は、ありがとう」


「え?何?」


「昨晩”は”ありがとう、って言ったのよ!耳まで遠いの?」

と彼女は嫌々言い放った。


俺はつくづく可愛げのない女だ、と思った。



それからしばらくして俺はおじさまに呼び出された。

彼は、俺の身の上について興味があるようであれこれと尋ねた。

それに対して俺は昨晩と同じようにありままを話した。


それに対して、叔父は言う。

「うーむ・・・にわかには信じがたいが」


「俺だってそう思います。でも、事実貴方と私はこうやって話し合っている。それが何よりの証拠です」


「・・・ハヤト君。それはあまり他人の前で言わない方が良い。教会の前では特に」


「異端審問ですか?」


「そうだ。彼らは疑り深い。だが、私は姪を守ってくれた以上君を疑う事はしない。それにその恩に報いなければならない」

と叔父は言う。


しかし俺は、彼のもったいぶる言い方に我慢できず

「では、どうすれば」

と尋ねた。


彼はその質問に対して「メンアットアームズに志願してはどうだね?」と言った。


俺はその”メンアットアームズ”というのがなんだか分からなかった。

彼は続ける。

「メンアットアームズは貴族直属の兵士の事で、言うなれば志願兵だ。彼らは専門の技術と高い戦闘能力を有する兵士で給与もでる」

と叔父は言う。加えて、そのための推薦までしてくれるそうだ。


俺には腕っぷしの強さなどなかったが、負けん気だけは自信があった。

それにどのみち選択肢などないのでそれを承諾することにした。


ーー


エレオノーラが住むこの所領は伯爵配下の男爵領で、ホーエンライン家が継承していた土地らしいのだが、彼女の父と母が運悪く急死してしまい男系継承者が居ない状況で、

彼女の親代わりとも言える叔父(父の弟)はすでに他の家へ婿養子に出ていて、継承権を持っていないらしい。


「そもそも、なんで女性は継承できないんだ?男系優先だとしても、誰も居ないじゃないか」

と俺は伯爵の館に行く途中でエレオノーラに尋ねてみた。

彼女はそれに対して頭を悩ませながら言葉を発した。


「・・・貴方の居た世界では、法律によってあらゆることが定められているのでしょう?でも、私たちの世界は違う。法律には成文法と慣習法というものがあって・・・・女系継承は慣習法によって妨げられるの」


「でもそれは、不文律だろ?そんなの無視してしまえばいい」


「そう言う訳にも行かないのよ。馬鹿ね」

彼女はため息をついて、そう言った。


「継承法というのは、単純に順番が決められているわけではないのよ。そりゃあ、直系の男子だけなら長男から末子まで並び順だけど、私の場合は、私以外にも継承権を持っている遠縁が居るの」


「継承権が横並びだって言うのか?」


「そうよ。誰からも決められていない継承は有効ではないの。だから、私は直属の上司である伯爵様に騎士として奉公に行かなければならないのよ。封建領主である彼が認めれば、もう誰も口出しできないでしょう」

