第42話
この会談は多くの失望と噂話を生み出した。
第一王子はあの場でアントワネットを殺せば良かったのだ。そうすれば、最低限の面子は保たれた。
不敬な物言いをする謎の女を殺した。それだけで済んだのだから。
アントワネットは所詮は王女のお気に入りでしかない。爵位も領地も持っていない。
「いやぁ、手を出してくれて助かったよ。短気そうな男だと思ったから煽ってみたけど、
ベッドの上でアントワネットはけらけらと笑う。
大したことないと本人は言うが、首元のあざが痛々しい。心配性なマリアンヌによって、ベッドに無理やり寝かされていた。
「あれで本当に殺されていたらどうするつもりだったんですか」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと保険はかけてたさ」
「どんな?」
余裕たっぷりに言うアントワネットに、マリアンヌがすかさず切り返す。
アントワネットは一瞬言葉に詰まった。
「あれさ、あれ」
「無かったのですね」
「いやー、そんなことはないよ。ちょっと複雑で、どう説明したものか」
「貴女が嘘つきなのは知っています」
マリアンヌは溜息をついて、ベッドの横に腰かけた。
「貴女は自分の命の価値を軽んじていませんか?」
「逆だよ、逆」
アントワネットは自分の胸に手を置いた。
とっ、とっ、とっ、とっ。男だったときよりも、小さな拍動を感じる。
「命は大事で、無為に落としたり、無味に消費してはいけないんだ」
「それはそうです」
「前世の死に方、教えてあげようか?」
「……ええ」
マリアンヌは未だに、アントワネットの話が嘘か本当かわからない。
アントワネットという女は、さも平然と日常生活や真剣な話の延長線にあるかのように嘘をつくのだから。
「高い建物から、立小便をしようとしてね。酔っぱらってたもんだから、足を滑らせて落ちてしまったんだよ。くだらない死に方だと思わない?」
「くだらないですし、品の無い話ですね」
「そうさ。品性も知性もない。虫でもこんな死に方はしないだろうね。だからこそ、今度はちゃんと意味のある死に方をしたいんだよ」
「あの程度の……あんな男に殺されるのは、意味のある死に方ではありませんよ。その、立ち……立小便して落ちて死ぬのと大差ありません」
「なはは、立小便以下か、あの男は」
マリアンヌは笑うアントワネットの手を握った。
か細くて、冷たい。
王城内でマリアンヌの立場が築かれていく――もとい第一王子の人望が失われていく一方で、戦場は佳境を迎えていた。
人間同士の長ったらしい戦場と異なり、魔王軍との戦いは短期決戦になりやすい。
魔王その人が戦場に立てば、そのカリスマに当てられた全軍が狂奔する。
頑強な肉体と高い魔法能力にあかせ、後先考えぬ全軍突撃が生み出される。
後先考えぬ、保身無き。そう表現しても差し支えない、何も考えていないような全軍突撃だ。しかし、それをやるのがケンタウロスとなれば、比類なき脅威の戦術となる。
グリーズデン王国軍は決戦の気配を感じ取り、城壁の中に全軍が引きこもっていた。
巨大な
静寂の正午だった。
中天に位置する太陽が、強烈な光を放っている。
倒れた兵馬が身に着ける鎧が、そこかしこで煌めいていた。
両軍の兵士が息を潜め、魔王の出方を窺っている。
総黒毛のケンタウロスだった。
大きな蹄が踏んだ土は、重さに耐えかねて岩のように硬くなった。
毛深い顔から覗くぎょろりとした目には、兵の心を底冷えさせるような圧がある。
ぐっと真上に突き上げられたハルバード。それが目にも止まらぬ勢いで振り下ろされた。
切っ先が突き立てられた大地から、巨大な
ばこり、ばこりと大地がめくれる音がする。続けざまに2本、3本と数を増やしながら、棘が城壁に近づくように次々と生え出した。
「退避ーーーーー!!!」
「逃げろ! 持ち場を捨てろ!」
「退避しろ! あれは無理だ!」
「走れ! 走って逃げろ!」
魔法に熟練した士官たちが青ざめ、阿鼻叫喚する。その声に急かされるように、兵士たちが城壁を捨て、雪崩を打って逃げ出した。
市街地の中央にそびえ立つヨーゼンラント公の居城から、王はそれを見下ろしていた。
「ここまで届くと思うか?」
「届きそうだ」
王の言葉に、バロウンス公が同意する。
「とんでもない魔力が大地を渦巻いているな。なんだあれは、神か?」
ヨーゼンラント公が呆れた声で言う。
大地が揺れた。
加速しながら次々に数を増していく、巨大な岩の津波。巨岩の槍が城壁を粉砕し、入り組んだ市街地をも飲み込んでいく。
全てを破砕する天災のような一撃だった。
伸びた岩の先端が、城の窓を割った。
鋭い先端が、王の眉間に触れる。
「いや、人間だ」
サーベルを抜いた王が、岩に飛び乗った。すぐさま2人の公爵が続く。
城壁を打ち破られた市街地では大乱戦が起きていた。次々に飛び込んで来るケンタウロスと、待ち構えていた人間が血みどろの戦いを繰り広げている。
岩の道を歩む王の正面から、魔王がただ一騎で悠然と歩んで来る。
国家を、種族を背負う者同士がぶつかり合った。
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