26 夜のお散歩



 三日坊主が私の中では当たり前の現象なのだが、奇跡的にまた歩こうと思えている今日この頃で。


 ただ少し歩いただけで全身が筋肉痛になったという悲しい現実は……受け入れがたかったが。


 たぶんこの時間は執務室にいると廊下を歩いていた使用人に聞いたので、アイリスは緊張しつつ扉を軽くノックすると。


「夜分遅くに失礼致します、公爵様……あの、お散歩の……お誘いに参りました」


「こんばんはアイリス、お誘いありがとう……君が私を誘いに来てくれてとても、嬉しいよ」


「いえ……約束でしたので、ですが本当にお付き合いをお願いしても大丈夫でしょうか、公爵様はお仕事でお疲れではないのですか?」


「なに、これくらいどうってことはないよ? さあアイリス夜のお散歩に行こうじゃないか」

 

 執務室から出てきたラファエル公爵は近衛隊長の仕事で疲れているはずなのに、嫌な顔一つせず笑顔でアイリスを出迎えてくれたから緊張が少しだけ解けた。


 そしてラファエル公爵が手に持つランプの明かりが、歩む道をぼんやりと照らしてくれて、この間の散歩より歩きやすく感じられた。


 アイリスとラファエル公爵は特に何を話すでもなく、ただゆったりとした足取りで歩く。


 端から見れば仲の良い恋人同士に見えるかも知れないが、そこに甘い雰囲気はまだなくお互いの距離を計り兼ねていて2人はどこか緊張した面持ちで。


「あのっ……公爵様……」


「ん? どうしたアイリス」


「ありがとうございます……その、静かに過ごさせて頂いて……本当は私も公爵夫人としてお仕事……夜会に公爵様と行かなくちゃいけないのに……! 一人で行かれているとお聞きしましたので……」


 普通夜会には配偶者と行く。


 なのにラファエル公爵は一人で行っていると、この間使用人達が廊下で話しているのを聞いてしまった。


 彼女さんとは別れたと聞いたし、本来なら自分が夜会に同伴しなくちゃいけないのにラファエル公爵は本当にあれから何も言って来ない。


「ああ、なんだそんな事か。アイリスは何も気にしなくていい、それに行った所でつまらない話をするだけだし……大して面白くもないしな?」


「え、面白くないのですか? お姉様は楽しいと……よく言っておりましたので」

 

「夜会が楽しいと感じる者もいるが、静かな暮らしが好きな君には苦痛になるかもしれないし、無理はしないでいい。人には得手不得手が何かしらあるからな? 私にも苦手なものがあるしな」

 

「え、公爵様にも苦手な事が!?」


「ああ、父と母の対応がな?……とても骨が折れる」


「ふふっ……お義父様とお義母様が苦手なのですね? 私と同じ……ですが、公爵様のご両親は優しくて良い方達だった記憶がございますが……」


 ラファエル公爵のご両親も見目麗しい美男美女で別世界の住人のようだった記憶がある。


 それにとても物腰が柔らかく、身分を笠に着ない話しやすい方達だった。


「……それは、私の嫁に来てくれた君に対してだけだ。私にはとても辛辣な両親だよ? あの人達は私には小言しか言わんから会うたびに疲れる」


「まあ……そうなのですね。では今度お義父様とお義母様にお会いする時は私が……頑張ります」


「え、いいのか?! だが無理はせんでいいぞ?」


 ラファエル公爵はとても嬉しそうにその提案に飛び付いてきて、余程嫌なのだろう事が窺い知れた。


「……比べるのもおこがましいですが 、私の両親に比べれば、お義父様もお義母様も神様のようにお優しい素敵な方達なので無理はしておりませんよ」


 男爵達に比べたら月とすっぽんである。


「……そうか、ならアイリスにあの人達の事は任せる、私は素晴らしい妻を持ったようだ」

 

「遊んでばかりいる、ダメな妻ですよ? 私」


 引きこもりニートです、ごめんなさい。


 でも引きこもり辞める気はありませんので、一生養って下さい、どうしても働きたくないです。


「何を言うんだアイリス、君はこの家を守ってくれる良い妻だ、それに私の苦手な事もフォローしてくれるという素晴らしい女性だよ?」


「え、公爵様?」


 なんだこの人……?


 実はいい人だったのか?!


 お財布だとか思っててごめんなさい!


「君は何もしなくていい……あ、いや、悪い意味ではなくて……あの日君に言ってしまった言葉を……それに態度を私はとても後悔しているよ、女性にとって特別なのにな……結婚式は」


「……大丈夫です、最初からそういうお約束でしたから、覚悟しておりましたし……私には公爵様との結婚は身分不相応ですし……気にしないで下さいませ」


 そうなる事は本当に覚悟していたし、あの家から出れただけで私は本当に満足していた。


 出来ればあの糞親達のいない安全地帯の公爵領に戻って、悠々自適にのんびりと過ごしたいが。


「君は……少しは我が儘になった方がいい、言いたい事も……私には言いにくいかも知れないが言って欲しい、欲しいものとか何か……ないのか? 宝飾品でも、ドレスでも……何かしらあるだろう?」


「えーっと……そうですね? 刺繍の糸が欲しいです、出来れば図案も新しいものが……あれば……」


 そろそろ今の図案にも飽きてきたんだよな?


 もう図案なんて見なくても刺せちゃうぞ?


「……アイリス、君は……もしや聖女か何かか? 無欲すぎて心配になるよ、私は」


「いえ私は結構欲にまみれていると……自負しておりますが? 直ぐに欲しいもの言えますし」


「それのどこがだよ……くくっ……糸って……あはは」


 あ、ラファエル公爵が腹を抱えて笑った。


 というか、笑われた。


 それになんかいつもと違ってちょっと態度が。


 ……砕けてる?


 もしや……これがこの人の素なのかな?


 そういやこの人よく笑うけど、冷徹というあの噂はどこから来たのかな……?


 全然冷徹じゃないじゃん……?


 糞親父の嘘つき。

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