第19話 夜食狂い


 レノア就寝。一方ケングンは…


 ケングンはランプを消した後、自らもごろんと横になってみた。『また寝て、目覚めたら帰ってないかな』 少しでも可能性を高めるために膝を曲げて、カタコンベと同じ格好で寝ようとしてみる。が、寝れない。眠くはあるのに、脳に異物が引っ掛かっているように感じる。


 悩んでいると、そのうちレノアの寝息が聞こえてきた。「…ぐぅ」 子供とは羨ましいもので、その寝つきは不可逆。坂を下るトロッコのように、止まらず眠ることができる。


 「よしよし」 ケングンは聞き計らって 音も無く立ち上がると、壁に寄せた靴を履いて外に出た。


 外は冷たかった。静謐という言葉がふさわしく、風には誰もいなかった。それ以外、何もなかった。


「ひゅう寒い。身の締まる空気だ」


 ケングンの気がかりは 2つあった。一つ目は うがい。習慣とは恐ろしいもので、どうしても口の中が気になる。しかしそれ以上に、問題は二つ目だった。


『お腹が空いた…あれだけ食べたのに』


 ケングンの腹は、三分目にも満ちていなかった。『大食いなのか?』『いいや。何なら少食で、元の世界では給食にさえ苦労した』 ケングンの高校は給食がある珍しいトコだったが、毎度食いきれない分は タッパに隠して放課後に食べていた。


『飢餓…とまでは言わないけど。耐え難い空洞がある』


 彼はその穴を埋めるべく、胃に追加する食べ物を探した。


 やがて、徘徊から数十分。


「あ…アレは」


 目の前には 高さ30mほどの木があった。見た目は樫の木に似ている。しかし頭頂らへんには、異質に生った白い木の実が下がっていた。晩食に並んだ、あの白いリンゴモドキだ。


「幸アリ! 水っけ多いし、うがい代わりにもなろう」


 ならん。


 ケングンは早速 木に近づくと、一番低くて丈夫そうな枝を掴んだ。「よっと」 逆上がりのように遠心力でもって、くるんと枝の上に乗る。そこからは単純で、張り巡ったジャングルジムのような枝木に飛び移り、次々に上へと渡った。そうやって辿り着いた楽園には、降りしきる雪のように白い実が散っていた。


 彼は一番近かった実に手を伸ばした。


「おぉぉ、これは熟れてない実だな。なるほど、最初は薄紅色なのか」


 歯を立て、果肉を裂く。熟れてなかったせいか、硬くて水気も少ない。ブロックを食べているようだった。

 

「次」


 彼は手を伸ばすと、届く範疇の実を無作為に掴んだ。そして熟成の何も関係なく、矢継ぎ早に口へと運んだ。右手で果実を持ち、左手で次に食う果実を探した。木には足でぶら下がり、コウモリのように逆さまで食った。時折むせる。


「物足りないな。この木を全部食べたら、別のを探そう」


 指についた汁を舐めとった。その時である。


「お前、何者ダ」


 逆さまの視界に、女が映った。暗がりで顔はよく見えないが、ドスの利いた深い声からして、少なくとも20歳は超えている。ケングンは驚いて、枝から落っこちそうになった。


「何者!?」

「私が聞いていル。名前、出身、どうしてあのガキと一緒にいるのカ」

「名前は秘密、出身も秘密、ガキってのは何のことだか」

「枝ごと、切り落とされたいカ」

「名前は尾祖ケングン、出身はクロックリール、あの子とは街でたまたま」

「クロックリールだト? あの平和ボケした街に、お前のような輩がいるとは思えン」

「お前のような?」

「その身のこなし。まるで猿ダ」


 「…?」 ケングンは、顔を上げて下を見た。地面が遠い。体は風を受けて、乾かされるタオルのように揺れる。


「………!?」


 神経が急速に冷え行くのを感じた。特に足の裏は スケートリンクに素足で立ったようになり、手のひらでは感覚が消えた。『またか…!』 図書館でファントムを殴った後と同じ、夢が解かれたような感覚。見ていた女は首を傾げた。


「何ダ、自分で登ったんだろウ」

「自分だけど自分じゃない自分がいるみたいで、困ってるんです」

「? …あのガキめ。こんな変な奴を抱き込んで、何のつもりダ」

「あの子の知り合いなんですか?」

「お前には関係なイ。だが忠告しておク。アレと関わっても、ロクな目に合わなイ」

「やっぱり知り合いなんですね」

「黙レ。忠告はしタ。帰ル」


 女はそう吐き捨てると、体をシルエットにして闇に飛び込んでいった。「あ、ちょっと。降りるの手伝って…」 声は虚空に響き、場には干された普通の少年が残った。

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