そう言うと彼女は今度は凛々しい表情をした。

口はきっと結び、髪はポニーテールのように纏められ、ローブが風にたなびいている。

いかにも騎士らしい風貌だ。


まもなく、俺たちは男爵領から進んで伯爵の直轄領へと入った。


彼女は馬に乗って俺に手綱を引かせた。

そして、そのまま伯爵の待つ狩猟地へと向かった。


彼は居館から離れて、狩りをしにこの近くを訪れているらしい。

なんとも、豪奢な事だ。時間的にも経済的にも余裕があるのだろう。


エレオノーラは森に入ると下馬して、俺にその手綱を引いてくるように言った。

さながらそれは従士に命令を申し付けるかのようだった。

俺は心の中で毒づいたが伯爵の手前もあるし、何よりメンアットアームズになるためには彼女の推薦が必要であったので我慢した。



「そぉれ!ウサギを捕まえたぞ!見ろ!」


「お見事です、伯爵!」


我々が森へ足を踏み入れると、そこには家臣たちと共に

狩猟に興じる伯爵の姿があった。


エレオノーラは伯爵の小間使いを呼び出して、狩野エリアに入ってよいか尋ねた。


この森は、伯爵の直轄地で動植物の狩りができるように森林官(貴族の森を管理する従者)たちが環境保全をしている。

そのため、臣下でも許可なく入ることは厳禁らしい。


エレオノーラは伝令が戻るまで腰の剣に手を当てて

許可を待った。


間もなく従者が戻り、彼女に「伯爵がお待ちです」と告げて招き入れる。俺はエレオノーラについて行った。




「ほぉう、エレオノーラ。久しぶりよの」

と白髭を蓄えた伯爵は低い声で言った。


彼は、神聖帝国の地方伯(Landgraf)であり

ただの伯爵とは違う、広大な所領と自治権を持っていた。

これは彼の妹が、神聖皇帝の王妃となっていたからである。


エレオノーラは彼の前に膝を突いて乞う。

「伯爵様、このエレオノーラ・フォン・ホーエンラインは閣下の義務に参加しとうございます」


伯爵はその声に対して、彼女の方を見もせずに

「よいよい、わかっておる。お前のことは気に入っているからな。従軍を許可しよう」と告げた。


俺はその奇妙な会話を遠巻きに眺めて居た。

正直に言って、その老人がどれだけ偉いのかなんてことは俺には分からなかったしメンアットアームズという兵隊になるのにわざわざ君主を尋ねる必要があるのかも疑問だった。


「それで、エレオノーラ?あの薄汚い馬面は誰だ?まさか、お前の男娼か?」

と伯爵は汚く笑った。それに同調して、周りの家臣たちも薄気味悪く笑う。

エレオノーラにとってそれは耐え難い苦痛であったが、家のため唇を噛んでぐっとこらえた。


「・・・彼は、我々の客将です。東の遠国から来たとかいう男で、同じく閣下の義務に参加したいと申しております」


「東の果てとな?わしには、あの男がプレスター・ジョンには見えんが」


「彼は、我が屋敷に入った盗賊を撃退しました。剣の腕前は在りませんが、兵士に必要な胆力と決断力があります。是非とも、閣下の部隊へ入隊させていただきたく」


エレオノーラがそう言うと、伯爵は狩りに使っていた弓を下ろし

彼女の方を向いた。

そして少し首をもたげて

「わしは、お前の男爵領を誰に任せようかまだ決めかねている」と告げた。


エレオノーラはそれにひるまず

「存じ上げております。ですから、私に従軍の許可を・・!」

と懇願した。


伯爵は続ける。

「そうだお前は私に物を頼む立場だ。それなのに、恥ずかしげもなくお前はあんな小男を私の戦列に加えろと注文するのか?」


「誤解です!!断じてそのようなつもりはありません!!」


「エレオノーラ、お前が何を企んでいるか知らんがわしにはあの男が到底お前の言うような戦士の様には見えん」


「閣下、誤解でございます。私に、なんの打算もございません」


「ふんっ」

伯爵は鼻で彼女の事を笑うと、馬から降りてエレオノーラの耳元へ寄った。そして、森林の先を指さして言う。

「お前が、もし偽りなく私に忠義を誓うというのなら、あの小男にイノシシを捕まえさせてみろ」


エレオノーラはそれに対してごくりと唾を呑んだ。

「彼にですか・・?彼は、布の服しか着て居ません!イノシシに襲われれば」


「そうだ。お前は、嘘をついていないんだろう?」

と伯爵は老獪な顔つきで言う。


彼女は何か言い訳を探したが、老伯爵の目線にやり込められてしまった。

つまり、ここに彼女の進退は窮まってしまった。


ーーー


「いい?ハヤト。イノシシは前に立っちゃダメ。足の骨を折られるわよ。間違っても、正面から蹴るなんてことしないで」

エレオノーラは伯爵と会話を終えるなり、がたがたと歯を鳴らしながらぎこちなく早口でまくし立てた。


俺は彼女の焦りの前で、まったく事情がつかめなかった。

「おい!どういう事なんだ一体!?俺は何も持っていないんだぞ!?」


「そんなの分かってるよ!文句なら伯爵に言ってよ!私だって、好きであんたなんかに運命を預けるんじゃない!!」

エレオノーラはヒステリックに叫んだあと、目を閉じて深く息を吐いた。そして今度は落ち着いた口調で「大きな声を出してごめんなさい」と断った。


「そんなことは良い。一体、俺はどうすれば良いんだ?」


「・・・伯爵が言うにはこの先の林に潜む、イノシシを一頭仕留めて来いって・・・」

エレオノーラは落ち着きこそいたものの、やはり自信なさげにぼそりと呟いた。

どのみち無理だ。そういう気持ちが彼女の言葉には籠っていた。


「ねぇ、ハヤト。あんたは気に入らないけど、私の都合の為に殺すわけにはいかないよ。メンアットアームズは無理だろうけど、他の働き口を探すからさ・・!ここは一緒に頭を下げて・・・!」

