第2話 帰る為、転生の先へと


「ん…」


 ケングンが目覚めたとき、そこは真っ暗な闇だった。彼は驚き、思わずポップコーンが弾けたように、被っていた毛布を蹴っ飛ばして起きる。


 『ガンッ!』 その際、天井に思い切り頭をぶつけた。まるで遠慮無しに走った痛みは、ケングンの頭をハッキリ覚ました。


「いッっったぁぁあそうか」


 痛みの悲鳴に継ぎ目も無いまま、ケングンは昨晩の奇行を思い出した。かいつまんで言うところ、彼は自らの部屋にあった収納スペースをカタコンベの一つと数え、納涼すべく中で眠ったのだ。


 ケングンは我ながら『?』と首をひねった。彼自身に分からないのなら、誰にも分からないだろう。


 彼は、奇行に対するツッコミとしてド突かれた頭を労わりながら、暗い収納に座りなおした。今が何時かは知らないが、ともあれ寝直さなければ、明日の学校に遅れてしまう。遅刻の言い訳にカタコンベは、少々使いづらい。


 彼は蹴っ飛ばした毛布に謝ると、改めて眠りについた。……いや、つこうとした。


『眠れない…』


 頭打ったのが凶か、意識が夢に行かない。寝相が数十秒ごとにコロコロ変わり、右往左往。せっかちさんが焼いている餅みたく、頻繁にひっくり返る。念じるように眉をひそめ、ひそめた眉の裏にヒツジを数える。だが、眠れない。


 ケングンは思った。『この目の冴えを貯蓄して、毎朝引き出せる能力が欲しい』。しかし、現状その方法が確立されてないので、彼は悶えながらも、気絶混じりに意識をトバすしかない。『もう一回頭を打ち付けようか』 ケングンは、突拍子も無く奇行を画策することがあった。


『その前に、水飲み行こ』


 夏の日であった。納涼を求めてカタコンベ入りしたとはいえ、実際は風の通り道も無い、ただの思い出の品を押し込めた収納。熱気が籠って暑い。どれくらい暑いかと言えば、ソフトクリームなら5分でドロドロだぁ!


 ケングンは収納の扉を、内側から『ぱぁん!』開け放った。


 外には、何もない白い空間が広がっていた。


「…?」


 考えた。まず、目の前で閃光弾が爆発した可能性。しかし、彼には自宅で待ち伏せして閃光弾を放るような友達はいないし、爆発したにしてはあまりに無音すぎる。となれば付随して、何か強い光で目が白んだんだろう。彼はそう考えた。


 グッと目を閉じ、眉間をつまむ。閉じたままで眼球を動かし、何度も眉を動かした。


「こいっ!」


 目を開けると、外には、何もない白い空間が広がっていた。


「…?」


 ケングンは、長い間折り曲げていたせいで上手く動かなくなった足を、陸に上がったマーメイドのように引きずると、収納スペースから這い出た。


 白い空間は、白い空間だった。一見してもしなくても、何もない。這っているケングンは、そのまま床をペシペシと叩いた。熱くも冷たくも無く、肌触りは大理石のように滑らかだった。横に目を向ければ無限に広大に見え、顔を上げても無限。その中に一人、ケングンだけが『ぽつん』とあった。


「夢、か」


 『明晰夢だな』 彼は確信した。夢にしては随分と、五感の効きが良い。取りたい行動もとれるし、走ろうと思えば走れるだろう。となれば唯一残念なのが、ここがトロピカルなビーチでも、現実を忠実に再現した都市でもないことだった。こんな真っ白空間では、明晰夢の醍醐味が台無しである。


 こんな夢で満たせる欲求など、皮肉にも睡眠欲くらいであった。ケングンは曲げていた足を真っすぐ張り、あっけぴろげに大の字で寝転ぶと、そのまま白い無限大の天井を眺めた。


「あ、あー!、あーーーー!!」


 声を射てみる。しかし、気の利いた山彦だの、反響も無く、声は空間に吸い込まれて消えた。ケングンはこれをいいことに、普段カラオケでさえ隣部屋を気遣って、大声で歌えない歌唱魂を慰めてやろうとした。


 だが、その時である。


 白いはずの空間に、黒い線が走った。ケングンの近くの床をまず一辺が左に70㎝ほど走り、次に上に向けて210cm。それから、右に70cm、下に210㎝。こうして、長方形が出来た。


 ケングンは『ボヤ~』っと、その様子を眺めていた。驚きはしたが、考えてみれば夢なので、取り乱すほどでもない。だが、気になりはする。彼は大の字は止めて、足幅をキュッと閉じた。大の字から、十の字になった。


『恐竜とか出てきたらどうしよう』


 怖いねぇ。


 やがて、長方形の内側に色が付いた。暖色系の茶色だった。そして…『ガチャっ』 茶色の長方形が、ドアのように開いた。


「おっと…これは参った」


 そこに立っていたのは、初老の男性だった。髪は所々白く、ハットを被っている。右手にはステッキを持ち、背はうっすらと曲がっていた。しかし、立派に生やした口髭か、ピッシリ着こなしたスーツがそうさせているのか、老人と言うよりはジェントルマンという雰囲気だった。


 ジェントルマンは足を、ドアの向こうから白い空間に踏み出した。ちなみにドアの向こうも白かった。なのでケングンから見れば、ジェントルマンはただドアの枠をくぐってきているようにも見えた。


