第24話
アントワネットはしばらくクリスチャンと談笑した後、ヨーゼンラント公と話があると言って城に戻った。
アントワネットの面会希望はすんなりと叶い、サロンに通される。
「こちらから呼びつけるつもりでいたが、自分から来たな」
「あら、それでは待っておけば良かったかしら」
「話が早い方が良い」
「それだと良い女に見られないわ」
「はっ、それもそうか」
ナメた態度のアントワネットに、執事は不快そうな顔をする。しかし、公爵は見た目と裏腹に、気安い調子で笑った。
「で、何が目的だ?」
「あら、いやですわ。ヨーゼンラントに来たのは陛下のご意思です」
「話を逸らすな。何を目的にグリーズデンに来た」
「来たのは成り行き。そのあとは個人的な趣味ですわ」
「趣味、か。人の息子まで巻き込みやがって」
「あら、恋は自由ですわ」
公爵は葉巻に火をつけ、一口分含んでからゆっくりと煙を吐き出す。
「その結果がこうだ。うちが王国とどんな関係だろうと、ふらりと現れた異邦人には関係ないだろうに」
「そうなのですよね。私には関係がないと思っていましたし、魔王が来る前に逃げ出そうとも思っておりましたわ」
「どんな心変わりがあった?」
アントワネットは出されたお茶のグラスの上で、笑みを浮かべる。
「わからないのです。自分でもわからないのに、なぜか大きなことをしてみたくなりましたわ」
形の良い唇の先で、立ち上る湯気が揺れた。
「何かを成したい、何者かになりたいというのは、社会性を持つ人間の本質だな。だが、
「あら、ヨーゼンラントでは天馬を
アントワネットはくすくすと笑う。
「
「翼が生えれば天馬と呼べると思っておりましたわ」
「自分が翼のつもりか?」
「なにせ、翼とは軽いものですから」
ふわふわとした中身のない軽口を叩いた。
あまりにそれらしい言葉に、公爵は笑う。
「吹けば飛ぶな」
「ええ」
脅しのような言葉にも、アントワネットは余裕を崩さなかった。
「ヨーゼンラントに何を望む?」
「私ではなくて、マリアンヌ様にお聞きになられてはいかがでしょうか?」
「あれに考えがあると?」
なんとも失礼、不敬な態度である。しかし、ヨーゼンラント公はそれが許される立場だった。
「さあ。あってもなくても。ここヨーゼンラントで学び、意思を得たならば、それはきっとヨーゼンラントに利するものになるのでは?」
「今は亡き祖父が言っていた」
公爵は遠い目をする。
「利をちらつかせてすり寄る者には脇を締めよとな」
「あら、ご存命でしたら仲良くなれたかもしれませんね」
「舌を抜かれても話せるならば、そうだろうな。しかし、貴様にはあまり欲を感じない。権力への憧れも感じないのに、追い求める。不思議だな」
大きなことを成したいと言う割に、その結果自分がどうなりたいという部分がない。
そのことに、公爵は疑念を抱いた。
現世的な利益を考えていない。言うこと為すことカスなのに、世俗から離れた達観があるところを、気味悪く感じたのだ。
「閣下。人は死ぬものですわ。そして全てはいずれ失われてしまうものですの。どんな美味美食も歯を磨けば失われ、どれだけ美姫を侍らせたところで、老人となれば勃たなくなりますわ。肉体は衰え、記憶も抜け落ち、やがて命と共にチリとなる……。人が人である限り、世界に残せるのは功績と子孫だけですのよ」
諸行無常だ。
アントワネットはかつて死んだ。もう地球に戻ることはないだろう。そのときに得たものは全て失い、いまはただのアントワネット1個人として生きるしかない。
財産も人間関係も、全ては遥か彼方へ。記憶だけ残されているのが救いだろう。
「若いのに珍しいことだ。それで。マリアンヌ様はそれを成すに足りると?」
「ええ、足ります」
アントワネットがマリアンヌのどこをそんなに評価しているのか、公爵にはわからなかった。しかし、それでも良いのかもしれないと考える。
結局、支える者が良ければ上は勝手に立つのだから。
多くの優秀な男爵に支えられる王を思い、公爵は自分を納得させた。
一方。
マリアンヌはクリスチャンと都市の外を視察していた。
「来るときにも思いましたが、都市外に住んでいる人の方が多いのですね」
「そうだね。都市というのは、戦争があって初めて意味を持つものだから。人の暮らしは、あくまで都市の外にあるのかもしれない」
この世界での都市の成り立ちは、城郭都市である。
農業が発展し、余剰と貯蔵という概念が生まれた。それらを奪い合う争いが生まれ、今度は余剰で人を住まわせ、より多くの余剰を守るという考えに発展する。
こうして、生産したものを一か所に集めて守る都市という概念が誕生した。都市とは防衛戦のためにある。軍事施設なのだ。政治、経済の中心というのは、あくまでオマケだ。
麦畑で作業する親の周囲を駆け回る幼子がいた。
豊かにも見えないが、子どもらしい笑顔ではしゃぎまわっている。
「ヨーゼンラントが戦場になれば、ここは放棄する。領都まで引いて、ここはせいぜい野戦の地だ」
火を放たれ、馬蹄に踏み
「全ての民は、都市に収容可能ですか?」
「無理だ。入らない」
「では……」
「そうならないよう、遅滞戦闘には励むつもりだよ」
マリアンヌはなぜだか泣きそうになった。
もともとクリスチャンにせよ、ヨーゼンラントの民にせよ、そこまで情をもっていたわけではない。それなのに、彼らの未来を考えると、どうしても涙が浮かんできた。
恨みだけではない感情が芽生えていた。
知らなければ想像が出来ない。想像が出来なければ感情は生まれない。感情がなければ意思は生まれない。
マリアンヌはその一歩目をようやく踏み出した。
「戦うのは嫌だけど……アントワネットがいるからさ。誰かが魔王を止めなければいけないのなら、それは僕でありたい」
今まで足踏みしていたマリアンヌを置いて、弱気だったクリスチャンには、いつの間にか勇気が育っていた。
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