52 お飾りの妻は




 大人しく言うことを聞いて、ただ従順で。


 領地で何の問題も起こさずに、公爵夫人という肩書きと裕福な暮らしだけに満足して。


 静かに暮らしてくれればいい。


 求めたのはそれだけだった。


 そしてデビュタントを迎える令嬢達が出席する夜会が王城で開かれて、大人しそうな令嬢を選んだ。


 それがアイリスだった。


 アイリスの家が財政難だと知って、これは丁度いいと資金援助をヴァロア男爵に持ちかけた。


 財政難に苦しむ男爵家にとって、多額の資金援助は願ってもない事であるし。


 下位貴族である男爵家にとってこの縁談は、上位貴族である公爵家と縁続きにもなれて好条件で。


 直ぐに縁談に飛び付くかと思っていたのに、なぜか最初は断られた。


 だか交渉を重ねて、どうにかアイリスとの結婚が本人の意思など関係なく調った。


 そして結婚式で会ったアイリスは以前見かけた通り、大人しい少女だった。


 だけどお飾りの妻になるというのに、にこにこと可愛いらしく笑っていて。


 ……どうしてそれで笑っていられるのか気になった。


 それがきっかけ。


 愛するつもりなど微塵も無かったのに、いつの間にか愛しくなっていって。


 好かれてはいないということはわかっていたが、誰にも取られたくなくて王都に呼び出したら逆に。


 『愛するつもりはない』


 と、アイリスに言われて初めて。


 その言葉が、どんなに酷いものなのかを身をもって思い知る事になった。


 だけどアイリスと交流を重ねていく内に、少しは気を許してくれたのか可愛らしく微笑みかけてくれるようにって。


 部屋に自らアイリスが来てくれると聞いて、ようやくその想いが通じたと喜んだ。


 だけどアイリスの口から放たれた言葉に驚いた。


 大人しくて可愛らしい、不器用だけどいたって普通の令嬢だとラファエル公爵は思っていた。

 

 でもよくよく話しを聞いてみれば、アイリスは普通の令嬢ではなく……アホの子だった。


 ……だけど、そんなところも可愛いらしく好ましいと思ってしまうのは恋がなせるわざか。


 ただし。


 蛇の生殺し状態は結構辛いなと、ラファエル公爵は頭を抱えてどうしようかとつまらない事を悶々と悩んでいる。


 アイリスからラファエル公爵の部屋に来た以上、朝まで帰すわけにはいかないのだ。


 今アイリスを部屋に一人帰せば、夫に閨を拒絶された妻として使用人達から冷遇される可能性が出る。


 それがもし外部の人間に知られれば、アイリスは醜聞の的になってしまう。


 ……だから。


「アイリス、君にそんなつもりが無かったとしても……皆がそうだと思ってしまっている以上、今夜は私の部屋で寝なさい……」


「っえ……で、も……」


「アイリスが嫌なら、私は何もしないよ?」


「ラファエル様……」

 



 淑女教育さえ録に受けていなくて、貴族としての自覚も矜持もなく。


 公爵夫人になんてなれるはすがないポンコツだと話したら、ラファエル様は少し目を見張って驚いた。


 でもそれだけで。


 大したの反応を見せることなくラファエル様は、黄金の瞳を少し細め微笑んで、優しい言葉を掛けてくれたけど。


 何も出来ないダメな人間だと本当の事を知って、ラファエル様を失望させてしまったのだろうか?


 これで愛想を尽かされて、捨てられたとしたら?


