第18話 異世界ミクロサイド


 ケングン、レノアの家に泊まることになる。


「さ、この先ですよ」」


 図書館から脱出した後、レノアは自らの家へとケングンを案内した。


 どうやら街からは外れた位置にあるらしく、夜に明るい窓を過ぎ、聞こえてくる談笑を背にして街の門から出た。その後うっそうとした林に突入したときは 流石のケングンも疑ぐりを深めたが、ここで逃げたって行き場もないので引け腰ながらも前に進んだ。


「随分と離れた所に住んでるんだなぁ」

「えぇ、事情アリで」


 強く言った。恐らく何の質問をしても『事情アリで』と返ってくるんだろう強さだ。『意思堅牢だ。僕はケングンだが』 どうやら相当にお疲れらしい。彼に毛布とミルクを。


 獣道をぺこぺこ歩いて30分ほど、大きな山の切り立った岩肌が見えた。


「ここです」


 レノアはクルッと回って、意地悪な顔でケングンを見上げた。「ほぉ、ここかい」 彼はその硬い石の壁を眺めていた。


『ふふ、混乱してますね』


 レノアは今後現れるんであろう師匠の驚愕を想い、ウズウズニヤニヤした。


 あらかじめ説明しよう。

 一見してただの岩肌であるこの面だが、実は〈隠す魔法〉で幻覚にコーティングされた洞窟が存在する。レノアはその洞窟をイジくり倒し、壁やらドアやらを付けて勝手に暮らしていた。

 『ドアノブを握ったら魔法は解けるけど、パッと見ただけじゃ分かりませんよ』 3日間くらい掛かりっきりで発動した魔法なので、レノアもこの秘密基地には自信があった。


「さ、師匠。どうぞ中へ」


 イジワル~。たまに垣間見える年相応の…否、今回ばかりはむしろ年輪を回しに回した、まるで夫の母親かのようなやり口だ。シレっとケングンの後ろに移動して、先に行くよう誘導する始末。『さぁ! 困惑して慌てふためいてください』


「ありがとう。お邪魔しますぜ」


 ケングンは迷いなく一直線に進み、隠されていたドアのノブを捻った。


「えっ!?」

「?」

「ウソ! なんで…」


 レノアは困惑して慌てふためいた。


『ヤバイ。もしかしてドア前の文化さえ向こうの世界と違う?』


 異文化の住人に『ウソ!』と叫ばれては、やらかしたと思うのが条理か。しかし見直したところで、ケングンの目にはドアノブ以外の何にも見えないほど立派にドアノブが映っていた。そしてそれは、初めて岩肌を見た時からずっと映っていた。


「くっ…とにかく中へお入りください」


 レノアは屈辱的に歯を食いしばり、ケングンを家の中へ招き入れた。「スイマセン、お邪魔します」 結局レノアの後からケングンが入った。


 家は、大体5畳くらいだろうか。真ん中に丸い、低い、小さいテーブルがあって、そこを基点として四方に、ベット、本棚、タンス収納、宝箱のようなボックスが置いてあった。この部屋を司る四神かもしれない。奥にはもう一部屋あるのだろうか。玄関ドアと鏡合わせになるように、同じようなドアがあった。


「良い家~」

「でしょ! 靴はそこに置いといてください」

『あ、意外に土足厳禁文化なんだ』


 レノアが真ん中のランプに火をつけると、部屋はほっと明るくなった。「お邪魔します」 ケングンは靴を脱いで壁に寄せると、いそいそと床に体操座りした。


「改めまして助かった。ありがとうございます」

「いいんですよ、自由に使ってください。あ、けど」


 レノアは奥のドアを指さした。


「あそこにだけは、入らないでくださいね」

「了解。誰にだって秘密はあるもの」

「さっすが師匠、物わかりが良いや。僕はこのまま食料を取ってくるんで、師匠はテキトーにクツロいでてください」

「手伝いまっか?」

「ふふふ。客人にそんなことさせるほど、ヤワじゃないです」


 レノアは家の主という大役にワクワクを隠せないようで、ぴょんぴょん跳ねるように家から去って行った。


「…さて」



 家主は去った。


 ケングンは立ち上がると、まずタンスを開いた。タンスの中には沢山の布が収納されており、タオルやら服やらも雑煮のように混ぜて置いてあった。夏用かは知らないが 中には薄い布地もあるものの、全てが長袖で統一されていた。嗅いでみても不快な感じはしないので、どうやら洗濯はしているらしい。