「声が聞こえたかと思えば、どうしてこんなところに人が」

「あ…オハヨウゴザイマス」


 仰向けのまま見上げ、ケングンは挨拶した。ジェントルマンは怪訝そうに、横から覗き込むように彼を見ると、ハットを胸に抱えて「おはようございます」と返した。


「貴方、どうしてここに」

「ここ…ここ?」


 ケングンは白い空間をキョロキョロ見た。『ここ』という言葉じゃ言い表せない程、空間は余りに無個性だった。白と言うと、色があるように聞こえる。しかしこの空間は『絵に修正液をぶっかけた白』というよりは『最初から何も書かれていない紙の白』に見えた。


「ここって、何なんですか」

「ここは、死の国です」

「死? 紙、市、詩」

「死です。死ぬの、死」


 ジェントルマンは空中に、『死』の字を書いた。ちゃんとケングンに分かるよう、反転して『死』の字を書く。どうやらかなり頭のキれる人らしい。


「でも貴方、死んでませんね。まだ温かい」


 網膜にサーモグラフィーでも付いているのか、ジェントルマンはケングンに触れることも無く、温かいと断じた。ケングンはちょっと怖がったが、悟られないように手で自分の頬を触った。「ホントだ、温かい」


「貴方、変な事しませんでした? 神社の鳥居に変なくぐり方したとか、事故物件の風呂に冷水を張って飛び込んだとか、鏡に向かって時速100kmで…や、これじゃ本当に死ぬか」


 ジェントルマンは口髭をいじくりながら、ケングンに聞いた。しかし、ジェントルマンが例を挙げる必要も無く、話初めの『変な事しませんでした?』の時点で、ケングンには大変な心当たりがあった。


 彼は、昨晩の自分の行動について、照れ照れしながら話した。しかし、何なら笑い飛ばしてほしかったケングンに対して、ジェントルマンは至って真面目に、頷きながら耳を傾けた。


「なるほど、死んでも無いのに、墓に入ったと」


 聞き終わると、取りまとめて結論を出した。


「墓って言うか…墓に見立てたというか…」

「十分です。墓の形は文化によって違います。大切なのは、それを墓だと思うかどうか」

「ん、じゃあ。そうかもです」

「なるほど、立派なお墓だ」


 ジェントルマンは顔を、収納スペースに向けた。部屋にあったときには壁にはまり込む形であったスペースだが、今はタンスのように、ポンと立方体として置いてある。中には取り出しきれなかった品々が残り、それもまたお供え物っぽく見えた。ホコリ被ってはいるけどね。


「貴方、このままじゃ本当に死にますよ」

「え…どうにかしてくださいよ」

「そりゃ、しますけど。しかし相当に面倒ですよ」


 ジェントルマンは屈むと、それでも見下ろしながらケングンに説明した。一方見上げるケングンは、ジェントルマンの膝に阻まれて、彼の顔が半分しか見えなかった。ビーチパラソルと太陽みたいなね、そんな感じヨ。


「同じ世界に、連続で蘇ることは出来ません。そこで貴方には、別の世界に行ってもらいます」

「転生ってことですか?」

「いえ、どちらかというと転移です。貴方はその体のまま行くのです」


 ケングンは自らの体を見た。寝ていたのでパジャマを着ており、真ん中に大きな星が付いた『have a nice dream!』の上着と、下に紺色のゴム紐だけで着れるズボンを履いている。


「服だけ変えていいですか」

「ダメです。そのまま行ってください」

「分かってたら、もっと良い服着てきたのに」

「話を戻しますがね、貴方の行く世界は、言うなれば魔法の世界です」


 魔法という単語。ケングンは高校生なのだが、魔法と言われても、せいぜいトンガリ帽子がホウキに乗って、先に☆の付いた杖を振り回している姿しか想像できなかった。


「その世界にある〈世界転移の魔法〉を探してください。そしてそれを使い、貴方は魔法の世界から、元居た世界に戻る」

「なるほど、一回別世界を経由することで、連続で同じ世界に戻れないというルールを回避した、素晴らしい案だなぁ」

「ありがとうございます」


 ジェントルマンは、ポケットから錠剤を取り出した。


「それは?」

「我ら死の者が、現世で活動するときに使うものです。今回だけはお貸ししますから、お役立てください」


 錠剤をつまみ、クレーンゲームのアームみたく、ケングンの口の上に持っていく。ケングンが大きく口を開けると、そのままアームが開き、彼の口の中に入っていった。


「苦い」

「噛んだんですか? アホですか?」

「水が無いから、口で粉末にしとこうと思って」

「まぁ! ワタクシ、心配になってきました」


 ジェントルマンは再び立ち上がった。そして持っていたステッキの底を、寝そべっているケングンのおでこに当てた。ケングンはムッとして、ジェントルマンに鋭い視線を向ける。しかし、意にも介さず、ジェントルマンは口髭を指でなぞった。


「貴方、変わり者ですね。結局一回も起きませんでしたし」

「よく言われます」

「ふふ、変わり者の貴方に、幸あれ」


 その言葉が耳に届いた瞬間、さっきまで苦労していたはずの睡眠に対して、有り余るほどの睡魔がケングンを襲った。マブタはこれでもかと重くなり、体が沈む。


 やがて、ケングンは眠った先の死の世界で、再び眠りに落ちた。

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