13 始まってしまったルームシェア



 ラファエル・フォンテーヌ公爵の朝は早い。


 毎日夜明け前には必ず起床。

 そして一日も欠かすこと無くきつい鍛練を眉ひとつ寄せる事無く一人黙々とこなし、その肉体を完璧に維持する。


 それはひとえに近衛騎士にとってその強靭な肉体は、王を守る為の最後の盾であるからだ。


 そしてラファエル公爵は、公爵として必要な執務を一通りこなしてから王城に出勤していく。


 それがラファエル公爵の朝の日常である。


 そんなラファエル公爵の鍛練を初めてアイリスは部屋の窓から見つけて、昼間働いてるのに朝から運動するなんてあの男は化け物か?

 

 と、大層驚いた。


 引きこもってばかりで録な運動をしないアイリスは、食事量も極端に少ないし身体は華奢で顔はほとんど日にも当たらないから驚くほど白い。


 だからアイリスはラファエル公爵を窓から、珍獣でも見物するように少しだけ観察した。


 そしてラファエル公爵を見物するのに飽きたアイリスは、窓から離れて寝台にいそいそと帰る。


 アイリスの朝はとても遅い。

 引きこもりであるアイリスは朝に寝て昼過ぎに起きる、それが彼女にとっての普通。


 それに昨日は前日の馬車の疲れもあってかたまたま夜に大人しく寝て朝起きていただけで。

 夜行性の猫のような生活をおくるアイリスは、朝は基本的にぐっすりと寝ている。


 だからラファエル公爵が食堂でアイリスをどんなに待っていても、朝食にやって来ることは決してない。

 それに昨日みたいにラファエル公爵をアイリスがお見送りしてくれる事も、絶対にない。


 なので朝からアイリスに会えるかもしれないというラファエル公爵の淡い期待は、あっさりと打ち砕かれて儚く散っていくのだった。



 ――ラファエル公爵が出勤してから数時間後。

 引きこもりアイリスの優雅な1日が始まる。


「おはようございます、アイリス様。すぐに朝食になさいますか? それとも湯浴みされますか?」


「んぅ、まだ……眠い」


「では、また後程起こしにきますね」


「うん、おやすみ……ジェシカ……」


「おやすみなさいませアイリス様」


 ……始まったと思ったのもつかの間。

 アイリスの1日はまだ始まらない。

 そう、引きこもりの醍醐味二度寝である。


 すんなりアイリスが起きないと専属メイドジェシカは心得ているので、そっと寝かしておく。


 アイリスはかまい過ぎると機嫌が悪くなるし、寝不足だとただでさえ少食なのに食事を摂らなくなる。

 そして寝台で一日中ゴロゴロするからだ。


 約三年間側で仕えているメイドのジェシカには、アイリスが引きこもりだとしっかりバレている。


 それについてジェシカは執事リカルドにも伝えてはいるが、いまいち理解して貰えず。


 ただの深窓の令嬢だと、アイリスは思われてしまっている。


 執事リカルドの前ではメッキ処理が施された深窓の令嬢の姿しか見せない。

 それにアイリスの素が見られる私室には、男性であるリカルドは遠慮して入って来ない。


 本当のアイリスは深窓の令嬢なんて可愛らしいものではなく、働いたら負けだと本気で思っている引きこもりのニート。

 なのだが、いまだに深窓の令嬢だと執事リカルドには思われている。


 専属メイドジェシカは二度寝を決め込んだアイリスをちらりと見て、ふと思う。

 アイリス様に公爵夫人の仕事を、社交をさせるなんてそれただの拷問では? と。


 だってアイリス様は人見知りが激しいし、とても神経質で繊細。

 社交界で腹芸なんて出来る性格ではない。


 あまりご無理をなさってアイリス様が体調を崩さなければよろしいのですが、とジェシカは思う。


「おやすみのところ大変失礼致しますアイリス様、執事のリカルドが少々ご相談したい事があると言ってますが……どう……致しましょうか?」


「ん、リカルドが? ……どうせ録な事じゃないよね、それ絶対に……うわ、やだなあ……めんどいなあ……」


「ですよね……嫌ですよね……やっぱり」


「……でも、どうせ今聞かなくても後で言ってくるんでしょ? それもそれでやだ……」


「まあ、そうでしょうね……残念ですが」


「嫌だけど聞くしかないか……ジェシカ、着替える」


「……はい、かしこまりましたアイリス様」


 本日はピスタチオグリーンのシャツワンピースに、オフホワイトのアンクルストラップパンプスで。


 チョコレート色の髪はジェシカが丁寧に編み込んでサイドに流し、オフホワイトの繊細なレースのリボンがあしらわれていてとても可愛らしい。


 どこからどう見ても今のアイリスは薄幸の美少女で、深窓のご令嬢。

 さっきまで二度寝を優雅にかまし、涎を垂らしていたとは絶対思えないだろう化けっぷりで。

 本人も驚くほどである。


 今生の私、やっぱり可愛すぎる……!


 鏡の前でアイリスは自画自賛して。


 公爵夫人の部屋にリカルドを呼んだ。




◇◇◇




 王都にある公爵邸の公爵夫人の部屋の隣には、完全なる私室の他に来客対応が出来る部屋がある。


 なのでそこでジェシカにお茶をいれて貰いながら、アイリスは執事リカルドの話を嫌々聞く事にした。


 アイリスは今はなるべく動きたくないのだ。


 アイリスにとっては長い長い馬車の旅から約二日経って、馬車による筋肉痛が今更ながら出て来てしまったらしく。

 足腰が、尻の筋肉がとても痛いから。


 やっぱりたまには運動をした方が良いらしい。


 不摂生な生活が身に染みる十八歳人妻である。

 

「……リカルド、私にお話って何かしら?」

 

 尻が痛いなんて一切その顔に出さず、アイリスは品よく微笑んで執事リカルドに問う。


 その姿はとても優雅で引きこもりのニートとは全く思えないから、執事リカルドにもラファエル公爵にもその生態は気付かれない。

 

「……来週王城で王太子妃殿下主催のお茶会が開かれるということで、奥様にも招待状が届いておられます」


「え、お茶会?」


「はい、奥様がこちら王都に戻られたという事で是非にともご参加して頂きたいと、使者の方が申されておりましたが……どうされますか?」


「……それ、断わったら絶対駄目なヤツですよね?」


「まあ……そうでございますね。ラファエル様は近衛隊長をなさっておいでですので……奥様が王太子妃様のお誘いを断わられますと少々……」


「……そう、ですか、でも私お茶会に着ていくようなドレスなんて一着もありませんが……?」


「……え? あ、……そ、それでは直ぐに手配いたします、では、私はこれで!」


 ドレスの手配の為に、執事リカルドが慌てて部屋を出ていく。

 

 さてはあの執事忘れてたな? 


 ……だか、どうしよう?


 私、お茶会なんて一度も行った事がない。


 お茶会のマナーなんて知らない。


 それに初めてのお茶会が王太子妃様のお茶会なんて、引きこもりにはハードル高すぎじゃない!?


 

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