第32話

 マルチ商法そのもののギルド化は難しかった。結果的に、物流ギルドに吸収される形で、利権を確保する運びとなった。

 物流ギルドが睨みをきかせ、ねずみ講は一時的に衰退する。


 ――またすぐに、どこぞの悪人が始めるんだろうけど。


 そう考えはしたものの、既にアントワネットがコントロールできるものではない。

 悪人に発想のブレイクスルーを与えたことへの反省はあっても、それ以上は想像しないよう、意識的に頭を切り替える。


 羽ペンであごの先をすりすりとなぞる。

 アントワネットが眺めているのは、建築資材の発注表だ。


「うーん、お金は使いたくないんだけどな。でも、何かしらでお金を使わないと怪しまれるし」


 集めた投資の金をどう使うかで悩んでいた。

 ヨーゼンラント公との手紙のやり取りで、必要物資のリストは貰っている。どうにかそれを、周囲から見て自然な形で調達しなければならない。


「買った建材で、セフポン卿のところに工房を立てて、鉄で武器を作ってから送る。ってのは悪くないと思ったんだけどねえ」


 蒸気機関の開発も並行して進めている。

 既にこの世界で生まれていたノウハウに、アントワネットのうろ覚えの知識が合わさり、どうにかそれっぽいものは生まれていた。

 蒸気機関の生み出す強力なピストン運動は、鍛冶の分野でも大いに生産力を引き上げている。


 アントワネットを悩ませているのは、食料の調達だった。

 鉄道計画に関係なさそうなところに、アントワネットがじゃぶじゃぶと金を使っていては怪しまれる。


 まぁ、元から返すつもりもない金。それをバレるのが早いか遅いかでしかないが、アントワネットとしては今はまだ時間が欲しかった。



 アントワネットの鉄道計画のような金の集め方を、ポンジスキームと言う。

 投資を募り金を集め、定期的にちゃんと配当を出す。この配当の出所は、もちろん投資で集めた金だ。鉄道など実際に作りはしない。


 例えば、100万円払えば毎月10万円貰えます。11か月目からは利益ですよ、と金を集める。

 そこから毎月、律儀に10万円渡していく。こうして信用を得て、さらに多くの投資を集めたら、残った金を持ち逃げしてしまう。



「魔王の動きが早くて焦っちゃったからなー」


 ポンジスキームの肝は逃げるタイミングだ。

 配当をきちんと払う性質上、ダラダラと続けば詐欺師の側が損をする。

 魔王襲来に焦り、元の予定よりも早く金を集めすぎてしまったアントワネットは、時間の綱渡りに苦しんでいた。


 誤魔化し誤魔化し金を資材に変えて前線に送らなければいけない。

 自分の計画が破綻する前に、物にさえ変えてあげれば、前線では役に立つ。


 ――悩みが多いな。一難去ってまた一難だ。


 土地転がしの方もやらなければならない。

 アントワネット個人が抱えるタスクが多くなりすぎていた。

 アントワネットが占領している書斎のドアがノックされる。


「マリアンヌです」

「どぞー」


 お茶の乗ったトレーを片手にマリアンヌが入って来た。


「お姫様なのにそんなことしていいのかい?」

「貴女はここ最近、書斎に人が立ち入るのを嫌がるではありませんか」

「そりゃあ、見られたくない乙女の秘密でいっぱいだからね」

「最近の乙女は壮絶ですね」

「恋は戦争だからね」


 適当な返事をしながら手を止めないアントワネット。

 マリアンヌは溜息をついた。


「少しくらいは手伝わせてくれてもいいのではありませんか?」

「猫の手なら借りたいんだけどね。マリアンヌの手は借りたくないな」

「猫以下ですか?」


 語気が強くなった。

 アントワネットの手がピタリと止まる。くるりと体をマリアンヌに向けた。


「世の中には、汚していい手と汚してはいけない手がある」

「私は手を汚してはいけないと?」

「そうだよ。こんなに綺麗な手じゃないか」


 誰の命も握り潰したことのない、綺麗な手だ。白魚のように細く、傷一つない。

 それが、きゅっと握り込まれた。


「私の父は――陛下の手は、傷だらけで、大きい」

「そうだね。立派な人だった」


 マリアンヌの目がきっと鋭くアントワネットを見据える。


「王家の人間は、漫然に、散漫に、善良に生きられません。そうあってはなりません」

「陛下みたいになりたいの?」

「そのままの姿になりたいとは思いません。陛下に出来て私に出来ないことは多いです。だからといって、清濁併せ飲むことも出来ない人間でいたくありません」


 声が震えていた。

 王も、ヨーゼンラント公も、クリスチャンも、そしてアントワネットも。

 マリアンヌの周囲には、英雄たちが集っていた。命を消費しながら、命を守る者たちが。善悪を越えたところで足掻き、戦う者に囲まれ、ただの蝶ではいられない。


「元の世界でのことは知りません。貴女がどんな人だったか、どんな生涯だったのかも。でも、貴女はここに神に遣わされて来たのでしょう? 今の貴女は、国を救おうとしている!!」


「カスは、どこまでいってもカスだよ」


 マリアンヌの瞳に映る自分自身が、アントワネットを睨みつける。

 ようやく――遅すぎるが、ようやく芽生えた他者への思いやりが、アントワネットを弱くしていた。

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