第31話
諸侯とは、土地があって初めて諸侯足り得る。それに向かって土地を売れとは何事か。
もちろん、貴族が土地を手放す先例はある。借金で首が回らなくなったり、飛び地を管理しきれなかったり、相続の際に細切れになって役に立たなくなったり。または、敵対派閥に囲まれて、あまりに不利な状況に追いやられたときなどもそうだ。
裏を返せば、それほどの状況にならなければ、貴族は土地を金で手放したりしない。
「ああ、もちろん今の領地を売れという意味ではございませんよ。ルージュラント内に土地を得ても、飛び地で管理しづらいではありませんか。それならば、いっそ売ってしまうのはどうか、という話ですわ」
「しかし、それとて土地は土地だろう」
「あら不思議なことを仰る方ですわ。卿はマリアンヌ様を支持されるのでしょう? 魔王を倒していない今、さも土地を得たように言うのはおかしなことですわ」
相手に立場を変えさせた途端に、言うことが変わっている。
考え方で派閥が変わるのであれば、鞍替えした途端に前提も変わる。それはそうだ。
伯爵は理性で納得できる部分がある一方で、その理屈を平然と振り回すアントワネットに混乱していた。
魔王は脅威ではないと考える第一王子の派閥なら、土地は既に手に入れた前提で話せる。
が、マリアンヌの派閥に入らなければ、その土地を得ることはできない。
そして、マリアンヌの派閥に入れば、魔王はまだ倒せていないのだから、土地は手に入れていないと言わなければならない。
無茶苦茶だった。筋は一見通っているのが、逆にタチが悪い。
「何をどうすればいいのだ……」
伯爵はすっかり疲れ果てていた。
汗が目に入る。ぼやけた視界で揺れるアントワネットは、まさしく蜃気楼の怪物だ。
「その、まだ手に入れていない土地を売ってしまいましょう。なにせ、第一王子の派閥の方々は、魔王などいないものだと思っているようですから」
「元の派閥を裏切れと?」
「鞍替えした時点で、もう裏切りは終わっておりましてよ」
追い詰められる伯爵に憔悴が浮かぶ。
その一方で。追いつめているアントワネットの顔にも、焦りのようなものが浮かんでいた。
話し合いを終え、ギルドから出た馬車の中。
アントワネットは1通の手紙を広げた。最近クリスチャンから届いたものだった。
命の危機を感じる環境に身を置いているせいか、最近は直接的に愛の言葉が書かれるようになっている。
「……中身は男なんだけどね」
――まあ、生きて帰るようなら、幾らか恋人らしいことをしてもいい。
なんて思うのは、体が女になった影響なのか。それとも、罪悪感からだろうか。
クリスチャンの手紙によれば、徐々に魔王軍は数を増やしているらしい。直接的な当たり合いを避け、逃げ回りながら小規模な村落を荒らしている様子。
追い回して戦ってはいるが、未だ大きな打撃を与えられておらず、いつか魔王軍の規模が大きくなることを危惧していた。
幸い、まだ大きな怪我はしていないらしい。
頼りなかった彼が、戦場で民のために戦っている。誇らしいような反面、やはり心配と罪悪感があった。
理性では、自分がどんな行動をとったとしても、クリスチャンはいつか戦場に身を置いたとわかっている。それがヨーゼンラントの風土だ。
ただ、それは理性だけだ。
一方その頃。アントワネットの始めたマルチ商法は、セフポン伯爵領と王都の2か所を起点として、国中に大きく広がり始めていた。
管理されたマルチ商法である、アントワネット考案のものは、幾らかの悲劇を伴いながらも、順調に会員数を増やしている。
だが、儲かっている人を見れば、後追いしたくなるのが人間の心理。小賢しいものが真似をしようとし、野良のマルチ――いや、ねずみ講を展開し始めていた。
セフポン伯爵を巻き込んだ理由とも言える、商品を用意する力。これは一般人では絶対に持ち合わせていないものだ。
それでもシステム自体は真似したい。そこで、彼らは下位の会員を増やせば儲かるというところにだけ注目し、会員権という形の無いものだけを売り始める。
形がなければ後ろ盾という信用もない。勧誘が普通よりも難しくなるのは当然のこと。
ねずみ講の主催者らは、射幸心を煽る詐欺まがいの勧誘や、脅迫じみた勧誘を繰り返し、大きなトラブルを引き起こしていた。
その話をコルドゥアン男爵から聞いたマリアンヌは、帰宅したアントワネットに相談する。
「ふーむ、思ったよりも後追いが早いね。もう少しは時間に余裕があると思っていたんだけど」
マルチ商法は、商品が必要な人に行きわたれば、あとは大量の在庫を抱えたビタ1文儲からない会員が大量発生する。この商法が抱える、根本的な時限爆弾だ。
だが、それとは別にもう1つ時限爆弾がある。
それは、悪質な勧誘や、後発の悪質業者により、商法そのものが悪だと認識されること。
かなりグレーに近い手法をとっているからこそ、評判が下がるのは避けたい。
「締め上げるか。マルチ商法をギルド化して、実体のないものを販売するねずみ講は、イーペ川に浮かべてしまおう」
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