第18話
アントワネットが社会悪に勤しんでいるその頃。
マリアンヌは急に増えた社交の機会に忙殺されていた。
彼女が最初にしなければいけなかったのは、クリスチャンとの打ち合わせだ。
クリスチャン自身はそう考えていないが――アントワネットに騙され、周囲には2人が政治的に手を結んだと考えられている。
しかし、現実にはヨーゼンラント公爵家は独立を考えていた。
そしてその現実すらも、嘘にひっくり返されようとしている。
「実家に早馬を飛ばしているけど……返事が来るまでに明確な言質を取られないようにしないと。気が重いよ」
ギルドの館で、クリスチャンは膝に肘をつけて座り、大きく溜息をついた。
彼自身に領内での大きな権限はないというのに、周囲はヨーゼンラントのスポークスマンだと思っている。
もともと人との話が苦手なクリスチャンにとっては、非常に憂鬱な状況だった。
「そちらの御父上がどう思われるか、ですね」
そこにヨーゼンラント家の従僕が、手紙を携えて戻って来た。
早速切って開く。
クリスチャンは手紙に目を通し、顔を覆った。マリアンヌが心配そうに声をかける。
「大丈夫ですか?」
「手紙6枚のうち5枚が叱責だ……」
死にかけのヒヨコを思わせる声だった。
そして唯一叱責ではない1枚をとり、その内容を簡潔に伝える。
「協力者が迅速に増えるようであれば、再度王家と手を結ぶこともやぶさかでない。最も重視されるべきは魔王を倒せるかであり、それ以外の全てに妥協する用意がある。だってさ」
誰よりも魔王を警戒しているヨーゼンラント公らしい言葉だった。
ヨーゼンラント公は若い時分に、ケンタウロスの騎馬民族と戦ったことがあるらしい。そのときに、ケンタウロスの恐ろしさを痛感したようだ。
「お爺様を殺したことから、ケンタウロスを侮るつもりはございません。ですが、それほどなのですか?」
「まず、全員が騎兵で魔法使い。それだけでも強いのに、彼らは人間としても獣としても食事をとれる」
パンも肉も食べる。ときには人肉だって食べる。
そしてそこらの草や葉を食い、ときには樹皮まで食う。
生水も飲んで酒も飲む。
彼らは定住の地を持たないが、それは文明が劣っているからではない。都市や村落など必要としないほど、そもそもが強靭なのだ。
「すごく耳が良くて、角笛の音だけで様々な連絡が取れるみたいでね。補給を必要としない騎兵が、万単位で自由自在に動き回る。それが王家にはイメージ出来ていないんだね。たぶんこの国が一丸となって当たっても、運が悪ければ焼け野原にされるだろうね」
魔王軍の脅威を語るクリスチャンの目には、諦めの感情が浮かんでいた。
ヨーゼンラントの嫡子たる彼には、地獄の戦場が待ち構えている。国がどうなろうが、アントワネットが何をしようが、マリアンヌが宮中に戻ろうが、クリスチャンの地獄は決定事項だ。
「――運が良いことを祈ります」
マリアンヌは目を伏せた。
ヨーゼンラント公が待ってくれる時間は短い。
マリアンヌは他の貴族――ないしはその代理人との面会を繰り返していた。
挨拶に贈り物や手紙を出した貴族たちのところにも、コルドゥアン男爵から人を借りて使者を送る。
市場で買ってきたのか、昼間からワインボトルを手に屋敷をうろついているアントワネットを捕まえた。
「ああ、マリアンヌ。目の下が青黒くてチャーミングだね」
「誰のせいだと思って……!」
怒りをぶつけかけたマリアンヌは、大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
「いえ、ごめんなさい。貴女は何も悪いことをしていませんでしたね」
どうなりたいかは、既にアントワネットから問われていた。そして宮中に戻ることを望んだのはマリアンヌ自身だ。
そのために動いてくれたアントワネットに文句なんて言うべきじゃない。そう思っての謝罪だった。
言われた当の本人はきょとんとした。
「何いってるのさ。ゴリゴリに悪徳商法集団を育ててる最中だよ」
「何してるんですの!?!?」
「いやぁ、セフポン卿と手を結ぶのに必要でね。それと、ちょっと個人的にもお金が必要でさ」
しれっと語るが、マリアンヌはマルチ商法が悪徳商法だなんて知らなかった。
マルチ商法の負の側面をさらっと話され、頭を抱える。
「なんてことを……」
「これでセフポン卿も力になってくれるし、味方の貴族がお金と流通ルートを作ってくれれば、戦争にも利があるからね。それに、次の『ビジネス』にはお金が必要なんだ」
ぬけぬけと言い放つアントワネット。
「貴女……被害者にだって生活があって、そのお金で出来たことがあるんですよ。貴女に騙されなければ家族と温かい夕食が食べられたり、大事な人の笑顔に変わるものを贈れたり、なんなら病気になったときの備えだったり……」
「そうだね。その全てが私のぽっけにポン、だ」
アントワネットのポケットに吞み込まれていくのは、ただのお金ではない。そのお金で買えたはずの具体的な幸せと、そこで動く感情の全てだ。
お金で買えた物も、お金で守れた安心も。
「それは……貴女はそれに、何も思わないのですか?」
アントワネットは首を傾げた。
真っ白な歯が並んでいる。
「さあ? 嬉しいのかな。楽しいかな? 何にせよ、心は踊るよ。被害者の慟哭は、まるで愚者の歌だ。その旋律で満ちるものだってある」
マリアンヌは目の前にいる女が怪物に見えた。
寒気と鳥肌が止まらない。
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