第39話

 魔王。その言葉がいつから使われ出したのか、誰が言い出したものなのか。

 それはもう歴史の中に埋もれ、誰も知らない。

 ただ、この世界のあらゆる地域、あらゆる人間が近しい語彙でそれを表現するする。


 なぜか、人間にはこれまで「英雄」と称される者は現れなかった。

 地球で言うところのアレキサンダーもチンギスハンもナポレオンも生まれず、ただ散り散りな小国たちが争うばかり。

 1つの種を束ねて侵攻する魔王は、簡単に人間国家を破壊して回った。


 後世から歴史を振り返るならば。

 きっとこの戦争は転換点だったのだろう。


「シラノ、待たせたな」

「待たせ過ぎだ阿呆」


 ヨーゼンラント領都。その質実剛健な城壁の前に、巨大な軍勢が到着した。


 迎え出たのはシラノ=ド・ヨーゼンラント公爵。

 戦装束に身を包み、腰にはサーベルをさげている。細身で鷲鼻わしばな、神経質そうな外見で、その見た目は武人というよりは徴税官といった印象が強い。

 一方で相対するのは、屈強な体つきと向こう傷まみれの凶相の男。グリーズデン6世だ。


 独立を考えていた公爵は、王と気安い様子で握手した。


「セフポンの息子も死んだぞ」


 さらりとそんなことを言う。

 王は小さく頷いた。


「若い奴から死ぬな」

「勇敢だからな」


 公爵は自嘲の混ざる顔つきで言った。


「わしらくらいの歳になると、誰が指揮を執るだの、戦後はどうするだの、後継ぎはどうするだの考えて、生き汚くなってしまう」

「生き汚くなったくらいで生き残れているのがお前らしい」


 王は褒めているのかわからない言い方をする。公爵は懐かしそうに笑った。


「貴様は本当に言い回しが下手くそだ。貴様の言葉で喜ぶのは死兵だけだぞ」

「ならば、この戦場では誰もが喜ぶということだな」

「いい得て妙だ。その通り」


 本当に全員が死を覚悟しているわけではないだろう。全員に死の可能性があるというだけで。

 ただ――王その人が死兵になろうという今、自分だけが生き残りたいと考える軟弱な男は、この場にいない。


「さて。魔王の面でも拝んでやろうか」


 長い行軍の中で、王が連れてきた軍勢は兵士が入り混じり、独特な指揮系統が誕生している。

 反抗的な諸侯も、すぐ直下の下士官が王の手駒に入れ替わったりするせいで、すでに反発することを諦めていた。バロウンス公爵ですら腹を括り、もはや仕方なしと魔王と戦うつもりでいる。


「陛下。この軍は市中に入れますか? それとも壁の外で陣を組みますか?」

「まずは中に入れる。魔王軍を壁から剥がしてから外に展開するぞ」

「御意」


 王の言葉に、バロウンス公爵が一礼した。

 王と2人の公爵を筆頭に、大軍勢がヨーゼンラント領都の中に吸い込まれていった。


 総勢27万人。そのうち魔法が使え、前線で戦える者6万人。予備役とも呼べる寄せ集めの素人5万人。物資の輸送やそのほか後方を担う者16万人。


 無茶苦茶な動員だった。

 魔王を倒すという1つの意思にのみ突き動かされることで実現した、巨大すぎる軍団。

 この世界の歴史においては、史上最大の軍事行動だった。


 魔王軍の侵攻を受け止めている側の城壁に移動した王と公爵たち。

 まともな声量ではまったく聞こえなくなるほど、破裂音や地鳴りが響き渡っている。


 方陣を組んで魔法を放つ軍に、土石流とともにケンタウロスの軍団が突っ込んでいく。

 切り裂かれた方陣は、不屈の意思ですぐに穴を埋め、同時にケンタウロスを削る。


 まるで砂場を刃物で切るような光景だった。

 犠牲を出し、血を流し続けながら、それを数の力と統率力で無かったことのように見せかける。


「凄まじい統率力だ……」


 バロウンス公が目の前の凄惨な光景を目にし、そう呟いた。

 並の軍なら一撃で戦意を持っていかれそうな突撃を、何度も受け止めては立て直している。それどころか、最前線のケンタウロスの数を減らしているのが目に見えてわかる。


「ヨーゼンラントだな」


 王が端的にそう言った。

 ヨーゼンラント公は誇らしげに答える。


「士官の育成には大きな費用と長い年月をかけたからな。隣で戦友が死んでも、声を張り上げられる者ばかりだ。それに、セフポンのところの奴らとよく馴染んでいる」


 セフポン伯の軍は、海兵上がりが多い。

 陸の兵士より粗暴だが、戦争がなくとも波に仲間をさらわれ、ときとして船全体で死にかけることが多い海兵は、非常時において頼りになった。

 彼らのタフさと声の大きさ、そして不屈の精神は、ヨーゼンラントを力強く支えている。


「セフポンの息子が戦死した次の日も、何もなかったように戦っている」


 バロウンス公爵は嫌な顔をして頭を搔く。


「海の男の方が陸で役に立つってのも腹立たしい」

「それならば、山の男たちの力を見せれば良い」


 逞しいのは海の男だけじゃない。

 バロウンス公は金融で名声を得た男だが、元はといえば鉱山の荒くれたちを束ねる支配者だ。


「頑強って言葉の意味をいっちょ知らしめてやるか」

「そうだな。そこのあいつに教えてやれ」


 ヨーゼンラント公がサーベルの先端で、遠くを指す。

 鎖帷子の鈍色の群れ。その中で、ひときわ大きな馬体が遠くからでもよく分かった。


 他のケンタウロスがサラブレッドなら、1人だけペルシュロン。

 馬の背中までの高さだけで2メートル半はあり、頭頂部までの高さは4メートルもありそうだ。体重は優に2トンを超えるだろう。

 四脚の巨人が、王を見据えていた。


 両者の口がにやりと吊り上がる。


「楽しみだ」

「ああ、さっさと殺ってくれ。道はわしが開くさ」


 王とヨーゼンラント公は頷き合った。

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