第6話

 胸と肩回りだけに板金の鎧をまとい、その上からコートを羽織った老貴族、コルドゥアン男爵はアントワネットに向き直る。


「はて、こちらのお嬢さんは……?」

「お初にお目にかかります、コルドゥアン卿。アントワネット=イニャス・ギヨタンと申します。諸事情により頼れる者がおらず、マリアンヌ様のご厚意により、身を寄せさせていただいております」


 そう自己紹介しながら、少しだけ悲しそうに目を伏した。長いまつ毛が際立ち、はかない美が演出される。


「なんとなんと、お嬢さんも魔王のせいで……?」


 この時代この地域においては、貴族家にとって大きな不幸とは魔王関係が一般的なのだろうか。

 小さく頷いたアントワネットの様子に、コルドゥアン男爵はおいおいと涙を流した。


「そうかそうか、可哀想に……。許せん、魔王! 挽き肉にして玉ねぎと混ぜて食ってやる!」


 男爵は気焔を吐いた。泣いたり怒ったり、感情の忙しい老人である。おそらく前頭葉の働きが鈍っている。

 アントワネットの正体を掴みかねているマリアンヌは、特に口を挟まなかった。ただ、疑わしそうな目で見ているだけである。


「魔王も許せませんが、今はコルドゥアン卿の財産を侵す不届き物を成敗いたしましょう。王の信任あついコルドゥアン卿が管理する荘園と知りつつの狼藉ろうぜき、私は本当に許せませんわ」


「おお、その心遣い真に立派であるな! 流石はマリアンヌ様が認めた人物! おお、マリアンヌ様も人を見る目がついてご立派になられた!」


 人を見る目がないのは男爵その人である。

 さも本当に憂いているような口ぶりのアントワネットに乗せられた老人は、意気軒高に馬車に乗り込んだ。アントワネットとマリアンヌも同乗する。


 人の往来を蹴散らすように、馬車と歩兵の団体は道を進む。

 馬車だけならばともかく、兵を連れているのは貴族で間違いない。普段なら平気で馬車の前を横切る市民たちも、このときばかりは道を譲った。


 大工のギルドを含む多くの業種のギルドの拠点は、王都を横切るイーペ川のほとりに建てられている。

 大きな店や工房は、物流で便利な運河を利用したがる。そんな大きな店や工房が地域の顔役となり、ギルドへと変化していった名残だ。


 ここまで来ると、現役の倉庫や工房もあるため、人や荷車の往来が激しさを増した。

 荷役についている男たちは、貴族にも噛みつく蛮勇を誇るところがある。男らしさが彼らにとっての正義なのだ。

 窓越しにアントワネットと目があった男など、筋肉をアピールするために、袖をむしり取った服を着ている。非常にワイルドだ。


 速度を落とした馬車が、レンガ造りの立派な建物の前に止まった。

 荷車も出入りできるような巨大な鉄張りの扉は、かつて倉庫だったことを彷彿ほうふつとさせる。


 ギルドの応接室には円卓が置いてある。大工ギルドらしく、磨き込まれた飴色の天板が美しい。

 ときには貴族と血みどろの争いをしてきたギルドは、目上の階級が相手であっても、不敬ともとれる円卓を必ず使う。それが彼らの存在意義だからだ。


 ギルドマスターを名乗る中年の男と、3人が円卓を囲んだ。

 ギルドマスターが口を開く。


「屋敷の修繕の件ですな。屋根の修繕費用として、うちの組合員から、240万ラインの請求が出ております。即座の支払いを頂けなかったということで、ギルドに回収が依頼されておりますが……この内容に不服が?」


「ああ、不服だとも。事前の見積もりと余りにも違う請求額、そもそも数分で終わるような作業に240万ライン。不当である!」


 男爵がテーブルを叩く。ギルドマスターは顔をしかめた。


「ですがね、その見積もりの話だって証拠がないわけですよ。組合員が言うには、貴族の屋敷に相応しい良い瓦を使ったと。それに、危険な高所の作業を、親方がやったって言うんですから、価格自体はお貴族様がとやかく言うようなものじゃないのでは?」


 男爵の顔が赤く染まった。


「まぁまぁ、いいではありませんか」


 アントワネットが男爵をなだめた。続けてこう言う。


「コルドゥアン卿が不快に思われているのは、ギルドの方にも伝わっているかと思いますよ。ねぇ、そうでしょう?」


 ギルドマスターは迷うような素振りを見せつつも、特に金銭的に絡む話ではないと判断したか、頷いた。


「そして、見積もりについては証拠がない以上、水掛け論になってしまいますものね。ですから、物的な証拠となる工事の痕跡のみでしか判断できませんわね」


 わかってくれたか、とばかりにギルドマスターは頷く。


「そちらのお嬢様の言う通りですね。工事がなされている以上は、ギルドとしても不払いは認められないんですよ。わかってくれますかね?」

「ええ、ええ、そうでしょうね」


 男爵を制しながら、アントワネットが相槌を打つ。

 そして、にんまりと口角を釣り上げた。


「ということは、ギルドの方には実際に工事が行われたのか、はっきりと確認していただきませんと。そして、その結果を書面に記していただかなくては、こちらも納得できませんわ」

「そういうことでしたら、まあ」


 アントワネットはぱちんと両手を合わせた。


「早速お願いいたしますわ! 折角ですので、工事をされた職人の方々も呼んでいただけますこと? 目の前で話がついた方が、彼らも気を揉まずに済むかと思いますわ!」


 アントワネットの頼みをギルドマスターは聞き入れた。

 ギルドの意向を受け入れるような言葉や、怒りをあらわにする男爵を抑える様子に、話しやすい相手だと感じたからだ。


 ギルドは貴族との争いも辞さない。


 が、別に争いたいわけでもない。ギルドマスター個人としては、武力も権力も持っている相手の怒りが自分に向くのは、大きなストレスだった。

 その点、アントワネットは穏やかな態度で、自分の話を聞いてくれる。ギルドマスターはそんな彼女に、少しくらい譲歩したいと思ってしまった。


「では、お話の続きは件のお屋敷でいたしましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る