41 下世話な本が読みたいだけ



 ……壁の花、いいなぁ。


 動物園のパンダと化したアイリスは、壁に咲く花達に羨望の眼差しを向ける。


「……疲れましたか? 飲み物を貰ってくるのであちらの椅子に座ってアイリスは休んでいて下さい」


 魂が抜けたような生気のない顔色で、ぐったりと項垂れ始めたアイリスにラファエル公爵は休息を促す。


「あ、はい……ありがとうございます」


 それはアイリスにとって天の助け、ふらつく足取りで椅子にゆっくりと座り息を吐く。


 まだアイリスは社交らしい社交なんて全くしていないし、ダンスすらも踊ってはいない。


 会場に入場してアイリーン王太子妃と少し話しただけ、なのにこの徹夜明けのような疲労感。


 清楚で可憐な深窓の令嬢メッキを維持する事すらアイリスにはおぼつかない、それは根本的な問題として絶望的に体力がないから。


 朝からメイドに全身磨き上げられて普段着ることのない豪華な重いドレスに、ヒールの靴。


 そして浴びせられる不躾な視線の数々に心労が積み重なって、アイリスは既に満身創痍で。


 束の間の休息に再びの溜め息を溢していると、同じように魂が抜けたようなご令嬢が壁の花を決め込んでいるのがアイリスの目に入った。


 簡単に折れてしまいそうな華奢な身体に美しい銀髪、日の光を浴びた事のないような真っ白な肌、そして同族にしかわからない絶妙な距離感。


 ふと目が合う、交差する視線。


 そして同じタイミングでそらされる視線に。


 ……あ、同じだと二人はわかり合う。


「……こんにちは」


「コンニチハ」


 夜会なのに、咄嗟に発した言葉はお互い『こんにちは』と『コンニチハ』で。


 コミュ障ここに有り。


 で、つい可笑しくなって笑いあう二人。


「私はアイリス、えと……貴女は……?」


「ワタシ……エレノア、コトバニガテ、ゴメンネ? アウラ、カラキタノ……」


 その言葉にアイリスは、そういえば隣国から王女様一行が来ているとアイリーン王太子妃が言っていたなと思い出して。


「『アウラ国からいらしたのですね? ようこそ我が国へ、私はアイリス! 夜会、疲れますよね?』」


「『っえ……貴女言葉話せるの!?』」


「『アウラ国の本好きなんです、だから少しだけ』」


 それは引きこもりの暇潰し。


 異国の文字ならばえっちで下世話な酷い内容の本を読んでいても周りは読めない。


 そんなものも深窓の令嬢が読んでると誰にもバレない、だからアイリスは嬉々として学ぶ。


 そしてアイリスは、異国の言葉がすらすらと読めるし話せるようになった。


 前世では字幕無しで映画やドラマが見たいからと英語を勉強する、趣味に全力投球するタイプで。

 

 その熱意をほんの少しでも日常生活にも向けていればアイリスの人生は変わっていただろうが、いくら話せたとしても、この引きこもりは好きなことしかしないし動かない。


 外になんて出ないので生かせないはずだった。


 だが偶然にも出会ってしまった同族との会話に話が弾む、内容は残念極まりないものだが難しいと言われる公用語で滑らかに#王女__・__#と話すアイリスに視線は集まる。


 ラファエル公爵が飲み物を持ってアイリスの元に戻るごく僅かな時間でアイリスは、人々の注目をまた浴びていた。


 そして視線を集めるアイリスは自分が喋っているのが王女本人だとは思ってもみない、だって王女が壁の花を決め込んでいるなんて普通は思わないから。


「アイリス? ……そちらの方は」


「ら……ラファエル様、えとこちらの方はエレノアさんです! お友達に……なりました!」


「……え、エレノア王女殿下とお友達!?」


「お、王女様……?」


 だが近衛隊長のラファエル公爵は直接に話す事はなくても、王女の顔は知っていたから。


「『エレノアさんって……王女様!?』」


「『うん、そちらの方は……?』」


「『お、夫です……!』」


「『まあ……アイリスの旦那様は素敵な方ね?』」


 と、ラファエル公爵の前でも流暢にアイリスは公用語でエレノア王女殿下と親しげに話すから。


 ラファエル公爵はそんなアイリスに、とても驚かされて目を丸くする。


 ……アイリスは何も出来ないと思っていた、だけどそれでもいいとラファエル公爵は思っていた。


 なのに難しいと言われる公用語を流暢に話し、いつも暗い顔をしていた隣国の王女を楽しませて。


 近くに控えていた隣国の大使がその様子に満足そうな顔をして、外交の場を和ませていたから。


 何も自分はアイリスの事を知らなかったと痛感させられて恥ずかしくなったし、もっと知りたくなった。


 この出来事によりラファエル公爵のアイリスに向ける想いはさらに加速して、一般的な恋心から溺れる程の溺愛に変わっていく。


 そんなアイリスをずっと舐め回すように見つめ続け機会を窺う、視線にラファエル公爵は気付けない。


 まさかあれだけ強い抗議を家にしたというのに、諦めていないだなんて普通は思わないから。

 

 

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