第38話
深みのある力強い声が、朗々と響き渡る。
『諸侯たちよ、よくぞ立ち上がった。その忠誠心、国を想う心に感謝する。ここに集まる全ての
諸侯の軍がざわつき始めた。
『魔王は恐ろしい。数国を焼き払い、隣国のルージュラントを切り裂き、多くの民を大地に鋤き込み、数え切れぬほどの貴種を根絶やしにした。そして、奴らは今ヨーゼンラントにまで来ている。遠いか? 否、目と鼻の先ですらない。奴らは今、我らの家のドアを開き、玄関で友を食い殺しているのだ!』
王は抜き放った剣を天に掲げた。
陽光を反射し、きらりと輝く。
『魔王を許すな! 家族を守れ! 友を食わせるな! そして何より――全員で生きて生き延びるぞ! 余はいつも、そなた達の前にいることを誓おう! これから先、我が国の者が見る余の姿は、常に背中である。最前線で戦う余について来い!』
王は剣を振り下ろした。
『いざ、全軍出陣!』
大地の隆起がもとに戻り、王は馬上の人となった。
近衛騎士団を先頭に、続々と軍勢が後ろに続く。狼狽し統率がとれていない諸侯の軍を巻き取るような行軍。慣れていない兵卒からその流れに飲み込まれていき、次々と王の軍に続く流れが生まれた。
指揮官や騎士以外は、どの兵士も似たような恰好をしている。あっという間に所属がぐちゃぐちゃに混乱し、軍は混ざり合った。
こうなってしまっては乱戦すら出来ない。
人の流れに飲み込まれるようにして、騎士や諸侯も王に続く。
大地を人の色に塗り替えて進む大移動に、アントワネットは深く息を吐き出した。
そして、ぺたりと城壁の上に座り込む。
マリアンヌがその隣にしゃがむ。
「大丈夫ですか?」
「あははは、ちょっと腰が抜けちゃった」
力の抜けた顔で笑うアントワネット。マリアンヌが初めて見る表情だった。
マリアンヌの手が伸びる。
アントワネットの顔が、マリアンヌの胸にうずめられた。
「えっ?」
アントワネットが困惑の声を漏らす。
どうして抱きしめたのか自分でもわかっていないのか、マリアンヌは目を白黒させた。それから、目を伏せて柔らかい表情で言う。
「お疲れ様です。アントワネットさん」
「……うん」
アントワネットの体から力が抜ける。ゆったりとマリアンヌに体重を預けた。
マリアンヌの腕の中のアントワネットは、彼女の予想よりもずっと軽かった。コルセットの着用の為に無理なダイエットは彼女らの常ではある。だが、それ以上に、心身を削り絞り出した者の軽さがあった。
城壁は小さく振動し続けている。
あまりに多い兵士たちの行進が大地を揺らしているのだ。
壮観だった。まとまりを欠いていたこの国で、かつてない規模の大軍勢が動き出していた。
「アントワネットさん。ありがとうございます。これならば――これならば魔王に勝てます」
本当に勝てるかはマリアンヌにもわからない。だが、これで負けるようなら人類の負けだと潔く諦められる、そんな達成感があった。
「なははは、いやーできちゃったねぇ。まさか本当に成功するなんて」
――賭けだった。成功率の低い賭けだと思いながら、王に打診したんだけどな。
資金を集めながら物流を作る。
人の流れを活かし、派閥の貴族が国内で動きやすいようにする。
投資を集め、多くの貴族を利害関係に巻き込んで、そこに土地の売買を流す。
バブルで高騰した土地をきちんと得るために諸侯が動かざるを得なくし。
それらの絵を描いたアントワネットの信用を棄損することで、投資と投機に危機を与える。
諸侯を怒らせ、恨みを買い、軍を起こさせる。
長い、長い計画だった。
アントワネットの遊び心から始まったこれは、最後に王の求心力と勢いでもって、強引に完成された。
「一生懸命考えてコソコソやってたのに、最後に美味しいところ丸ごと持っていくんだから、陛下は無茶苦茶だよ」
「理性を越えた魅力のある方ですから」
呆れた顔のアントワネットに、マリアンヌも苦笑した。
戦場で男たちを魅了する王というのは、これほどの存在なのだ。
「あー、疲れた。あとは朗報を待つのみか」
「そうですね」
アントワネットは広く大きな空を仰ぐ。
――悲しい知らせは、もう勘弁だ。
これから旅立つ戦士たちの無事を祈った。
「こんなときばかりは、自分の体が女なのが恨めしいよ。なんで神様は私を女にしたんだろうね」
「戦場に行きたいのですか?」
「行きたくもないけど、行けないのは悔しいのさ」
結果が同じでも、選べるか選べないかには大きな違いがあるのだ。
贅沢な言い草だが、これだけのことを成したのだ。少しくらい我儘を言ってみたところで、神も見逃してくれるだろう。
「兵士には出来ないことを成し遂げたばかりで、何を言ってるんですか」
「それもそうだ」
美女の体を貰えてなければ、こんなに自由奔放に動き回ることもできなかっただろう。
アントワネットは口をへの字に曲げた。
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