後宮 2話
後宮内を歩き回り、あまりの広さに
「……朱亞ってもしかして、体力があるほう?」
「山奥で暮らしていましたからね! よう……じゃなくて、
立ち止まった桜綾に気付いて、朱亞も足を止める。山奥で暮らしていた朱亞にとって、平坦な道が続く後宮は歩きやすかった。
「わたくしも少し自信があったのだけど、朱亞には負けるみたい」
眉を下げる桜綾に、朱亞は辺りを見渡した。休憩できそうな木陰を発見し、彼女に手を差し伸べる。
「あそこまで行ったら、少し休憩して戻りましょう」
「適当に歩いてきたけれど、元の部屋に戻れるかしら?」
「任せてください。私、記憶力にも自信があるんです」
にこっと蕾が綻ぶように笑う朱亞に、桜綾は「そう」と安堵したように息を吐いた。
朱亞が桜綾の手を取り、彼女の手を引きながら木陰まで歩く。
「後宮の中に、こんなに立派な月桂樹があるとは思いませんでした」
朱亞は懐から大きめの手拭いを取り出し、土の上に広げる。そこに桜綾を座らせて、そっと月桂樹を撫でた。
(煮込み料理によく使ったなぁ)
祖父から一通りの家事を教わっていた。そのとき、煮込み料理に使うとよいと教えてもらったことを思い出し、朱亞は懐かしむように目元を細めて葉っぱを見つめる。
「この葉っぱって、少しいただいても良いのでしょうか」
「いったい、なにを作るの?」
「乾燥させるんです。若葉を日陰で乾燥させたものを、煮込み料理に入れると、ぐっと風味が増して美味しくなるんですよ」
「それも、おじいさんからの教え?」
朱亞は「はい!」と元気よく返事をした。桜綾も月桂樹を見上げて「そうなのね」とつぶやく。そして、彼女の名を呼び、ぽんぽんと自分の隣に座るように促す。
朱亞が桜綾を座らせるために広げた大判の手拭いは、空いている場所があり並んで座れそうだ。
「朱亞は、彼と一緒に帝都を歩いたのでしょう? そのときのことを教えてくれる? わたくし、陛下と馬車でゆっくり帝都を回っただけなの」
「えっと、私は――」
朱亞は自分と
人の多さに慣れない朱亞に対し、彼がとても親切にしてくれたことを話すと、桜綾の瞳がきらりときらめく。
「すっかり彼と仲良くなったのね」
「巻き込んだことを、気になさっているのでしょう」
「それでも、朱亞にその宝石を渡すぐらいですもの。きっと彼は、朱亞のことを気に入ったのね」
うふふ、と楽しそうに笑う桜綾に、朱亞は首元の宝石を思い、ぽっと頬を赤らめた。
少し休憩したことで、桜綾もだいぶ体力を取り戻したようで、「部屋に戻りましょう」と朱亞に声をかける。
朱亞は立ち上がり、桜綾に手を差しだす。その手を取り桜綾が立ち上がる。地面に敷いた大判の手拭いを取ってから朱亞たちは歩きだす。
迷うことなく歩く朱亞に、桜綾は感心したように彼女を見た。
朱亞を自分の侍女にして後宮につれてきてしまったことに、罪悪感が多少なりともある桜綾だったが、彼女の知識の豊富さと無謀とも勇敢ともいえる決断力の良さに、彼女のことをもっと知りたくなった。
だからこそ、彼女には後悔をさせたくない。
「朱亞の部屋も見てみましょう」
「はい!」
桜綾の部屋まで歩き、その隣の朱亞の部屋を覗き込んでみる。確かに桜綾の部屋よりは狭いが、村で暮らしていた家よりも広いことに、朱亞はぽかんと口を開けた。
「……こんなに広い部屋、私が使っていいのでしょうか……? 私が十人いても、のびのび暮らせそうです……」
部屋の感想をつぶやく朱亞に、桜綾は朱亞が十人いることを想像して、肩を震わせて口元を押さえて笑い声を出さないように、歯を食いしばる。
「胡貴妃?」
「……なんでも、ないのよ。ふぅ。ここもがらんとしているわね。わたくしの分と朱亞の分の調度品を揃えないと」
置いてある家具は寝台と小さな箪笥くらいだった。朱亞はこれだけでも大丈夫、と口にしようとしたが、桜綾が目を輝かせているのを見て、口にするのをやめた。
「私は調度品に関して良く知りませんから、胡貴妃にお任せしてもよろしいでしょうか?」
「あら、朱亞。わたくし、あなたの好みを知らないわ。せっかくですもの、自身の好みを教えてほしいわ」
桜綾は頬に手を添えてにっこりと笑った。朱亞は目を数回瞬かせて、首をかしげる。
自身の好み? 調度品に? と顔に書いてあった。
「調度品は自分の好みのものじゃないと。長く使うものなら、余計にね」
「長く……まぁ、確かに長くいることになりそうですが……」
朱亞が村で暮らしてきた十三年ほどと、これから後宮で暮らす時間を考え、彼女は口元に手をかけ、目を閉じる。
(とはいえ、そういうのを選んだことがないからなぁ)
村で暮らしていたときは、祖父がいろいろ用意してくれた。服に関しては近所に住んでいる女性が用意してくれたこともあった。
あるもので暮らしていたから、自分の好みの調度品、がどのようなものかわからない。
そのことを桜綾に伝えると、彼女は「大丈夫よ」と微笑んだ。
「朱亞がどんなものを選ぶのか、とても興味があるの」
きょとりと目を丸くする朱亞。桜綾は手を伸ばして彼女の頭を撫でる。
「人には好みがあると思うのよね。そして、それはとても重要なことだと思うの」
「重要、ですか?」
「ええ。自分の好みを知ることは、自分自身を知るということですもの」
頭を撫でていた手が離れ、代わりに朱亞の頬を包み込むように、桜綾が手を添える。もちもちとしている彼女の頬を楽しみながら、言葉を続けた。
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