始まりの日 9話

 そこからはとんとん拍子に話が進んでいった。四人の妃たちが話しているあいだ、朱亞シュアは楽しそうに声を弾ませる桜綾ヨウリンを眺めて、ほっと息を吐く。


 彼女にどんな心境の変化があったのか、朱亞にはわからない。だが、後宮にきて塞ぎ込んでしまうのではないかと心配もしていたが、杞憂きゆうだったと安心した。


貴妃きひの部屋は、まだ調度品が整っていないの?」

「ええ。どうせなら自分の趣味にあうものを揃えたいので。胡商会から取り寄せますわ」


 にこにこと笑っている姿を見て、すっかり温くなったお茶を飲み干し、その会話に耳をかたむけていると、若曦ルォシーがじぃっと朱亞を見ていたことに気付き、「どうしました?」と問いかける。


「わたしたちは朱亞の年齢を聞いたのに、こちらは教えていなかったな。わたしは二十一歳だ」

「あ、わたくしは二十二歳よ」

「私は十九歳です」


 ぽんぽんぽん、と年齢が耳に入り、朱亞は目を丸くした。


「あら、じゃあ妃の中ではわたくしが一番下なのね」


 桜綾が頬に手を添えてつぶやく。


「とはいえ、皇后に一番近いのはきみだろう。まぁ、後宮に入っている女性はわたしたちくらいだし、気楽に過ごしていこうじゃないか」


 若曦がこの場にいる全員を見渡して微笑む。


「……陛下は宮女を入れていないのですか?」

「いや、入れているよ。そうじゃないと、宮の掃除が終わらないだろうしね。広いし」

「あっ! そういえば、探検しているときに小屋があったのですが、あれはいったい……?」


 朱亞が弾かれたように顔を上げて、気になっていたことをたずねた。


 それに答えたのは蘭玲ランレイで、彼女は眉を下げながら口にする。


「あそこは宮女たちの休憩所です。宮女たちにも、ゆっくり過ごせる場所が必要だろう、と陛下が用意しました」

「陛下が……」


 感心したように言葉をこぼす桜綾に、他の人たちも蘭玲に視線を向けた。


「よく知っているね?」

「私は元々、燗流カンルーさまの部下でしたから」


 自身の胸元に手を置いて、微笑む蘭玲。


 桜綾はその姿を見て、ふと思ったことを口にした。


「燗流さんは、どんな方なの? あなたにとって」

「恩人です。私は昔から男勝りでして。よく燗流さまを困らせていました」


 懐かしむように目元を細めて、遠くを見つめるように緩やかに視線を動かす。


「私は昔から、武術に興味があったのです。ですが、親から止められて。燗流さまがこっそりと教えてくださったのですよ」


 蘭玲の言葉を聞いて、桜綾はじっと彼女を見つめた。


「本当にわたくしのところに来てよかったの?」

「もちろんですわ。精一杯、勤めを果たしたいと思います」


 蘭玲の瞳に燃える炎を見て、桜綾は口元に指をかけて微笑む。


「――そう。わかったわ。これからよろしくね」

「ありがとうございます、胡貴妃」


 安堵したように表情を緩ませる蘭玲に、他の妃たちは微笑ましそうにその光景を見ていた。


「さて、すっかり長居してしまったわね。私たちはこれで失礼します。あなたたちと話せて良かったわ」


 かたんと椅子から立ち上がり、小鈴シャオリンが優雅に微笑む。彼女が上がるのを見てから、若曦と雹華ヒョウカも立ち上がり、桜綾に「ごちそうさまでした」と一言声をかけてから、玲瓏れいろう宮をあとにする。


 三人の妃の姿を、小さくなるまで見届けてから、桜綾はずるずるとその場に座り込んだ。


「だ、大丈夫ですか?」

「……緊張したわ……」


 平然と相手にしていた彼女の本音に、朱亞と蘭玲は目を丸くする。緊張しているようには見えなかった。それだけ、桜綾は己の感情を律することができるのだと考え、朱亞はそっと彼女の肩に手を置く。


「胡貴妃でも緊張するんですね」

「そりゃあね。タン淑妃しゅくひも、ユー徳妃とくひも、シャォ賢妃けんひも、銀波ぎんぱで一度は耳にしたことがあるもの」

「ちなみに、どんな内容で?」


 桜綾は自身の肩に置かれた朱亞の手に触れて、顔を上げる。銀波で耳に入れた噂を口にすると、蘭玲が目を丸くした。


「ああ、確かに私も耳にしたことがあります。ちなみに、朱亞は? 知っていた?」


 ふるふるふる、と首を横に振った朱亞に、蘭玲は「そう」と頬に手を添える。


 桜綾が口にした内容は、国中で噂されているものだ。それを知らないとなると、本当に隔離された場所で育ったのだろうと考え、蘭玲は不思議そうに朱亞を見た。


「朱亞は不思議な子ね……」

「田舎過ぎて届かなかったのかもしれません。山奥の村でしたから」


 あの山奥まで噂が届くには、外の人たちが村を訪れなければいけない。


 けれど、記憶にある限り、村人たち以外が村に入ったことはない。その村人たちだって、一度村を離れたら数ヶ月は戻ってこなかった。


「唐家や肖家は有名だからね。于家は内乱で負けた結果、彼女が後宮に入ったのでしょう」

「いろいろな理由で後宮に入るんですね」

「家の厄介払い、でもあるでしょう」


 硬い口調で蘭玲が口にする。厄介払い? と首をかしげる朱亞に、桜綾は彼女の手を肩から外させ、立ち上がる。


「肖賢妃が一番わかりやすいかしら? 肖家は代々、暗い茶髪に明るい茶色の瞳なのよ。でも、肖賢妃の容姿は?」

「白い髪に、灰色の瞳、でした」

「そう。だから、彼女が後宮に入ったのでしょう」


 朱亞はさらに首を捻る。なぜ、それだけの理由で雹華が生家から離れないといけないのだろうと考え込んだ。


「朱亞には信じられないかもしれない。でもね、血の繋がった家族でも、こういうことが起きるのよ」

「……なんだか悲しいですね」


 しょんぼりと肩を落として、声を震わせる朱亞に、桜綾はぎゅっと抱きついて慰めるようにぽんぽんと彼女の頭を撫でた。蘭玲も、ぽんぽんと朱亞の背中を撫でる。


 ふたりに励まされ、朱亞は決意を秘めた瞳で真っ直ぐに前を見据え、妃たちが楽しく過ごせることを願った。


「さて、片付けましょうか」

「手伝います!」

「ここはお願いしても良いかしら? わたくしはちょっと休憩したいわ」


 どっと疲れが出たのだろう。桜綾は自室に足を進めた。緊張していた、と話していたから、自室でゆっくり過ごして心を落ち着かせるのだろう。


「それじゃあ、私たちは片付けようか」

「はい!」


 元気よく返事をする朱亞に、蘭玲は和んだように表情を綻ばせた。

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