第41話

「そうかそうか。まだ王城の中がよほど広く感じるらしい。早く慣れると良いな。またいつ市井に戻るかわからんのだから」

「ふふふ、確かにそうですわね。二重の壁が必要な方もいらっしゃいますものね」


 最初の印象が悪かったからだろうか。

 マリアンヌがいつになく喧嘩腰になっている。

 王都そのものの城壁に、王城の城壁。その2重の壁がなければ、お前は安心できないのだろうと、第一王子を煽る。

 王その人が戦場に出ており、一方で王城に居残っている第一王子には、非常に腹立たしい言葉だった。


 第一王子は王と共に出征することを望んでいた。

 だが、派閥の者が強く願う形で引き止められてしまったのだ。


 魔王を舐め腐っていた頃とは違い、ヨーゼンラントやルージュラントからの情報がちらほらと漏れ聞こえるようになった現状。魔王を強く恐れてはいなくとも、「万が一はあり得る」くらいには考えるようになっていた。


 第一王子の派閥からすれば、マリアンヌには敵対派閥に何を仕掛けるかわからない不気味さがある。だいたいアントワネットのせいである。

 だからこそ、旗印たる第一王子には壮健でいてもらわなければならない。


 第一王子が戦場に行けなかったのは、アントワネットのせいとも言えた。


「詐欺師を連れている分際で、あまり図に乗るなよ」

「あら、詐欺師なんてひどいお言葉ですこと。ただ、ビジネスが軌道に乗っていないだけですわ」

「そのつもりが無いくせに、いけしゃあしゃあと」


 第一王子は余裕たっぷりに振る舞うアントワネットのことも気に入らなかった。

 アントワネットは、現状は王の気遣いにより、詐欺師とは断定されていない。


 そもそも、アントワネットがやったことを詐欺と定義づけるためには、鉄道計画の金を流用した証拠を掴まなければならない。

 土地転がしやマルチ商法についても、それを悪と定める法すら整備されていなかった。


 ただ、恨みを買っているだけ。

 それだけである。


「あらあら、決めつける殿方は女性に嫌われますわ」

「いい年して未婚の行き遅れがよく言う」

「あら、女性に年齢の話をする殿方も嫌われましてよ」


 アントワネットは笑った。

 マリアンヌと違い、彼女は生産的な会話をしようと思っていない。ただ、マリアンヌが心配でついて来ただけだ。

 益体もない話で煽られるなら、それを返すだけである。


「それで――」


 第一王子とアントワネットの小競り合いを眺めていたマリアンヌが口を開いた。


「――呼び出されたので来てはみましたがご用件は?」


 第一王子は鼻を鳴らした。


「長らく王城にもいなかった貴様が、随分と調子に乗っているようだったからな。釘を刺してやろうと思っただけだ。戦場にも行けない女の身で、王になれるなど思うなよ。ペルシュルガ辺境伯が生きていたときですら、ヨーゼンラントに嫁に出されることが決まっていたんだ。そのことを忘れるな」

「はぁ」


 マリアンヌは呆れた顔をした。

 そんなことのために貴重な時間を使わされたのかと、露骨に落胆の姿勢を示した。


「今後のことについて、有意義な話し合いでも出来るのかと思っておりました。逆に訊ねますが、私がおらず、ほぼ次期王が目されるような環境にいながら、立太子すらさせてもらえなかった第一王子とは、いったいどんな立場なのでしょう?」


 マリアンヌの嫌味に、アントワネットが噴き出した。

 笑ってはいけないと思っているからこそ、笑いが止まらない。


「貴様!」


 顔を真っ赤にした第一王子が立ち上がる。

 マリアンヌに伸びたその手を、横からアントワネットが掴んだ。


「あら、暴力がお得意なら、ヨーゼンラントで手柄を立ててくださるかしら」

「ちっ」


 第一王子は舌打ちし、その手を振り払う。

 側近の男爵の息子は頭を抱えていた。


「なんでも出来るような環境で何も成せていないのであれば、それは怠慢ではなく能力不足ですわ」

「もとはといえば貴様のせいで……!」


 戦場に行けなかった理由に思い至った第一王子が、アントワネットの顔を平手で打った。

 あまりの勢いに、アントワネットの顔が横を向く。

 切れてしまったのか、唇の端から細く血が垂れた。


「ちょっと――!」


 立ち上がろうとするマリアンヌを、アントワネットが手で制する。


「で、満足かしら? 女しか殴れない王子様?」

「貴様ァ!」


 胸倉を掴まれ、アントワネットの体が宙に浮いた。

 脱げ落ちた靴が、かつんと音を立てる。

 宙吊りにされ締まっているのか、アントワネットの細い首が真っ赤になった。

 それでも、表情は不敵なままだ。暴力を前に、欠片も怯まない。


「陛下も諸侯も戦場におりますわ。クリスチャン=ド・ヨーゼンラントは魔王軍の将を討ち取り、最後は魔王そのものとの一騎打ちの果てに、名誉の戦死を遂げましたわ」

「……殺してやる」


 アントワネットの目が据わった。

 すっと狭まった瞳孔で、第一王子を見下す。


「死など怖くない」


 それは彼女の心を縛るクリスチャンの意思に反するものかもしれない。

 だが、アントワネットはクリスチャンの死に触れたときから、自分の命の終わり方というものを強く意識させられていた。

 クリスチャンの最期の涙の意味を、正しく理解したかった。


「それが誰かの為に、欠片でも意味を持つのなら!!」


 締められ、掠れて細い声だ。

 だがそれに気圧された第一王子は、思わず手を放してしまった。

 落とされたアントワネットの体が、低いテーブルの上に落ちる。


 卓上で崩れむせる女と、仁王立ちする大男。

 それなのに誰の目にも勝敗は明らかだった。倒れている方の勝ちだ。

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