第19話

 家に棲みつく魔物を前に、マリアンヌはすぐに言葉が出てこなかった。

 アントワネットは瞳孔の小さくなったマリアンヌを眺める。


「どうしたんだい? まさかそんな人だとは思っていなかった?」

「え、ええ」

「そんな目で見ないで欲しいね。だって君は、もう私を手放すことはできないんだからさ。仲よくしようよ、お姫様?」


 余裕たっぷりで、ほんの少しだけ嫌味の込められた響きだった。

 権力の回復に走り出したマリアンヌは、もう止まることができない。すでに多くの有力者を巻き込んでいる。

 そして、そのかなめの部分にいるのがアントワネットだ。彼女を排除すれば、瞬く間に組織は瓦解する。そんなことになれば、もう魔王に抗うチャンスを失ってしまう。


 マリアンヌは蜘蛛の巣に絡めとられた蝶だ。美しくはりつけにされること以外許されていなかった。



 マリアンヌの落胆をよそに、王都内では徐々にマルチ商法の会員が膨らんでいた。

 ろくなマスメディアもなく、情報は小規模な新聞社や伝聞でのみ伝わる時代。その危険性が周知されることはない。

 それに、マルチ商法の恐ろしいところは、本当に初期は儲かる点にある。


 自分の身近に成功者が次々と生まれていく。

 それは焦りと欲を生み出した。王都の市民には静かにだが、ゆっくりと狂奔の熱が渦巻き始めていた。



 数か月が経つ頃には、マリアンヌの派閥は大きく膨れていた。

 2名の伯爵と4名の男爵を従え、マリアンヌは王宮に上がる。その中にはセフポン伯爵とコルドゥアン男爵の姿があった。

 セフポン伯爵の身なりは相当に良くなっている。アントワネットの力で大きく儲けたことがはっきりと示されていた。


 マリアンヌはアントワネットと会話がなかった最近を思い出し、陰鬱な気持ちで王城を歩く。

 会話を避けていたわけではないが、何を話せばいいのかわからなくなっていたのだ。そして、アントワネットが吐く言葉ひとつひとつが嘘ではないかと疑心が持ち上がり、すっかり頭が混乱していた。


 ――恩人ではあるのですが。


 詐欺から守ってくれた。自分がこうして王城に戻るきっかけも作ってくれた。

 だが、悪人である。そして嘘つきだ。

 どういう目で彼女を見て、どういう気持ちで受け入れれば良いのか。

 ただ、苦しかった。


 ――いっそ良い人を演じて、私のことも騙していてくれれば良かったのに。


 そんな考えすら浮かぶ。


「マリアンヌ様。そう緊張なさらなくても大丈夫ですぞ。きっと陛下は、マリアンヌ様の成長したお姿を喜ばれるはずです」


 彼女の憂鬱を知らないコルドゥアン男爵は、朗らかにそう言った。


「……そうね。そうだといいのだけれど」


 謁見の間に通された7人。

 マリアンヌと4人の男爵は膝をつき、2人の伯爵は目を伏せた。


 正面の玉座に座るのは、威風堂々とした壮年の男。この国の王、グリーズデン6世である。

 絢爛豪華な衣装に身を包んでいるが、向こう傷のある凶悪な人相と太く編み込まれた頭髪は、まるで蛮族のようだ。

 王を守る近衛はたった4人。それは、王の武人としての自信を現しているようだった。


「顔を上げよ。久しいな、マリアンヌ」


 割れ鐘のような声だ。圧はあるのに、感情をくみ取れない不思議な声だった。


「ご無沙汰しておりました、陛下」

「随分と豪勢な供回りを付けている。堂々凱旋だな。どんな成果をあげたかは聞き及んでいないが……何を成せた?」

「これからです、陛下」


 グリーズデン6世はつまらなそうに鼻を鳴らした。


「友達が増えたから顔を見せにでも来たのか? 流石は我が子だ」

「そのお友達の数を気にする方が、陛下の周りには多いようですので」

「口は幾らか回るようになったな。そうか……」


 王は指を曲げ伸ばしする仕草をした。


「面白い生き物を飼ったようだな」


 マリアンヌの肩が小さく震えた。


「どうだ、面白いか? それとも――――怖いか?」


 グリーズデン6世の顔は、王のそれとも父親のそれともつかない。ただ、個人的な興味が浮かんでいた。


 いつ、どこでアントワネットの存在を知ったのか。

 アントワネットを知っているだけなら良い。王はアントワネットのことを「恐ろしいか」と尋ねた。アントワネットがやっていることの意味を知る者は、王都でも少ないにも関わらず。


「浮かない表情、顔色。化生を飼っているにしては楽しくなさそうだ。持て余しているなら貰うぞ?」


 いつの間にか視線が床を向いていたマリアンヌは、ばっと顔をあげた。

 拒絶の言葉が胸で生まれるも、喉がきゅっとすぼんで出てこない。


 別にアントワネットは自分のものでもない。勝手にあれこれ理由をつけて家に居座っているだけ。

 扱えるかと言われれば、当然無理だ。持て余しているどころじゃない。むしろ、彼女の悪事を止めることも出来ていない。

 それなのに。


 ――渡したくない。


 不思議な感情だった。

 マリアンヌは言語化できない感情に、口をはくはくと動かした。

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