第45話

「きっと、一般的に言うところの『詰んでいる』という状況なのでしょうね」


 アントワネットは自分の状況をそう称した。

 王子の恨みを買っている。多くの貴族の恨みを買っている。富裕層やギルドなどからも金を集めた。市民の恨みも買っている。

 マリアンヌを勝たせるには自分が邪魔で、そしてマリアンヌが勝たなければ庇護者がいなくなる。


「貴女は……こうなることがわかっていたのでは?」

「いえいえ、驚いておりますわ」

「白々しい。全てを手のひらで転がして、すべて抱え込んで死ぬつもりか?」


 アントワネットは何も答えない。

 公爵は苦々しげな顔をした。


「神気取りだ。傲慢だ」

「犠牲だなんて殊勝な考えはなくってよ?」

「必要悪を、罪を抱えて死ぬことを犠牲と呼ばずになんと呼ぶ」

「必要悪などございません、閣下。悪は悪なのです。悪は手段であり、必要であったかは結果。悪を手段とすることに、正しさはございませんわ」


 アントワネットの言葉は極論だ。だが、公爵は反論しようとしなかった。

 ゆるゆると首を振り、諦めの強く滲んだ声色で言う。


「貴女の命だ。それに、貴女が死ぬことに異論があるわけではない。その方が都合が良い。むしろ死んでくれという気持ちだって少しはある。それで、マリアンヌ様は知っているのか?」

「いいえ」

「言わなくていいのか?」

「そろそろ伝えなければなりませんね」


 流石にアントワネットは沈んだ表情をした。

 マリアンヌはどう言うだろうか。きっと反対するに違いない。あらゆる手を尽くしてアントワネットを守ろうとするに違いない。

 その結末は、多くの人を不幸にする。


「自分でしたことだ。きちんと始末をつけてきなさい」


 公爵は、まるで娘に対するように言った。

 アントワネットは年相応に、素直に頷いた。



 その夜。

 マリアンヌはアントワネットに誘われ、かつてマリアンヌが管理人をしていた屋敷に来ていた。

 王城を離れるのは久しぶりだ。この日ばかりは侍女も置いてきている。


「いやー、懐かしいね」


 寝室でベッドに腰をかけ、アントワネットが足をぱたぱたさせた。真っ白な絹のガウンの裾がひらりと動く。なんとなくその動きを目で追いながら、マリアンヌは隣に腰かけた。2人分の体重を受けて、ベッドが沈む。


「あれからどれくらい経ちましたかね」


 マリアンヌは出会った頃より幾分か大人びている。

 アントワネットは出会ったときより少しだけ痩せているようだ。ずっと忙しい日々を駆け抜けてきた。心身に蓄積した疲労が、少しずつアントワネットの体を削っていた。


「さあ。余計なこと考える暇もなかったね。あっという間だった。折角知らない世界に来たっていうのに、狭い世界の中だけで遊んじゃったよ」


 マリアンヌの目がすっと細められた。唇がきゅっと引き結ばれる。それに気づかないふりをしながら、アントワネットはあくまで気楽な調子で話し続ける。


「まぁ、おおむね満足かな。マリアンヌにも会えたし、自分の力を最大限に使える機会なんてほとんどないからね」


 すぅ、と息を吸う音がした。それから。


「貴女も私を置いていくのですか?」


 震える声で言った。


「ごめんね」


 素直な謝罪に、マリアンヌは言葉を詰まらせる。

 謝罪は肯定と同じだ。


「どうして、ですか?」

「どうしても何も、派手にやりすぎちゃったからね。色んな人から恨みを買うって忠告されていたのに、聞かなかった結果さ」

「そんなこと。そんなこと、どうにでもなったではありませんか。貴女のことです、全部わかってしたのでしょう!?」


 それは悲鳴だった。細く掠れた声でマリアンヌは叫ぶ。


「みんな私のことを評価してくれてるんだね。まぁ、その通りだよ。この一連の流れを考えたときに、最後のピースとして私の死が必要なのはわかっていた」

「おかしいですよ、そんなの。なんで、なんで!」

「別に死にたかったわけじゃないんだ」


 アントワネットは後ろに体を倒す。ベッドの上で仰向けになりながら、ぽつりと言う。


「逃げることとか、上手くやんわりと着地させる方法とか、そんなことも考えたりしたんだ」

「――だめだった、のですか?」

「いや、きっとどうにか出来たんだと思う。切っ掛けはクリスチャンが戦場に行ったことかな。あんな良い子が、自分の役割を全うするべく命を懸けた。自分の人生というものに、ちゃんと責任をとったんだ」


 それは貴族としての責任であり、彼を生かし育ててきた全てのものに対する責任だったのだろう。


「私は前世では何一つ自分がしたことの責任をとらなかったんだ。誰かを不幸にして自分だけ楽しんで、騙された者をバカにして、一人で勝手に死んでいった。誰の気持ちも晴れず、何の役にも立っていない。死の瞬間までどころか、死そのものすら無責任だったんだ」


「それで、今世こそは命で責任をとりたいと言っているのですか?」


「そうだね。恨みを買ったから仕方なく死のうとしてるんじゃなくて、初めて自分がしたことを受け止めてみたくなったのかもしれない」


 マリアンヌはようやくアントワネットが語って来た出自が真実だと理解した。

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