第28話

 アントワネットとマリアンヌがそれぞれの行動を開始して4か月が経った。

 王都の屋敷で2人で過ごすのは、随分と久しぶりのこととなる。


「元気してた?」


 そう訊くアントワネットは、ワインをボトルのまま引っ掴み、胃に流し込んでいる。あまりにも行儀の悪い姿だが、マリアンヌは何も注意しなかった。

 毎日毎日コルセットで体を締めあげて、ちまちまとお上品に食事をし、堅苦しい場で話をする日々が想像できたからだ。


「そういうアントワネットさんは元気じゃなさそうですね」

「むーん、ちょっとスケジュールミスってねぇ。知ってた? コルセットって3日連続でつけると、肌が変色するんだよ」

「知っていますよ」

「そりゃそうか」


 アントワネットはボトルの口に息を吹き込み、ポーーーと高い音を鳴らす。アルコールの匂いが部屋に広がった。


「荒んでいますね。やはり、あの知らせですか?」

「まぁねえ。それに、クリスチャンから手紙が来てたんだよ」


 アントワネットが予定外れにスケジュールを詰めたのは、ヨーゼンラントから届いた知らせに原因があった。

 魔王軍がついにヨーゼンラントに辿り着いたのだ。


 その形は誰も予想していないものだった。

 電撃戦による縦深突破。とにかく前へ前へと縦に長く進み続けた結果、ルージュラントを貫通し、先頭の一部のみがヨーゼンラントに届いていた。

 ごくごく小規模で、本格的な侵攻ではない。ヨーゼンラントは幾らかの犠牲を払いつつも、どうにか撃退に成功している。


 この知らせを受けても、なお国内の空気は楽観的だ。

 細長く伸びた軍団など、横から食い破ってしまえば良い。ルージュラントにはそれが出来るはずだ。ヨーゼンラントがしばらくの間食い止めれば、自然と魔王軍は瓦解する。

 そんな風に考える貴族も多かった。


「でも、そんなにアントワネットさんが事を焦るとは思っていませんでした」

「そうかな?」

「今しているのがどんな悪事なのかは知りませんが、そちらの成功を優先するものかと……」

「うーん。まぁ、それも良いかなとは思ったんだけどね」


 実際のところ、アントワネットが今の計画を急ぐ必要はない。

 時間をかけて配当を撒いて信用を稼ぎ、投資を集められている。小規模とはいえ、ヨーゼンラントで戦いが起きたのなら、今後の投資はもっと過熱していくことだろう。

 約束された成功に、ゆっくり堅実に進んでいけば良い。

 アントワネット自身もそのつもりだった。


「クリスチャン、初陣に出たんだって」

「ついにですか」


 マリアンヌはなんてこともなく、ただそう返した。

 アントワネットはへらりと自嘲の笑みを浮かべる。


「私がいた世界ではね。いや、その世界の私の国では、戦争なんて他人事だったんだ」

「――――それは、いい国なのですね」

「うん。とてもいい国だったよ。死ってやつは全然身近じゃなかったんだ。戦争してもしなくても、生きている人の数だけ死があるというのに、意識から遠ざかってしまうくらい平和なところでさ」


 大きく上下に動くボトルに対し、中身はあまり減っていない。

 細い喉が小さく動いた。


「知り合いが戦争に行くのは、不安だ」

「その気持ちはわかりますが……アントワネットさんは、そのクリスチャン様を騙していたのではありませんか?」

「そうだよ。騙した。私が彼に、余計な勇気を与えてしまったんじゃないかと、ずっと考えてしまってる。嘘偽りというものが、ここまで具体的に人の命に触れていることを実感したのは初めてだ。自業自得なのに、耐えかねてる」


 アントワネットの声はあくまで静かだった。淡々と自分を責めるような声に、マリアンヌは言葉が出ない。

 また、ポーーーと音を鳴らす。先ほどより少しだけ高かった。


「ずるいだろ? 加害者が被害者みたいな顔してやがるんだ」

「そう、ですね。例えお金を騙し取っただけでも、それが命に繋がる場合もありますし」


 詐欺に騙され大金を失い、一家離散の上で首を括る。なんてのもありふれた地獄だ。どこにでも落ちている話で、さしたる同情も買えやしない。

 誰かを騙した時点で、他人を心配する権利も、同情される権利も失う。


 人を食ったら人ではない。獣に堕ちるのだ。


「きっと、私はすでに何人も殺しているんだろうね。そして、これから死ぬ人も出るのだろう」

「ええ、貴女がそう言うのなら、そうなのでしょう」


 アントワネットの懺悔ともつかない言葉を聞きながら、ふとマリアンヌは思った。


 ――今見ているのは、ヨーゼンラントで見たものとなにが違うのだろう。


 道端で寝転ぶ老人がいる。戦が起きても都市に逃げ込めない農民がいる。

 目的の為、大局のために命の選別をし、人死にを見過ごしている。


 貧民は、罪を犯して貧しくなったわけじゃない。能力や運や環境や意思など、色々な要素のどれかに欠けがあり、そうなってしまっただけだ。

 詐欺に騙されてしまった者も、真偽を判別できない何かしらの理由があった。

 悪意の介在という違いこそあるが、相手に非がない理由で命をふるいにかけることに変わりはないのではないか――。


「止まる気はないのですか?」


 きっと、これをマリアンヌがアントワネットに訊くのは最後だ。

 そして。


「ないね」


 傷ついているくせに、にべもなく答えるアントワネットが変わることもない。

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