第48話
罪状の読み上げが終わった。
アントワネットは手に持っていたものを置く。
バロウンス公爵が扉を開き、滑りるように馬車を降りた。エスコートする位置でアントワネットを見る。
アントワネットは中腰で屈み、ドレスの裾を持ちながら体を動かす。その頬に手が添えられた。マリアンヌだ。
顔が寄せられた。そっと触れるような口づけを交わし、マリアンヌは微笑む。
もう何度も別れは惜しんだ。何度も泣いた。この日に笑顔で見送るために、幾度も苦悩の夜を過ごした。
減らず口ばかり回るアントワネットが、何も言わずに微笑む。マリアンヌと数秒見つめ合ってから、バロウンス公爵の手も取らず、自分の足で馬車の外に降り立った。
「いいのか?」
「もちろん」
誰かにエスコートされることもなく、兵士に引きずられることもなく。
縄も打たれていない自由な囚人が、その足を処刑台の階段に乗せた。
1段。高いヒールがかつんと木の板を打つ音がした。
デザインからアントワネットが関わって作った、光沢の美しい赤いヒールだ。
2段。真っ赤なドレスが揺れる。
この地域、この時代では誰も着たことがない、大胆に背中の開かれたバックレスドレスだった。遠目に、そして正面からはシンプルなデザインに見えるが、細部に至るまで繊細な装飾が施されている。
3段。アントワネットは胸を張る。
視線は真っすぐに頂点を目指し、あごをつんと上げ、口元には不敵な微笑み。怯懦もないが、反省もない。
正面からはまだその姿が見えない。だが、後ろから見守る騎士たちは思わず感嘆の声を漏らした。
4段。5段。6段。
踊るように軽い足取りだった。群衆はアントワネットの顔を見た。
技術の粋を尽くした化粧を施され、派手さと強さの強調された顔立ちは、どれほど遠くから見ても美しさを感じ取れた。髪は高い位置でまとめて結い上げられており、肩から首の優美な輪郭を見せつけている。
最後の段に足が乗せられた。
本来なら野次が飛ぶところだったはずだ。騎士たちは群衆の怒りが暴走し、石が飛ぶことすら想定していた。
そのどれもなく、広場を静寂が包んだ。
騎士団長が断頭用の大剣を抜く。
曇天の下、刃の輝きは鈍い。
アントワネットは片膝をつけた。
そして、自信に満ちた笑みを浮かべて言葉を放つ。
「稀代の詐欺師、アントワネット=イニャス・ギヨタンの最期だ。とくと見るが良い。いいかい、本物の詐欺師というのは、首を刎ねてもなお喋るというものだ。耳を澄ますんだ!」
静寂に響いたその内容に、誰もが目をくぎ付けにされる。
固唾を飲む群衆に見守られ、アントワネットは頭を垂れた。
ざん。
振り下ろされた断罪の
小さな頭が笑みを浮かべたまま、くるくると宙を飛ぶ。
万の人間の注目を浴びながら、それは広場の地面に落ちた。
多くの人間がその言葉を待った。石畳の上に真っすぐに乗った首は何も話さない。ただ最期の表情を浮かべているだけだ。
待てども待てども何も聞こえない。
だんだんと群衆がざわめく。
「おい、嘘じゃねえか」
誰かが言った。
それを切っ掛けに「噓だった」「騙された」という声が前から後ろに広がっていく。やがてそれは騒ぎとなり、訳の分からぬまま後ろにいた人は「何か言ったらしい」と騒ぎ出す。
言った言わない、あれを言った、いいやこれを言ったんだ。情報は一瞬にして錯綜し、根拠のない噂と伝説が誕生しようとしていた。
混乱し収拾がつかない広場の様子を見て、バロウンス公が馬車に戻った。
「マリアンヌ様」
「大丈夫ですよ。行きましょう。群衆がどうなるかわかりませんから」
「かしこまりました」
公爵が御者に指示を出し、馬車が動き始める。
広場では数人の騎士がアントワネットの遺体を回収し、人々に解散を呼び掛けていた。
「御覧にならなくて良かったので?」
セフポン伯が訊ねる。マリアンヌは寂しそうな表情で頷いた。
「ええ。とても耐えられなかったと思いますので。それに、聞こえ……聞こえてい、いたので……っ」
言葉が途中で詰まる。
瞳を潤ませ、唇を噛んで天井を見上げた。
――馬鹿な人。
どうせ死後の世界でワインをラッパ飲みして、へらへらと笑いながら群衆の様子を見ているに違いない。そう思うと、笑えばいいのか泣けばいいのかわからなくなった。
「きっと……本人は満足、したのでしょうね」
「ええ。とても気高く、そして楽しげな様子でした」
一部始終を見ていたバロウンス公が言った。
マリアンヌの悲しみを心から理解できる者はいない。あんなにも軽快に処刑されゆく友人を持った者など、この中にはいないのだから。
言葉に出来ないそれぞれの思いを抱えながら、馬車は王城に向け走った。
突如として現れた美麗なる詐欺師アントワネット=イニャス・ギヨタン。
彼女はわずかな期間で王国中に爪痕を残し、その正体すら知られぬまま世を去った。語るには多すぎる伝説を残して。
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