21 意志疎通



「もう……私、領地に帰りたい……です……」


「……アイリス?」


 もう無理、私にはこれで限界、考えるのも面倒になって……一周回ってどうでもよくなってきた。


 後の事なんぞ知らん。


 そんなのは明日の私が考えればいい。


「お願いです、公爵様……私をもう領地に帰して下さい、私に公爵夫人は務まりません」


「いったいどうしたんだ、突然。 ……とりあえず部屋に入りなさい、温かい茶でも入れよう」


 領地に帰りたいと思う気持ちは突然でもないのだけれど、ラファエル公爵にとってみれば……。


 突然なのかもしれない。


 でも話したところで何も変わらない、私には公爵夫人なんてただの重荷で、社交なんて上手く出来ないのだから。


「……はい」


 ラファエル公爵は、ついキレ気味に泣いてしまった私の手を引いて執務室の中にある応接セットのソファに案内しハンカチを渡し手際よく茶を入れ始める。


 本来ならば、使用人か私がやらないといけない事なのだけれど、嫌な顔ひとつせず入れてくれた。


 いま私はこんな状態で、お茶を入れるのは難しいから……それはとても有り難かった。


「……さあ、どうぞ?」


「ありがとうございます、公爵様」


 ラファエル公爵が自ら入れてくれた茶は、温かくて甘くいい薫りがした。



「アイリス、茶会で何かあったのか?」


「いいえ、皆さんお優しい方達でとても楽しいひとときを過ごさせて頂きました、ただ……やっぱり身分不相応で礼儀作法も録に出来ない私では公爵夫人は務まりませんし、公爵様のお望みを叶えるのは難しいと思います」


 そう、みんなとてもいい方達で、駄目な自分と比べて胸が苦しくなってしまうほどに。


「……私の望み?」


「っ……本当は、恋なんて嘘で、身体だけ。……そして私に跡継ぎを産ませたいのでしょう?」


「身体だけって……それに跡継ぎ……? 私はそんなことは一言も言って……」


「今日父も……言っておりました、私にはその位しか価値がないから……公爵様の寵愛を受けて命と引き換えにしてでも子を産め……と? え、あれ、公爵様……?」


 私の話を茶を飲んで静かに聞いていた公爵の黄金の瞳が、冷たく鋭い光を帯びていく。


「……それ、男爵が君に言ったのか?」


「え……あ、はい。そうですが……えっ……と?」


「君が何を勘違いしてるか知らないが、私は跡継ぎなんてどうでもいいんだ。子が出来なければ適当に遠縁からでも見繕ってくればいいし、国に爵位を返上しても別に私は構わない」


「えっ!? 返上って……」


「正直言うとね、公爵なんて立場は面倒だと思ってるし、世間体も私は気にしてない。ただ仕事上最低限は必要だから一応は取り繕ってる」


「いや、面倒……それに一応って……」


「だから……君は難しい事を気にしなくていい、礼儀作法も人として最低限出来てればそれでいい、それに子を産みたくないなら産まなくてもいい……ただ、君を領地に帰してやるつもりは私にはない」


「え……どうして、私は……!」


「前に言っただろう? 愛しい人を手元に置きたい私の我が儘だと、社交が嫌ならしなくてもいい……私の側で笑っていて欲しい、好かれてないのはわかってる、でも他の男に君をくれてやるつもりはない」


「……私は愛人なんて作りませんよ?」


 そんなもん作る暇あるなら寝てるし、愛人とか面倒事を抱え込みたくなんてない。


 私にそんなやる気が少しでもあれば、お飾りの妻なんて喜んでやってはいなかっただろう。


「恋は突然落ちるものなんだよ? 私が君に恋をしたように……君にはまだわからないかもしれないが」


「……初恋もまだです」


 引きこもってるからそもそも出会いがないし、好きな人を作った所で結ばれないと知っていたから。


「あはは、それは良かった。好きな男が居たらその男を殺しに行かねばならぬ所だったし……」


「公爵様、笑えない冗談は止めて下さい」


「冗談ではないが? ……まあ子はどっちでもいいが、君と閨を共にしたいとは思っているよ? だが身体だけ欲しい訳じゃない」


「っ……それは……! あの……」


「……でも、もう君に無理強いする気はないし、許可なく触れるのも止めよう。だから命と引き換えになんて子は産まなくてもいい、というかそんなことは絶対にするな、自分を大切にしなさい……私が言えた事でもないが」


「公爵様……」


「君の価値を決めるのは親でも私でもない、君自身で……そんな馬鹿げた事を宣った男爵には私がキツく言って置こう、だから離れるなんて言うな、屋敷から出たくなければ出なくてもいい」


「えっ、じゃあ本当に社交しなくて、ずっと屋敷に私がいても……いいのですか?」


 本当に……何もしなくていい……?


「アイリスがそうしたいならそうすればいい、だが屋敷にばかりいて君は……飽きないのか?」


「一人静かに過ごすのが好きなんです、暗い……ですよね、ごめんなさい」


 飽きるわけがない、暇なのが好きなんだ。


 予定があると思うだけで心が疲弊する。


「いや、そのほうが……私以外の男に君が出会う事が無くて……安心できるな?」


「ふふっ……公爵様は、さっきから何の心配をなさっておいでなのですか?」


「……ああ、やっと……笑ったな?」


 そういって笑うラファエル公爵の黄金の瞳はとても優しくて、春の陽だまりのようで初めて安心できた。


 

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