35 嫁と姑



 あまり楽しいとは言えなかった応接室から、私を連れ出し部屋に帰らせてくれたラファエル公爵は、その黄金の瞳を揺らす。

 

「…… ごめん、不快な思いをさせた」


「いえ、お約束しましたので! でも……帰ってきてくれてとても助かりました、ありがとうございます」


「そうか……、あの人達には私からキツく言っておく。それと母が言っていた事は気にするな、君は君がしたいようにすればいい、私はこの後仕事に戻るが……何か言われても部屋から出なくていいからな?」


「はい、かしこまりました公爵様……あ、お名前……呼んだ方がいいのでしょうか……?」


「……確かに君に名で呼んで貰えたら私はすごく嬉しいが……無理はしなくていいよ? アイリスに負担をかけたい訳じゃないから」


「はい……」


 そう言って優しく微笑んだラファエル公爵は、私を専属メイドジェシカに引き渡し離れていく。


「アイリス様……お休みになられますか? それともお茶とお菓子でもお部屋にお運びいたしましょうか?」


「うん、お茶をお願い、少し疲れちゃった」


「かしこまりました、直ぐにお持ちいたしますね」


 そしてジェシカも居なくなった部屋で私はカーテンを開けて一人、窓の外を見る。


 ……不安、寂しい。


 自分でもどうしてその感情を抱いたのかよくわからない、けど離れていくラファエル公爵に私はそう思ってしまった。


 いない方が気楽でいいと思っていたのに。


 

 そしてジェシカにお茶を入れて貰い平和で静かなティータイムを過ごしていると、扉がまた叩かれた。


 出なくていいとラファエル公爵に言われたけれど、その声の主は前公爵夫人のもので。


 応対しないわけにもいかず扉を開けると。


「アイリスちゃん! 一緒に街にお買い物に行きましょ! ドレスをあまり持ってないと聞いてね、私が選んでさしあげるわ! さあ早く支度してちょうだい!」


「え……」


 さっきラファエル公爵に怒られたばかりだと言うのに、もう忘れてしまったのか前公爵夫人は全く懲りずにアイリスの元にやってきて。


 街に買い物に行こうと、唖然とするアイリスを問答無用で連れだした。


 それをただのメイドであるジェシカが止められるはずもなく、ラファエル公爵に知らせるしかなくて。


 大切な主人を守る事の出来ない、なんの力もない自分にジェシカは悔しさで震えた。




 前公爵夫人にアイリスは問答無用で馬車に乗せられて、街に向かうその馬車内では。


「ほんっと、あの子ったら親不孝なのよ? こんなに親が心配してあげてるのに……親の心子知らずね!」


「……はい」


「アイリスちゃんの事も私は心配して言ってあげてるの! 意地悪じゃないのよ? 公爵夫人としての地盤をちゃんと固めるにはやっぱり跡継ぎを産むのが一番! その次ぎは社交ね! わかってる?」


 跡継ぎ、社交。


 地盤……もういっそ地盤沈下したい。


「……はい」


「だからアイリスちゃん? そんなみすぼらしい格好をしてちゃいけないわ! 貴女はもう男爵家の人間ではなくて公爵家の人間なのだから、公爵家に相応しい、それなりの装いをしてもらわなくちゃ困るわ?」


 公爵家に相応しい。


 みすぼらしい。


 これ……お気に入りのワンピース。


「……はい」


「なので私が全部選んであげるから任せなさいな、アイリスちゃんを素敵にしてあげるっ! これでラファエルも、もっとアイリスちゃんにメロメロね!」


 余計なお節介を前公爵夫人は楽しそうに展開する、そして地雷を踏み抜かれすぎてもう色々と諦めたアイリスは『……はい』しか言わない。


 だがそれに前公爵夫人は気付かない。


 嫁と姑なんてこんなもんなのかも知れない。



 そして街に到着したアイリスは、ご機嫌な前公爵夫人に引っ張られて嫌々お買い物を始めた。


 だが、どこの店に行っても前公爵夫人は前面に出て、アイリスが何か口を挟む余裕など一切与えず店員と話し出すから。


 それにうんざりしてきたアイリスは、気付かれないようにそっとその側を離れて店を出る。


「っ……疲れた、元気すぎ……なにあれ……」


 悪い人では無さそうなのだが押し付けがましいというかなんというか、アイリスとは気が合わない。


 高い身分を笠に着るわけじゃないのだが、前公爵夫人はフォンテーヌ公爵家というものに強い誇りを持っていてアイリスにはそれが重すぎてついていけない。


 あれには付き合いきれない。


 私が離れても気付かないし少し休憩。

 

 確かにあれじゃラファエル公爵も両親が苦手だと言う、私の親とは違う意味で精神を疲れさせる。


 どうしたもんかとアイリスが、前公爵夫人から逃れて休憩していると。


「こんな所で一人でなにしてんの、君……」


「……え? あ……」


 声を掛けられてアイリスが見上げれば、そこには王城で遭遇してしまった陽キャがそこにはいた。

 

 驚いて一歩下がるアイリスに。


「この間はごめんね? 君がすごく可愛くて浮かれちゃった、隊長のお嫁さんがこんな可愛いなんて思わなかったからさ……でも、また会いたかった」


 じりじりとアイリスに近づく陽キャ。


 なに言ってるのこの陽キャ野郎、私はこれでも一応立派かどうかはわからないが人妻である!


 なにが会いたかっただよ!


 うわ、近い近い近ーい! 近寄んな!


「え、私に会いたかった? どうして……」


「一目惚れしたって……言ったでしょ? 諦められないなって、それにアイリスって名前なんでしょ? 名前も可愛いくてすごい俺好み」

 

 お巡りさんこいつですー!


 こんな街中で人妻相手に何言ってるのこの陽キャ野郎、近寄んな変態!


 ラファエル公爵に怒られただろう、お前も!


 なんなのこの世界の人間達、怒られても全然反省しないよ心が強すぎだよ……!?


 近づく陽キャにアイリスは心の中で本日もシャーシャー威嚇を開始する、尻尾は逆立ち完全に臨戦態勢だ。


 だがやっぱりそれを表に出すことが出来ない、流石のアイリスでも今は笑顔を浮かべてはいないが、文句が言えない。


 ぷるぷる怒りにうち震えているだけである。


 そんなアイリスに助け船? が、現れる。


「あら、アイリスちゃん? 何してるのお外で……あら近衛の制服、ラファエルの部下の方かしら? でもどうしてこんな所に……?」


 前公爵夫人が沢山の買い物を終えて、店からご機嫌に出て来たのだった。


「え、たっ……隊長の奥様にご挨拶を……」


「あら、そうなの? でも少し距離が近くてよ? この子は大事な我がフォンテーヌ公爵家の嫁、あまり近寄らないで頂きたいわね」


 前公爵夫人がラファエル公爵によく似た冷たい視線で、陽キャに警告する。


 その姿にアイリスは、目を丸くして驚く。


 ……お義母様格好いい……!


「っ……申し訳ございません」


「……以後気を付けなさい? さあアイリスちゃん、続き買い物にいくわよー! のんびりしてたら日が暮れるわっ! 急いで急いで!」


「え? はい……お義母様……!」


 そして前公爵夫人に警告された陽キャ、イスマエルは悔しさに奥歯を強く噛み締めて二人を見送った。

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