8 世迷い言



「あの……? 公爵様……どうし……」


「……君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと思っている」


「…………へ?」


 人間という生物は訳がわからない状況に突然陥ると、普段念には念を入れて気をつけていたとしても素というものがついつい出てしまうものらしい。


 ラファエル公爵のその突拍子もない戯れ言に、可愛いらしく儚げに湛えていたアイリスの笑顔というメッキが一瞬にしてぺりぺりと剥がれ落ちる。


 笑顔が消えたアイリスの表情は乏しく影を差す、だが流石は長年に渡って築き上げた薄幸の美少女のメッキ。


 直ぐさまに多少表情筋がピクピクと痙攣しているが、また薄幸の美少女の如くそして深窓の令嬢のような儚げで可愛らしい笑顔をアイリスはきっちりと纏う。


 笑顔を必死に取り戻したアイリスはチョコレート色の瞳をこれでもかと大きく見開いて、一応だが夫であるラファエル公爵をじっと観察するように見る。


 観察したラファエル公爵の顔はいたって真剣で、冗談を言っているようには見えない。

 

 だが、アイリスにはそれが冗談にしか聞こえない。


 それにもしそれが冗談じゃなければ、とうとう色惚けでもして気でも狂ったかとアイリスは夫であるラファエル公爵が心配になった。


 ラファエル公爵の金でアイリスは悠々自適な引きこもり生活をエンジョイしているのに、その資金源が危ぶまれるという事態だけは絶対に避けたかった。


 今さらこの素晴らしき引きこもり生活からは抜け出すつもりもアイリスには全くしない。


 もうここまできたら一生公爵領の屋敷で、引きこもって遊んでだらだらと生きていきたい。


 自由を、貴族令嬢としての一番楽しい時期を奪ったラファエル公爵自身の事はとても嫌いだが。


 この引きこもり生活を何不自由なく維持してくれるラファエル公爵の財力に関してはアイリスはとっても大好きである!


 亭主元気で留守がいい!


 つまりは、そういう事である。


 ……な、の、に。


「アイリス、君には結婚してから今まで辛い想いをさせたと思っている、だからこれからは君とは愛し合う仲の良い夫婦に私はなりたい」


 とか、ラファエル公爵は宣ってきた。


 突然そんな世迷い言をぬけぬけと言われても。


「愛し合う……ですか……?」


 いやいやいや……!


 あなた、私の事を愛するつもりがないとかなんとかかんとか結婚式の日にドヤ顔しながら、さもありなんと言ってなかった!?


 と、ツッコミをアイリスは脳内で叫んで入れる。


「ああ、これからはここ王都で私と一緒に暮らし、アイリスには公爵夫人として社交活動もして貰いたいと思っているよ」


 だがラファエル公爵はそんなふざけたことを言って。 


 『アイリスはこの私に愛されて』


 『公爵夫人として社交も出来るようになって』


 『さぞかし嬉しいだろう?』

 

 と、言っているような笑顔で満足そうに笑うから。


 普段仏頂面で冷淡な雰囲気のラファエル公爵が満面の笑顔で笑ってそんな事を言ってしまうから……。


 アイリスの築き上げた深窓の令嬢メッキがまたはらりと剥がれ落ちて、ラファエル公爵にとても嫌そうな顔を向け。


 そしてドスの効いた声を出してしまい。


「……は?」


「え……? あ、アイリス……?」


 一瞬垣間見たそのアイリスの表情にラファエル公爵はビクっと怯えてしまい。


 自信に満ち溢れたラファエル公爵の満面の笑顔が。


 すっ……と引っ込んだ。


 薄幸の美少女で深窓の令嬢であるアイリスの睨みと、ドスの効いた声は近衛隊長でもとても怖かったらしい。


「……あ、いえ、突然の事につい驚いてしまって……! ごめんなさい公爵様、私としたことが、とてもはしたなかったですわ」


「いや、うん、……アイリスが驚いてしまうのも無理はないと思っているよ、大丈夫だ気にしなくていい」


「……はい、ありがとうございます」


「それじゃあ、アイリス私は仕事に行くよ」


「え? あ……はい、いってらっしゃいませ」


「っ……ああ! いってくる」


 ……アイリスは動揺が隠せない。


 動揺するアイリスを、恥ずかしがって可愛いと、ラファエル公爵はとんだ勘違いを織り成していく。


 まさか自分の事を引きこもり生活を支えてくれる財布くらいにしか妻であるアイリスが思っていなかったなんて、夫であるラファエル公爵はそりゃ思わないだろう。


 それに公爵夫人としての社交をアイリスがとても嫌がっている事も、ラファエル公爵は知る由もない。


 そして、アイリスはふと気になった。


 あれ? 


 あなたの平民の美人な彼女はどこにいった?

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