第30話

 高配当で利益を分配する貴族やギルドからの投資は、その1つ1つの金額が大きい。一方で、儲かるなら投資をしたいと考える庶民からの小さな投資は、いちいち集めていては日が暮れてしまう。

 それらの金を預金という形で集め、大口の顧客の1人として投資するのが銀行だ。


 アントワネットは、銀行からは低い金利で金を借りている。

 その理由として大きいのが、担保に土地を宛てていることだった。


「ほほう、どこにそんな土地が?」

「ふふ、マリアンヌ様から譲っていただいたのですよ」

「マリアンヌ様とて、個人の土地など持っていないでしょうに」

「ございますよ。マリアンヌ様の御祖父様の遺産が」


 アントワネットの言葉に、伯爵の表情が凍り付く。


 魔王の討伐が成れば、魔王に滅ぼされた諸侯の領地が浮く。

 しかし、血縁関係が深く絡み合うこの周辺地域では、せっかく土地を解放したところで、所有権の主張がぶつかり合うのは目に見えることだ。

 その懸念に対する回答。それが、マリアンヌの血筋だった。


 まだ魔王を倒せてはいない。

 だが、国には魔王を侮る空気感が蔓延している。

 それを逆手に取り、「恐れるほどではない魔王ならば、マリアンヌ様がペルシュルガを既に手に入れたも同然」とアントワネットは主張しているのだ。


「第一王子を支持されている卿ならお分かりでしょう? マリアンヌ様は、既にペルシュルガを得ているのです」

「そう……か」


 第一王子は魔王を積極的に討伐しようとは考えていない。

 支持基盤になっている貴族家が、ヨーゼンラントから離れた場所に領地を持っているからだ。

 放っておけば、ヨーゼンラントら厄介な大貴族が滅びて好都合、くらいに考えている節がある。


 積極的に倒さなくてもいい。魔王など放っておけ。そう主張したならば、マリアンヌがペルシュルガを得ていることに頷くしかない。

 逆に「魔王を倒してからにしろ!」「そんな簡単に魔王が倒れるか!」など主張すれば、マリアンヌの派閥に入らないのがおかしなことになる。


「そこでふと思ったのですわ」


 アントワネットは人差し指を下唇に当てた。思わず伯爵の視線が吸い寄せられる。

 にっと唇が横に広がった。


「ルージュラントに血縁を持つ方々で、先に領地を分配してはいかがかと」

「それは――!」

「ああ、ですが困りましたわ。すでにある程度お話は進んでいますもの。なにせ、マリアンヌ様のペルシュルガ周辺の領地から話を固めていきたいですからね」


 伯爵はぐっと拳を握り締めた。


「私とて……我が家も、その周辺貴族に縁はある」

「そうでしょう。そうでしょうとも。ええ、ええ。もちろん存じておりますよ」


 アントワネットはぐっと顔を寄せた。

 美しい顔のはずなのに、目が吊り上がり、異様に恐ろしい形相に見える。


「それが、どうかされましたか?」

「どうか、だと!?」


 アントワネットからふっと表情が消える。能面のような無表情だ。伯爵の頬に冷汗が伝った。


「魔王と戦っているのはヨーゼンラント。そして、そこに鉄道を通すのは我々。セフポン卿は既に物資と兵を水運で送り始めている。卿の兵は何をされているので?」

「兵を、出せと?」

「いえ、別にそう言っているわけではありませんわ」

「な、なにが言いたい!」

「別に何も」


 アントワネットはすっと身を引いた。伯爵には、その物理的な数メートルがいやに遠く感じられる。


「要求はございません。鉄道事業への投資は、もちろん鉄道事業からこれまで通り配当をお出しいたします。損はさせませんわ。ただ……果実を遠くから眺めてくわえている指は美味しいのかな、と気になっただけですわ」


 伯爵は歯ぎしりをした。

 目の前の女が、急に恐ろしいものに思えて仕方がない。

 最初は小娘が金の匂いのする話を持ってきただけだと思っていた。だが、いつの間にか大身の領地を持つ自分が、わざわざ足を運ぶ相手に変わっていた。

 そしてどうだ。今となっては、脅されている。気圧されている。


 マリアンヌ王女など、失脚しそのまま長い王国の歴史に埋もれて消えていくだけの存在だったはずだ。

 男爵家の不動産を管理し、まるで市井の女のように、細々と食いつなぐだけの一生を終えるはずだった。

 第一王子を支えていれば、それで安泰だったはずなのに。


 多くの貴族の思惑を巻き込みながら、嵐の中心になろうとしている。

 被害を恐れるのであれば、より早く誰よりもマリアンヌに近づかなければならない。

 伯爵の脳裏に、コルドゥアン男爵の間抜け面が浮かんだ。のんびりと王宮を散歩し、王と茶を飲み交わし、口を開けばマリアンヌを猫かわいがりするジジイ。

 震源地にいるというのに、悠々自適に見える。


「私も……マリアンヌ様を支持する」


 絞り出すような声だった。

 整えられていた前髪は、すっかり汗でよれてしまっている。


「あら、嬉しいですわ」


 沈黙が流れた。アントワネットはそれ以上、何も言おうとしない。


「……マリアンヌ様は何を望んでおられるか」


 ようやく、伯爵が続ける。

 具体的な行動の約束をしなければ、アントワネットから譲歩を引き出せないと判断したからだ。


「そうですね。私はマリアンヌ様ではありませんので、そのお心のうちを全て語るなど出来ませんが――」


 アントワネットは白々しくそう前置きをしてから言った。


「一緒に土地を売り歩けば喜ばれる、と思いますわ」

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