 続いて、宝箱のようなボックスに手をかけた。中にはこれまた雑煮のように、様々な物が詰められていた。特に目立ったのは手錠と首輪である。「…」 ケングンは寒気を覚えつつ、いざ襲われたら逆にレノアを拘束しようと、手錠の方だけを懐に仕舞った。


 拘束具など見つかっては、ベッドも精査しないわけにはいかない。シーツを剥がし、ベッドの下まで隈なく確認する。「!」 すると、枕の下にあった写真に手が取りついた。写真には赤ん坊と、その赤ん坊を精一杯抱える 今のレノアくらいの子供が写っていた。見た目もレノアにそっくりである。傍らには子供の母親らしき女性も写っていた。女性は笑顔で、その笑顔は撮影者に向いているようだった。


 最後に、ケングンは奥のドアに手をかけた。その奥には…



 ……上記の『家主は去った』以降の行動は、全て想像です。ケングンが物色趣味のない男なので、如何せんレノアの家の隅々について書くタイミングが無く、やむを得ずこういった方法を取りました。


 もちろんケングンは「…さて」以降 一切その場から動かず、体操座りのまま部屋を眺めていた。何が「…さて」だったのか。考えてもみれば玄関前と靴を脱いだ後で2回『お邪魔します』を言う男が、他人の領域を無下にするハズ無かった。


『食料か。異世界と言えば やはり…やはり…パスタ?』


 そんなことを考えていた。


 数十分くらいして、レノアが帰ってきた。


「おっ待たせしました! 木の実くらいしか取れませんでしたけど、ご容赦くださいな」


 机の上にゴロゴロと、様々な色の果実が転がった。赤いベリーが房になったものもあれば、キウイのように産毛の生えたオレンジ、あとイチジクがそのまま変わりなく出てきた。『元から異世界みたいな見た目だったもんな』 さらに物珍しく、雪景色を刷ったような白いリンゴもある。


「いただきます」

「どうぞ!」


 ケングンは白いリンゴをかじった。


『なるほど! スイカの食べちゃいけない部分の味がする!』


 どうやらリンゴよりも瓜に似ているらしい。水分は豊富だったので、乾いていた喉をまざまざと潤した。


「師匠、ベッド使っていいですよ」

「いや、僕はベッドで寝れないタチだから大丈夫だよ」

「珍しい!」


 レノアは赤いベリーを頬張りながら笑った。


 会話は、その後も絶えることなく続いた。何せレノアは話したがりだし、ケングンはこの世界について聞きたいことも多かったから、各々上手く嚙み合ったのだ。机の上の果物が減っていく。


「ボクの技は連武脚ってので」「ほぉ」

「今日行った街はクロックリールって名前で」「なるほど」

「倒したスキンヘッドの人、あの後どうしたんですかね?」「考えたくない…」


「それで…んん」


 レノアが、大きなあくびをした。


「おっと、そろそろ寝ますかね」

「いや…まだまだですよ」

「じゃあ一時間だけ寝て、起きてまた話そう」

「あぁ、いいですね。じゃあ少しだけ寝ます」

「はい、おやすみなさい」


 レノアはふらふらとベッドに寄ると、振り下ろされたハンマーのように夢の世界へ落ちていった。ケングンは「また明日」と小声で言うと、天井から下がっていたランプの灯を消した。

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