 そうふと考えてしまったら、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ落ちた。


「え、アイリス!?」

 

「っラファエル様……いやです……!」


「朝まで部屋に居てくれればそれでいいから……絶対にアイリスの嫌がることはしないから……!」


「ち、違います……私の事、捨てないで下さい! ラファエル様にいらないって捨てられたら……」


 ……素敵な引きこもり生活を与えてくれるだけでいいと、思っていた。


 でも本当に三年間もほったらかしにされて、このまま誰にも愛される事なく人生を終えるのかと思ったら悲しくなったし寂しくなった。


 そんな時に王都に呼び出されて最初は三年間も放ったらかしにした癖にと反発した。


 だけど本当にラファエル様が私の事を大事にしてくれているのが、少しずつだけどわかってきて。


「アイリスの事を私が捨てるわけがないだろう?! こんなに君が可愛いのに……」


「……本当に?」


「当たり前だ、離縁したいと言ってもアイリスを手離すつもりは毛頭ないよ」


 ……私はラファエル様に恋をした。


 『愛されるつもりはない』


 『お飾りの妻だ』


 と、ふざけた言葉を吐いたこの人に。


 絆されてやるつもりなんて微塵も無かった。


 許してやるつもりも無かったのに。


「だったら……ちゃんと愛してください? お飾りの妻は嫌です、私は……本当の妻になりたい」


 アイリスはチョコレート色の瞳を大きく開いて、ラファエル公爵をじっと見つめた。


 そんなアイリスの頬は恥ずかしさからか、ほんのりと赤く染まり恋する乙女のようで。


 そんな可愛らしい反応をするアイリスにじっと見つめられてしまったラファエル公爵は、連れて頬を赤く染めて。


「……っえ?」


「お飾りの夫も嫌なんです、私の事を……愛するつもり、ラファエル様にはありますか?」

 

「ああ、君の事を私は愛するつもりがあるよ、だからお飾りではなく……本当の妻になって欲しい、愛しているよアイリス」 


「私もです……! ラファエル様、大好きです!」


 


 そしてアイリスは。


 お飾りの妻から本当の妻になった。


 だけどその性根は何も変わらない。


 日がな一日屋敷でだらだらとして引きこもって遊んでいるし、社交活動も録にしないでたまに気が向いたらお茶会にお菓子を食べに行く程度。


 だけど何故かそれが良いと、社交界でアイリスの人気が出てしまった。


 にこにこ可愛らしく清楚に微笑んで裏表がなく辿々しいアイリスは、貴族の根回しやら何やらで心身共に疲れたご婦人を癒す存在になって。


 それに元々フォンテーヌ公爵家は上位貴族であるから、たまにアイリスがお茶会に行くだけで存在感は示せた。



「でも、公爵領が恋しい……! たまには帰りたい!」


 ぐっと拳を握りしめたアイリスは勢いよく立ち上がり、公爵領への愛を語る。


 ラファエル公爵は突然立ち上がり領地への愛を語り始めたアイリスを、微笑ましく眺めて。


「アイリスは本当に領地が好きだね?」


「はい、大好きです……だからラファエル様、たまには領地のお屋敷でのんびり引きこもりませんか?」


「君は王都でも、のんびりと毎日引きこもっているだろ? たりない?」


 今日もラファエル公爵が王城で働いている間アイリスは、公爵邸でのんびりだらだらしていたと。


 ラファエル公爵は公爵邸に帰宅するなり執事リカルドからその報告を聞いていた。


 今日もすくすく元気に、楽しそうにアイリスが過ごしていたと聞いてラファエル公爵は微笑ましく思う。


 ただその報告をした執事リカルドとしては、アイリスに公爵夫人らしくもっと社交活動をバリバリこなして欲しいとまだ思っているが。


「……ラファエル様と引きこもりたい! 二人で引きこもれば……もっと楽しいはず! さあラファエル様も働いてばかりいないで引きこもりになりましょう!」


「じゃあ君もたまには働いてみるか? 運動不足の解消になると……思うよ?」


「それは絶対に嫌です! 働いたら負けですよ?」


 と、アイリスは嫌そうな顔をする。


「……あ、そう?」


 まあ、それはそれでいいか。


 アイリスが楽しそうなら。


 そしてラファエル公爵は、溺愛するアイリスのその望みを叶える為に数日残業して休暇を作り。


 公爵領に初めて二人で向かいアイリスの望み通り二人でのんびりと引きこもった。


 だが日々休みなく働いているラファエル公爵は思う、この子よくこれで飽きないな?


 と。


 

 

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引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。 千紫万紅 @latefall

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