第4話

 マリアンヌが管理する屋敷には、女中が1人と従僕が1人勤めている。

 従僕を男爵の元に遣いに出し、マリアンヌとアントワネットはギルドに出す請求書を作成していた。


 女中も従僕もやる気は感じられない様子だったが、さりとて反抗心のようなものも持っていない。

 忠誠心ではなく生活のために働いているような、緩く平穏な日常が続くことを望んでいる人たちであった。


「ふむ。あんまり税率を釣り上げても反抗されるか」


 アントワネットはマリアンヌの手元を覗きながら言う。


「ええ。不当な請求に反撃したという建前がなければ、味方を作れませんから」

「なるほど、それもまた道理だ」


 味方がいなければ、強制力を持たせることは出来ない。

 法的な正しさと、実行力はまた別なのだ。


 相手に前提条件を誤認させ、著しく条件の悪い契約を結ばせたり、騙し討ちで債務を負わせるようなやり方は、相手にそれを支払わせるための暴力がセットで必要になる。


 マリアンヌが作った書面には、相手が吹っ掛けてきた額の2倍が記されていた。

 あとは男爵の裁可を待つだけだ。


「ところで、もうじき日も暮れますが、アントワネットさんの迎えはいついらっしゃるのですか?」

「迎えなんて来ないけど」

「え?」

「そもそも貴族でもなければ、王都の住人でもないし」

「ええっ?」


 へらへらしながら言うアントワネットに、マリアンヌは驚愕した。

 口調であったり、たった1人で出歩いていたり、やたら詐欺に詳しかったりと、不審な点は多い人物である。


 だが、その美しい容貌と上品な仕草、さらには法を利用しようという発想は、豊かな階級の人間特有のものだ。


 労働は手指をがさがさとさせ、忙しい日々は爪を汚し、かくばったものに変える。髪の毛は痛んで膨らみ、流せない皮脂が埃を巻き込んで重たくなる。

 頬や首は垢で汚れ、日光に晒された肌はくすんで見える。

 所作はがさつで声も大きい。


 それが、平民の姿だ。

 貧しい平民なのに美しい娘、など夢物語。美しさとは、身なりを意識する余裕と豊かさがあって初めて生じる。


 美しいだけで、豊かなはずなのだ。


「ええと……どこか近くの家でお世話になっている、ということでしょうか?」

「全然。住所不定無職、今日から王都デビューさ」

「旅行ですか?」

「まさか。だって一文無しだよ」


 両手を広げ、指をぴらぴらと動かすアントワネット。確かに、手荷物ひとつ持っていない。


「一体どういうことですか?」

「信じてもらえるかわからないけど、神の思し召しでね。世の為人の為に生きろと、突然この王都に飛ばされちゃったのさ」


 アントワネットの現実味の無い話に、マリアンヌはなんとも言えない顔をした。

 おそるおそる、といった様子で尋ねる。


「ということは、帰る家なんかは……」

「もちろんないよ! そういえば、さっきマリアンヌちゃんを詐欺から助けてあげたような気がするなあ」


 アントワネットの言わんとすることがわかったマリアンヌは、露骨に嫌そうな表情を見せた。

 こんな怪しい人間、誰だって家に泊めたくないに決まっている。


「あーあ、240万ラインも儲かりそうなのに、まさか用済みだから出ていけなんて言われたりしないよなぁ」


 アントワネットは天井を見上げながら、棒読みで言った。ちらりと視線をマリアンヌに飛ばす。

 マリアンヌは苦虫を嚙み潰したような顔をした。


「寄る辺の無い若い女性を、平然と夜の街に放り出すなんてこと、まさか無いと思うけどなあ」


 ちらっ、ちらっと繰り返し見る。

 マリアンヌは大きく溜息をついた。


「――女中のリナに世話をさせます。大したおもてなしは出来ませんが、ゆっくり休んでください」

「おお、君の厚意に感謝するよ。お言葉に甘えて休ませてもらうね」


 お互いに別々の言葉を強調した言葉を交わす。

 マリアンヌの額に冷汗が流れた。


「言葉遣いは正確にした方がよろしくてよ、お嬢様」


 アントワネットは口調を変えながら、ウインクした。


 夕食を一緒にとり食後のお茶を楽しんでいる最中。マリアンヌがふと疑問をぶつける。


「一応の確認なんですけど、アントワネットさんのお名前って本名でしょうか?」

「本名だよ」


 マリアンヌは疑わしそうな顔をするが、口には出さない。

 目の前の人物が、何もかも正直に言ってくれるとは思えないからだ。

 幼さの残る少女のそんな様子に、アントワネットは楽しそうに笑った。


「できれば過去を語ってあげたいところだけど、それについては君の信仰心次第だ。本当に、神様が絡んだ話になってしまうからね。信じられない人に話すわけにはいかないのさ」


「神様、ですか」


 マリアンヌは複雑そうな表情で言う。

 なにやら宗教的に事情があるのか、とアントワネットが問う。


「いえ、そういうわけではないのですが……。神はなぜ、魔王などを創りたもうたのでしょう」


 魔王。

 新たに出てきたキーワードに、アントワネットは興味深そうに身を乗り出した。


「こちらに来たばかりで、魔王には詳しくないんだけど、色々と教えてもらえるかな?」

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