第30話 黒の類人猿


 《バカンス、スラッシャーに勝利…?》


「あら、シエラ…」


 ベルサイカ嬢が空を見上げると、そこには不思議な球体がフヨフヨ浮かんでいた。葉からこぼれた朝露を拡大したような見た目で、軌道もあいまいに飛行している。間違いなく妹の、シエラ嬢の魔法だ。よーく目を凝らせば確かに、豆ツブのような人影も見える。


『あの子ったら、また私のマネを』


 ベルサイカ嬢は複雑そうに、晴天を透かすその球を見ていた。


 〈水晶の魔法〉…! それこそは、ベルサイカ嬢が最も得意とする魔法!

 クリスタルを流水のように動かし、ときに串刺し、ときに防御。あるいは捕縛にも使えちゃう。応用性の高い魔法だ! 伝説の話だが〈水晶の魔法〉 の開祖は、そのクリスタルで万軍を相手にできた一方、あまりに何でもできるせいで仲間が一人もいなかったという。孤高!

 しかし代わりに、習得には片手で折り鶴を作るような、チミツかつ繊細な技を必要とする。一概にオススメ! とも言えない、汎用性に欠ける魔法だった。


『シエラには向いてない』


 シエラ嬢のことも、〈水晶の魔法〉のことも、よく知っているからこそ言い切れた。もちろん伝えたこともある。が、シエラ嬢は


『はい! やめますわ!』


 と言って使い続けていた。


「こまった子…」


 水晶は浮遊していき、やがてどこかへ着地した。


『…』


 そうやってベルサイカ嬢が妹を想い、憂い気な表情を浮かべる中…


『…ククク』


 後ろのトンカチは、不敵な笑みを噛んでいた!


 しかし、その顔は笑顔じゃない。木目だけが存在するような、ノッペラボウじみた木の顔面! レノアの予想は大当たりで、すなわちこのトンカチは偽物だった!


『オストルグどもが出向いてくるとは、僥倖か』


 遠く崖の上に、男がいる。男は双眼鏡を目にグッと当てて、「ククク」 と片頬を吊り上げた。

 そう、彼こそがトンカチ人形の操り主だ!


『十分すぎるほどのボーナスチャンス!』


 男はカモフラージュ用の緑マントをハタめかせ、バスケットに入れてきたお手製サンドイッチをむんずと掴んだ。そして、その良いとは言えない歯並びでザクザクと食う!


『森の人形全員でカカれば、やってやれぬ相手ではない』


 男の計画は、既に準備段階を終えている。トンカチの亡命先がクロックリールと知るやいなや、先回りして人形を設置! ゆうに数十体を超える人形たちと共に、こうやって崖上から森全体を監視していた。もちろん、人形はトンカチ捕獲のために準備したものだ。

 しかし、


『ここでオストルグを消す方が、遥かに我らの得だ』


 と判断した。


 男はニタリと笑い、こぼれたパン屑どもを「ふっ」 吹き飛ばす。


『モッドパンチはヌかったようだが、俺ならそうはいかん』


 男の用意周到な性格的に、軽率なモッドパンチとはソリが合わなかった。そのモッドパンチも、今はいない。


『…ざまぁみろ』


 男はベルサイカ嬢を観察しながら、次のサンドイッチを掴もうとした…しかし!


『スカッスカッ』

「?」


 どれだけ手を伸ばしても、サンドイッチが掴めない。『スカッ』 宙を掻きまわしてみても、やっぱり掴めない。


「チッ」


 男はしかたなく双眼鏡を離し、ちゃんと目視で取ることにした。


「…?」


 最初、黒い巨人かと思った。


 岩盤のごとき黒い胸筋が、硬そうに盛り上がっている。両腕は大砲のように太く、その中を通ってる骨と比べて ようやく人間が張り合えるほどだ。それだけ立派な上半身だから、下半身もスゴい。仮に同じ大きさの酒樽があったなら、どれほどの酒豪でも飲み干すのに三日三晩はかかり、四日目に酩酊極楽へと旅立つ。


 問題はここから。


 毛が、長い。ロン毛だ。全身がモップのようになっている。さらに背筋が伸びていて、二足で完全に自立していた。おかげで3mはある。


「うわぁああぁああ! ベルガマスコング!!」


 男は絶叫し! ほとんど這うように逃げ隠れた!


「何で!? チクショウ!」


 類人猿とニンゲンは、かつてその系統樹を分かち合った存在だ。異世界とはいえニンゲンがいるなら、そりゃ類人猿だっていよう! ただし分かち合った後の進化は、かの世界の枝先と随分イメージチェンジしてるらしい。


「…(もぐもぐ)」


 ベルガマスコングは剛腕にバスケットを抱え、中のサンドイッチを寿司でも持つようにツまんで食っている。


『…待てよ。あるいはチャンスか?』


 男の脳内に『ピカー!』 一筋の光明が垂れた! しかし一筋なので、他の部分ではまだグルグル混乱している。


『ベルガマスの毛は、界隈では高値で取引されると聞く』


 有名な歌に、


 人の毛で、家を掃いては、清なれど

  ベルガマスの毛なら、新なのになぁ


 と、ある。人の毛では家を掃いて 清潔にすることしかできないが、ベルガマスの毛なら家まるごと新しくできる。という情緒と悲哀を歌ったものだ。


「…(もぐもぐ)」

『ヤツは油断している。今こそまさに…』


 さきほどの、『ボーナスチャンス!』 がリフレインする! しかし せっかくトンカチからベルサイカ嬢に乗り換えたのに、今度はコングに乗ろうというのか?


「…やってやるゼッ!」


 乗ッッッた!


「おいッッ! そこのエテ公野郎ッ!」


 男はその身を『バッ!』 ベルガマスコングの前へと披露する! とッ! さらに自らの指先に付いた糸を『シャッ!』 まるで身体の延長かのように自由自在に操った! その指サバきはまるで、一人にもかかわらずピアノの連弾を見ているようだ!


「カモン! ドーーールズ!」


 合図とともに、森に備わっていた人形たちが『ゴウッ!』 一斉にベルガマスコングへと襲い掛かった! そして後日! 山では木クズに埋もれた男性が発見された! が、ケングンたちには知るヨシもない。

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