第44話

 魔王軍との戦いでバロウンス公爵が果たした役割は大きい。

 彼本人の戦果はもちろんそうだが、彼が筆頭となって連れて行った軍勢もまた、戦場で非常に役に立った。


 数の多い諸侯軍をヨーゼンラントに送るために、アントワネットと王は、さも諸侯が魔王軍と戦う為に王都に馳せ参じたかのように演出した。そうでなければ、魔王の脅威が迫る中で、泥沼の内戦に突入していた可能性すらある。


 そのことが裏目に出ている。

 完全に英雄として国民に受け入れられたバロウンス公は、王とヨーゼンラント公亡き今、比類なき発言力を手に入れていた。


 そんなバロウンス公とアントワネットが、王城のバルコニーに並んで立っていた。

 後ろに数名の侍女こそ控えているが、ほとんど2人きりの状況で、涼しい風に当たっている。


 手足を失ったバロウンス公の義足は、シンプルな木の棒だった。彼の身分に合うものがすぐに用意できなかったのか、それとも戦の空気が色濃く残る中では、その方がと判断したのか。

 残った右腕で、豪奢な装飾の施された柵にもたれかかる。


「上手くやったものだ。おかげで魔王なんぞと戦わされた」


 しんみりとした口調で公爵が言った。


「閣下の勇気と武に感謝と尊敬を表明いたしますわ」


 アントワネットの言葉は本心からのものだった。

 利用した。騙した。政治的に対立している。

 だが、それはそれとして、彼の戦場での功績を称える気持ちは確かなものだ。


 ――多くの人間を戦場に送り込んだというのに、私自身には傷のひとつもついていないからね。


 アントワネットはどこか自罰的な感情も混ざった敬意を戦士たちに向けている。


「なんだ」


 公爵は意外そうな顔をした。


「憎まれ口でも叩くと思いましたか?」


 アントワネットは公爵の目を見る。

 お互いの視線は、それぞれらしくない純粋さをもってぶつかり合う。


「いや。むしろ暗殺されるかと思っていた」

「まさか。殺しは私の領分ではありませんわ」

「そうか。そうなのだろうな。回りくどいやり方を楽しむ女だ。丁寧なパズルを解くように物事を運ぶ人間にとって、殺しなどは直截過ぎて華がないか」

「おっしゃる通りです、閣下」


 美学と呼べるほどのものでもないが、アントワネットには公爵を殺すという考えは最初からなかった。

 すっと視線を外したアントワネットは、王城からの眺めに目をやる。長く派手な金髪が風にそよいだ。


「それで、英雄閣下がこんなところで立ち話に付き合ってくださる理由を、お聞かせ願えますか?」

「話しておきたいと思ってな。私にはマリアンヌ様の派閥に入る予定がある」


 公爵はゆっくりと、正しく言葉の意味が伝わるように言った。


「そうですか」

「驚かないのだな」


 公爵も視線を王都の景色に向けた。

 ヨーゼンラントの復興のために、様々な物資がせわしなく動かされている。物価の上昇も止まらないが、仕事もその分増えた。王都の市民たちは日夜それぞれの為すべきことに励んでいる。


「理性的に判断のできるお方でしょうから。閣下の名声を最大限に使ってあのボンクラを玉座に座らせても、未来は明るくなりませんわ」

「そうだな。形だけ先王の真似をし、諸侯の反発を招く未来が見える」


 実績がない者が権威を手にしようとすれば、どこかで無理が出る。

 偉大な王と比べられ、本人より発言力の高い公爵に後見などされようものなら、あの王子がどんなことをしでかすか。


「それでマリアンヌ様の派閥に入るとなれば、1つだけ邪魔な存在がございますわ」

「自分で言うか」

「ええ。こういうことこそ、聞くのではなく発しないといけませんわ」

「そうだな。アントワネット嬢。お前が――いや、貴女が邪魔だ」


 アントワネットは微笑んだ。


 バロウンス公がマリアンヌの派閥に入れば、マリアンヌは確実に玉座に座れる。

 そしてバロウンス公がマリアンヌの味方として積極的に行動をすれば、彼女の統治は盤石なものとなるだろう。


 だが、バロウンス公は現状ではマリアンヌの派閥に入ることはできない。なぜなら、彼がアントワネットによる詐欺の被害者だからだ。

 金を騙し取った女がいる派閥に頭を下げて入るなど、屈辱以外の何物でもない。


 バロウンス公本人が気にしなかったとしても、その事実は彼の輝かしい功績と名誉に深い傷をつける。


 公爵とは、元はその地の王だ。

 バロウンス領の民からすれば、おらが国の王様なのだ。

 それが屈辱的な扱いを受けたとなれば、決して流せぬ恨み憎しみ鬱憤が蓄積する。

 やがてそれは、大きな動乱を生むだろう。


「それに――手広くやりすぎたな」

「多くの諸侯が関係していますからね。我が事ながら、随分と大活躍したなと思っておりますわ」

「ははは、確かにだ。これほどの規模で金を巻き上げた者など、古今東西どこにもいないだろう。そんな大活躍だからこそ、広く恨みを買っている。自覚しているな」

「ええ、もちろん」


 アントワネットの声は少しだけ寂しそうだった。


「魔王軍との戦いにおいて、おそらく貴女以上の立役者はいないだろうにな。あまりにも日陰の戦い過ぎた」

「立役者だなんて過分ですわ」


 マリアンヌの派閥を作り出し、王女を表舞台に返り咲かせた立役者。金を集め物資を戦地に届けた立役者。そして巨大な援軍を戦地に送った立役者。

 魔王から人類を守り、マリアンヌを王女の立場にぐっと近づけたアントワネット。


 皮肉にも、その彼女がマリアンヌの派閥最大の弱点となっていた。

 

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