12 嬉しくないし



 チョコレート色の瞳を丸く大きく開いてアイリスは、ラファエル公爵の事をじっと穴が空くほど見つめた。


 だって高位貴族であるラファエル公爵が、いくら手続き上の妻とはいえ下位貴族の元男爵令嬢に謝るなんてアイリスは思ってもみなかった。


 それに謝った内容はとても些細な事で、ラファエル公爵が謝るようなことでは無い。


 それに自分の事をこの男が気に掛けていたなんて、アイリスは知らなかったから。


 ただアイリスは言えないけど言いたい。


 『そんな些細な事を謝る前に、ラファエル公爵貴方は私になんか言うことがあるんじゃないの?』

 ……と。


 食事の好みなんてつまらない事を謝るくらいならば、三年間放ったらかしにしたことを謝って欲しい。


 そうしたら心の底でくすぶり続けているこの想いが、わだかまりが解けて消えてくれるのに。

 ……と、珍しくアイリスは感傷に浸る。



 だが今さら謝られた所で大して嬉しくないし、その程度の謝罪なんかで絆されてなんてやらん。

 ついでに絶対にラファエル公爵なんて好きにならないし、愛してなんてやらないんだからね!


 と、公爵の言葉にアイリスは心の中で反論する。


 それに謝罪する気持ちがあるなら、私を領地に帰してくれ、私は屋敷に引きこもって悠々自適に遊んでいたいのだ。


 そもそも私は公爵夫人として働きたくない、社交活動などしたくないのだ。


 だって。

 元男爵令嬢の公爵夫人なんてそれ、社交界で除け者ならまだ全然マシで。

 ほぼ確実に私は腫れ物扱いだぞ? 


 あと私、貴族の友達がほぼいない……!


 だって領地にずっと引きこもってたし?


 公爵夫人というやんごとなき立場の人間が夜会やお茶会でボッチで壁の花するとか、それ絶対に目立つし周囲が気を遣う。


 それに引きこもりに社交活動が出来ると本気で思ってんのだろうか、この公爵様は。


 社交活動なんてデビュタントしか経験がなく。

 淑女教育も、ラファエル公爵と結婚が決まってから付け焼き刃で少しやったくらいで教養もほとんどない。


 ダンスも踊れないし、覚えたマナーも今やあやふや。


 今生の親である男爵夫妻は私に全く興味を持たず、淑女教育どころか最低限の貴族教育すら金の無駄だとして行わなかった事を、私は知っている。


 だが結婚する時に。


 『可哀想な事をしてしまう私達を許してくれ』


 とか?


 『これは契約結婚であって彼とはまともな夫婦にはなれないけれど、アイリスは幸せになってね』


 とか言ってたけど。


 あれは絶対に良い親感を出したいとか、あとで私に金の無心をするつもりだと思う。


 だがまあ貴族令嬢の婚姻なんて家の利益の為になされるもので、そんなもんである。


 それに私自身にとっても、この結婚は契約結婚。

 ラファエル公爵はお飾りの夫だから、あの男となんて私は愛し合う夫婦になるつもりは無いのだ。




 ……だけど。


「過分のお気遣いありがとうございます、公爵様」


 アイリスはニッコリと可愛らしく微笑んだ。


 そしてラファエル公爵とのなんだかんだ和やかな晩餐も終わり公爵夫人の部屋に戻ってきたアイリスは専属メイドジェシカに話しかける。


「ただいまジェシカ!」


 公爵夫人の部屋にある浴室で、アイリスの入浴準備をしていた専属メイドであるジェシカはどこか楽しそうな雰囲気のアイリスに。


「おかえりなさいませアイリス様、直ぐにお風呂になさいますか? ……アイリス様なにか良いことでもございましたか?」


「んー……ちょっとだけ、面白いことがあったよ? ……あのラファエル公爵がね私にすごいつまらない事で『すまない』って謝ってきたんだよ? すごく笑えるでしょ? あの仏頂面がさ? 申し訳なさそうな顔したの!」


「ふふふっ……! それはようございましたね、アイリス様、私も少し見たかったです!」


「うんうん、見物だったよ? 公爵ってね人に謝ること出来るみたい! 私初めて知った!」


 アイリスの数少ない素の表情を知る専属メイドジェシカは、楽しそうな女主人の話を聞く。


 普段自分からラファエル公爵についての話なんて一切しないアイリスが、とても楽しそうに公爵の事を話すから微笑ましくその姿が映る。


 結婚当初、領地に行って直ぐからジェシカがメイドとして仕えているアイリスはいつも一人ぼっちで部屋で静かに過ごしている。


 あまり人と関わる事が得意ではないアイリスは、使用人達とも一定の距離を保ち、いつも一人ぼっち。


 だからアイリスは手がかからないが、普通の令嬢達と違い打ち解けるのにとても時間がかかった。


 だからか、仕えるべき相手ではあったが少し年下のアイリスがジェシカは可愛くて可愛くて仕方がない。


 例えるなら懐かない野良猫を手懐けた気分である。

 

 そんなアイリスが一応夫であるラファエル公爵の事について話すのをとても嫌がるから執事リカルドに頼まれても二人の話には一度も出たことはなかった。


 だが今日はとても珍しくラファエル公爵について自分から話すアイリスは、子猫のように尻尾をピーンと立ち上げて振るわせ喜んでいるように見えて。


 とても楽しそうでジェシカまでつい嬉しくなった。

 

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