と彼女は弱気になったのかイノシシ狩りを取り辞めるように言った。


確かに、こんな服でイノシシに挑めば怪我どころか命すら危うい。だが、俺はまったく諦める気など毛頭なかった。


「・・・エレオノーラ。さっきの会話は全部聞いた。

お前、この伯爵に気に居られないとまずいんだろ?だったら、俺はイノシシだろうが何だろうが仕留めるてやるよ。第一、他の職業なんかないだろう?俺も自分ができるのはこういうことぐらいしかないってわかってんだよ。だからさ、俺はやめる気はないぜ」

とカッコつけて言った。


この時は知りもしなかったんだ。獣というものの恐ろしさが。


ーーー


「はははっ、これは面白いぞ。今日の狩猟で一番の面白さだ!」

伯爵は無邪気な子供の様にはしゃいで森へ入っていく俺をはやし立てた。



俺は、こちらの世界に来た時にはもうこのボロ布の服を着ていた。安いチェニックに薄いズボン。正直、生身と大して変わらないような装備だ。


俺は、林に入ると薄暗い視界の中で目を凝らした。

そして、ざわざわと騒めく草の中に気配を察した。


イノシシなぞ、所詮は豚の類だろう。俺はそう高をくくっていた。


目の前に現れた黒い塊を最初俺は、イノシシと判別できなかった。まるで、何か巨石が転がって来たとか、木が倒れて来たとかそうゆうものの様に感じた。


「ハヤト!避けろ!!」

エレオノーラの声が響く。

俺は瞬時に気を取り戻し、右へと転がる。



「おぉー!!大きいぞ!あれは!」

伯爵と家臣たちはまるで喜劇でも見ているかのように手を叩いて面白がった。


俺は呼吸を整える。

イノシシは、正面から行ってはダメだ。あの分では、列車や車に撥ねられるのと大差ない。下手に手なんか出して見ろ。

四肢は千切れて宙を舞うだろう。


イノシシはまた方向転換してこちらへ向かってくる。

だいぶ興奮しているようで、逃げる様子はない。


俺はそれに足がすくんだ。


そして自分の判断を後悔した。


本当は彼女のためなんかじゃない。俺のエゴのためだ。

変わりたい、という一心で俺はこんな無謀な提案に乗ってしまったんだ。


俺はエレオノーラの方を向く。そこに映った彼女の顔は、顔面蒼白で今にも泣きだしそうな表情をしていた。


俺はそれを見て、何をしていたんだと再び気を取り戻す。

いくらムカついても、女性を泣かせるなんてことがあってはならない。

それがたとえ、エレオノーラだとしても。


俺は立ち止まって、イノシシを待ち構えるのを止めた。

むしろ、走り出してイノシシの脇を追った。


正面が無理なら、横からタックルしてやる。


俺はそんな無謀から毛が生えた程度の可能性にすべてを掛けて我武者羅に走った。


一度目のタックルは外した。

然し、二度目のタックルはあと少しで触れられそうになった。

体中は土と石に打ち付けて痣と血だらけになっていた。


しかし、そんなの関係ない。もはやそれに構っているようでは勝てない。俺は次の攻撃を行うためにすぐに走り出した。



そして、いよいよ三度目。タックルがイノシシの脇腹を捉えて、そのまま倒した。俺は暴れるイノシシの体に抱き着きながら抑え込もうとしたが、やはりその体は重く到底に抑えられない物だった。


「おらぁあああ!!!」俺は、不格好に叫ぶ。

叫んで獣を抑え込もうとする。しかし、イノシシは俺の手の指を折るとその隙に腕の間から逃げ出してしまった。



俺は逃げるイノシシの背中を呆然と見つめた。

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