第26話 ある種の理想的な死に方


 アンドロベルサイカ嬢、圧勝。


「どうも、お手合わせありがとうございました」


 倒れたモッドパンチを覗き込み、ベルサイカ嬢は凛として言い放った。その体に目立った傷はなく、白い肌は絹のようにして、まるでさっきまで戦闘の最中にあったとは思えない。言い得て散歩の途中にでも寄った雰囲気だ。


「は、はッはは」


 モッドパンチは笑った。


 ベルサイカ嬢は美人である。そりゃもう美人だ。二重だの、鼻筋が通っているだの、常に微笑をたたえているだの、一般に言われる美人の定義 全てに触れている。しかしあえて、どこが綺麗か問われれば、その…青い瞳だろう。

 モッドパンチから見上げて、ベルサイカ嬢の向こうには青い空が見える。が、その青とは違う。どちらかと言えばラピスラズリの青に近い。鮮やかで凝縮された、どこまでも奥がありそうな深い青色。


 同時に、無機質でもある。


「アンタ 名前は? 土産に聞かしてくれよ」


 モッドパンチが言った。死の寸前にも関わらず、ベルサイカ嬢の眼に強く惹かれている。


「アンドロベルサイカです。オストルグ・J・アンドロベルサイカ」

「あぁ…オストルグ?」


 聞き覚えがあった。というかこの世界に生きとして、聞いたことない生物はいないだろう。モッドパンチは再び、堪えきれず笑ってしまった。血が溢れる。


「なーるほどね。はっは! こりゃ質の良い言い訳ができそうだ」


 ベルサイカ嬢も小さく笑った。


「一つ、聞かせて頂いても?」


 モッドパンチは笑った口を薄く開けたまま、軽く首を揺らした。


「最後の早撃ち。貴方のことだから、またズルをするんじゃないかと思ってました」

「何だ、そんなこと」


 眼だけが、空を向いた。


「正々堂々勝つために、普段は卑怯な手を使うのさ。そしたら最後の正々堂々は、相手の意表を突けるだろ?」

「なるほど、勉強になります」

「やめてくれ。ヒキョウモノの詭弁だよ」


 声も無く、片頬を吊り上げた。

 目の前の女はバケモノだった。血統書付きのな。ただ、恨めない。恨みの思想を弾圧されるくらい、女は涼しい顔で自分を見ている。漁師に採られた魚。収穫された稲。の、視点で、きっと女は、自分より高い位置にいるんだろう。絶え間なく美しく、見れば見るほど惚れてしまう。


「あばよ…あぁ、何でオレは、満足してるんだ」


 午前だ。光と風しかない。風は一片の質素なものが吹き、光は太陽のだけだった。それが混ざって葉っぱを逆なでし、ざわざわと木陰の輪郭を揺らすのだ。心地いい。出来過ぎなくらい、死ぬには良い日だった。


 モッドパンチは、体を地面へとまかせた。



「レノア君、お待たせしました」


 ベルサイカ嬢は杖を服にしまいながら、レノアの所まで歩いてきた。レノアは投げ捨てた布を拾い直して、すっかり元の布キッドに戻っている。だが、身は隠せれど、その心はまだササクレが立っていた。


「悪趣味だな。自分を殺した奴の顔なんて、見たくないと思うけど」


 悪態をツくとは、まさにこのこと。レノアはベルサイカ嬢の顔も見ず、傷つけたいが為に吐き捨てた。


「そうかもしれませんね。でも、笑ってました」


 大人だ。『そうかも』 と一度受け取った上で返すあたり、バカンスとは違う形での子供のあやし方を知っている。だが、レノアは食い下がった。


「笑ってるからって 喜んでたとも限らねぇだろ。強がりだったのかも」

「それも、そうかもしれません。正解はあの方のみが知るということですね」


 ベルサイカ嬢は なおも受け止めた。レノアは「ふん」と喉を鳴らすと、布の端っこをチロチロいじり始めた。


 と、その時である。


「はっ、はっ、はっ」


 荒い息遣いと、トタトタと駆ける靴の足音。茂みの奥から聞こえてきて、どうやらこちらに近づいてくる。


「あ、トンカチ」

「はっ、はっ、はぁっ...」


 トンカチは茂みから抜け出すと、顔面を蒼白にして木に手をついた。小さな膝がプルプル震えている。と、レノアの方を見て口を動かした。


「け、ケング…ぐぇっ」

「師匠? 師匠がどうした!」

「ヘンな…へんな、人が来て。わたし、逃げろって言われて」

「そんな…師匠!」


 レノアはそう言って、飛び出すようにトンカチが来た方向へと駆け出した。


『師匠…!』


 ササクレた心が、これ以上荒れないよう、レノアは精一杯走った。

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