10 見当違い
夕暮れ時の公爵邸は晩餐の準備で慌ただしい。
領地から三年ぶりに戻ってきた可愛らしい女主人の為に腕によりをかけて料理長は料理を作る。
長年公爵家で勤めてきた古参のメイド達は主人の帰宅に不備がないか屋敷中をを見て回る。
まだ年若いメイド達はもしかしたら自分達もチャンスがあるのではないかと期待して、この屋敷の主人である公爵様のお出迎えに玄関に勢揃いする。
そんな慌ただしい公爵邸の玄関前にラファエル公爵を乗せた一台の馬車が停車して艶やかな黒髪を公爵はかきあげながら降り立つ。
その表情は無、基本的にこのラファエルという男は無表情で仏頂面である。
それが貴族令嬢達には冷徹で素敵と持て囃されて、夜会に出席すればその整った顔と地位も相まって注目の的である。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
年若いメイド達は、声を一斉に揃えてラファエル公爵を笑顔で恭しくお出迎えする。
だがメイド達にとってはとても残念な事に、ラファエル公爵はそれに興味がないらしく、目配せの一つすらする事なく無表情のまま屋敷の中に入っていく。
――そこへ。
「お帰りなさいませ……公爵様」
淑やかにアイリスが。
手触りの良さそうなオフホワイトのショールに、ダスティブルーのフリルのロングワンピース。
という清楚な服装で可愛らしくお出迎えした。
アイリスは可愛らしい微笑みを湛えてラファエル公爵をわざわざ玄関までやってきてお出迎えするから。
ラファエル公爵の胸はドクンと高鳴った。
それが二人の夫婦仲を取り持ちたい執事リカルドによって、仕組まれた事だとも知らずに。
自分の我が儘でまだ幼かったアイリスをお飾りの妻にして領地に送ってしまったから、嫌われているか恨まれているとラファエル公爵は思っていた。
だがアイリスが可愛らしく微笑んでお出迎えして、『お帰りなさい』と言ってくれたから。
ラファエル公爵は嬉しくなった。
三年前契約結婚してから執事リカルドによって定期的に届けられるアイリスの近況報告。
それとアイリスが刺繍したハンカチを、ラファエル公爵はいつからか楽しみにしていた。
最初はアイリスはただの契約結婚相手だったし、十五歳なんてラファエル公爵からすれば幼すぎて何とも思っていなかった。
誓いのキスもフリでさくっと済ませたし、初夜も最初からするつもりは毛頭なく。
一緒の部屋に朝まで居ればいいかと思っていた所にアイリスが『必要ない』と言ったので、これ幸いとそそくさと帰った。
だが定期的に執事リカルドによって届けられる近況報告で楽しそうに領地で遊んでいる事を知ったり、アイリスが刺した刺繍が手元に届けられる度に。
別れの際にアイリスが見せた儚げで可愛らしい微笑みをラファエル公爵は思い出してしまう。
(ただしその刺繍のハンカチは刺し終えて飽きたとアイリスにその辺に放置されたもので、別に公爵の為に刺したものではない)
自分には愛しい恋人がいるし、幼すぎて女性として全く見られなかった。
なのにどうしてもアイリスの可憐な微笑みが、公爵は忘れられなかった。
(それについては執事リカルドが、アイリスの肖像画をラファエル公爵の執務室に飾っている為なのだが公爵本人はわかってない)
それに結婚式の最中に見せた少し寂しげなアイリスの表情も、引きずられるように思い出されて。
仕事中も恋人と居ても思い出してしまう。
別にラファエル公爵はアイリスに恋をしたと言うわけじゃなかったが、何故か気になるし思い出してしまうのだ。
それからはだんだんと恋人に対して、ラファエル公爵は興味が失くなっていき。
アイリスとの結婚式から半年もかからずに、平民の美人な恋人とはあっさり破局。
それには古参の使用人達も驚いた。
前公爵夫妻の指示もあって、どうにかしてこの二人を別れさせようとアイリスとラファエル公爵の契約結婚の数年前から試行錯誤を繰り返していたのに。
なのにたったこれだけでラファエル公爵はあっさりと恋人と別れるものだから。
そしてあっさり破局したラファエル公爵は、ここでアイリスを王都に呼び戻せばいいものを。
この男は見当違いな行動を始めた。
ラファエル公爵は公爵領の屋敷に時折内密に戻って、アイリスを物陰から隠れて観察するという、とても気持ちの悪い行動をやり始めたのである。
だってラファエル公爵は。
『愛するつもりはない』
と、アイリスに宣言してしまった手前どの面下げて会えばいいのかわからなかった。
だがこれには執事リカルドも大層困った。
こんなことをラファエル公爵がしているとアイリスに知られれば、確実に気持ち悪いと余計に嫌われるだろうから。
そしてラファエル公爵は日がな一日刺繍に没卯するアイリスや、お散歩するアイリス。
たまに執事リカルドのお手伝いをするアイリスを、物陰に隠れて観察する。
それは定期的に行われ、月に二度の頻度でラファエル公爵は領地に戻り物陰に隠れじっとアイリスを眺めるだけで大層満足しご機嫌に王都に返っていくから。
執事リカルドがラファエル公爵に。
「……そんなに気になるなら、アイリス奥様に直接お会いされてはいかがですか? きっと喜ばれますよ?」
と、ラファエル公爵を説得するが。
「……っその必要はない!」
と、聞く耳を一切持たず。
結婚式から3年の月日が経とうとしていた時にアイリスはちょうど領地の街にお買い物に執事リカルドと専属メイドジェシカを伴って出掛けた際。
アイリスが年若い商人の青年と楽しげに会話するのを、また気持ち悪い事に物陰に隠れて観察していたラファエル公爵がその光景を目撃して。
ラファエル公爵はやっとその気持ちを自覚した。
愛の無い結婚式から早三年、幼い少女は美しい淑女に成長し蕾から可憐な花を咲かせ始めた。
可愛らしく微笑む姿は清楚で可憐、それにとても儚げで日に焼かれる事のない深窓の令嬢であるアイリスの肌は白く輝いていて美しい。
……これ、領地に放ったらかしにしてたら、他の男にアイリスを取られてしまうのではないかとラファエル公爵は初めてここで危機感を覚えた。
いくら結婚していたとしても、それは契約結婚。
『愛するつもりはない』
『お飾りの妻だ』
と、結婚式の日に宣った男が夫では。
もし魅力的な相手がアイリスの前に現れたらそちらに行ってしまうのではないのか?
それに、ラファエル公爵は初夜をしていない。
それは公爵家の使用人達も知る事実。
貴族の結婚で初夜をしないというのはとても不味い、初夜をしないと婚姻自体が不成立。
もしアイリスに好きな男が出来て、婚姻無効を申し立てられたら……?
ラファエル公爵はついに気付いてしまったその失敗に、顔色をとても悪くした。
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