第34話

 その日、王都の様子は常とは違っていた。

 市民はどことなく不安そうに浮足立っており、街を歩く人々は気配を消して道の端を足早に移動している。


 貴族の軍は、基本的に王の号令がなければ他の領地を通過しない。だが、現在は王が王都を軍が通行することを許可しているため、様々な地方の兵士が王都をうろついていた。

 兵士たちの大移動によって、通過地点の物価は急上昇。市民の財布を直撃し、一時的な食糧不足を招いている。


「治安の悪化が著しいですな」


 コルドゥアン男爵が険しい顔をした。

 男爵の屋敷の窓から外を見下ろすアントワネットも、同様に険しい顔つきだ。


「王都の内側まで入っているのは士官以上のはずですのにね」


 王都の通行を許可してはいるが、下級の兵士までは入れていない。王も貴族もそれは望んでいなかった。

 兵卒まで入れてしまえば、現地で脱走兵となり、そこらで浮浪者になる可能性が高い。

 王はもちろん嫌がり、貴族も兵士が減るので避けたい。


「初めての王都で浮かれているのでしょうなぁ」


 市民に横暴に振る舞い、安く物資を買い叩こうとする者が後を絶たない。嫌がり抵抗する市民と殴り合いになることもしばしばだ。

 最近ではギルドの者らが自警団のように振る舞い始め、大規模な衝突まで起きている。

 強姦や殺しが起きていないのは奇跡に等しかった。


「それでも、ヨーゼンラントに時間はなさそうですから、受け入れるしかありませんわね」


 王都を起点にすれば、大きな街道で人が移動できる。

 王都周辺に一度集まるのは、諸侯軍にまとまった行動をとらせる意味でも必要なことだった。


 ヨーゼンラントの現状は危ういバランスで維持されている。

 周囲の貴族家から応援を受けて徐々に兵力を増やしているヨーゼンラントと、ルージュラントを押しのけて兵数を増やしている魔王軍。どちらも同じくらいの勢いで戦力を拡張しているからこそ、戦線が拮抗していた。


 クリスチャンを前線の将として、ヨーゼンラント公は新たな戦力の受け入れや、後方の調整に努めている。

 休みなく戦いの場に身を置くようになったクリスチャンの成長は、目覚ましいものがあるという。

 先日届いた手紙には、魔王軍の将官を討ち取ったとあった。


 朗報である。もちろん王都は沸き立った。

 しかし裏を返せば、すでに将官までもがヨーゼンラントに到達していることになる。魔王軍に、大規模な軍勢を送る余裕が出来たことの表れだ。


「魔王本人が来たらどうなるかのう」

「それは、魔王軍の規模や士気が上がるのですか? それとも、魔王本人が脅威なのですか?」

「魔王本人じゃのう。これまで現れた魔王たちは、どれも単体として強力じゃった。過去の歴史を紐解けば、竜人の魔王など、巨竜そのものだったようじゃ」

「まぁ。当時の方はどうやって討ったのでしょうか?」


 アントワネットの顔色が悪くなる。


「それはもう、昼夜を問わず何千人何万人の兵が命をすり潰しながら、1人1本の槍を投げつけ、少しずつ少しずつ弱らせ、いつの日か動かなくなっていたようじゃの」


 絶望的な戦いだ。

 巨竜にたった1本の槍を刺すためだけに命を使った兵士たちは、どんな気持ちで戦ったのだろうか。


「今回も、そうなのでしょうか?」

「クリスチャンの心配かの? ほっほっほ。流石にそうはなるまいて。竜人はそれ自体が生き物として格別。その魔王じゃったから、それだけの被害が出た。ケンタウロスの魔王であれば、それほどのことにはなるまいて」

「それは――少しだけ安心いたしましたわ」


 男爵はアントワネットと目を合わさずに、ずっと外の景色を眺めている。言いようのない不安が胸の内に広がった。

 ――何万人もの兵士が死ぬわけではなくとも、数千人で挑み、そのうち数百人が命を失うような相手だったら。


 アントワネットの動揺を察したのか察していないのか。男爵は「そういえば」と別の話題を口にする。


「最近、派手に動いておるの。何人もの貴族から、土地の売買について相談を受けておる。どうも、元ルージュラントの土地の権利が、激しく売買されて、投機先になっているようじゃの」

「あら、流石はコルドゥアン卿。お耳が早いのですね」

「不自然なほどに転売が多いからのう。やはり手を出しておったか」


 男爵の目が、ちらりとアントワネットに向けられた。

 今度はアントワネットが外を眺めている。


「ええ。意図的に売り買いをさせております。ただ1度の売買では値動きがしませんので、『定価』となってしまいますから」

「繰り返すことで値段を少しずつ上げ、周囲に『値動きするもの』と認識させたのじゃな」

「流石、王都の不動産を扱うだけのことはございますね」


 多くの人が売り買いに参加しなければ。そして、何度も取引が繰り返され、値付けが更新されなければ、投機の商材として機能しない。

 アントワネットは派閥の貴族を動かすことで、新たに派閥を乗り換えた貴族を巻き込むようにして、どんどん土地の所有権を動かしていた。


「買って売るだけで儲かる。多くの貴族がこぞって参加するようになったな」

「ええ。実体のない――すでに現実の価値から大きく離れた値段になっておりますわ」


 意図的に外から見えるように、不動産バブルを作り出し、ある程度稼いだら一気に手を引くことで損失を他者に押し付ける。

 土地転がしでインサイダー取引をやっているようなものだ。


「恨まれるぞ」


 男爵の声は低い。

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