始まりの日 8話

 朱亞シュアは目を凝らして、妃たちの肌を観察した。すべすべの肌だ。桜綾ヨウリンとあまり変わらない年齢に見える。そして、自分の頬をふにふにと触れてみる。


「朱亞も化粧品が気になる?」

「え、ええと……お肌のお手入れは、よくわからなくて」


 朱亞は軽く頬を掻きながら視線を落とす。その様子を見ていた小鈴シャオリンが、両手を組んでにっこりと微笑んだ。


「興味はありそうね」

「はい、もちろん!」


 意欲的に瞳を輝かせる姿を見て、意外そうに雹華ヒョウカが声をかける。


「まだ若いのに、美容に興味が?」

「みなさんが美しいので、秘訣を知りたいな、と」


 朱亞がもじもじと両手の指先をすり合わせる。美しい人には美しいひとなりの努力が必要だと、祖父から聞いていた。


 村にいる人たちも年齢と見た目が合わない人が多かったことを思い出して、懐かしさで目を伏せる。


 そんな朱亞の頭の天辺から上半身をじぃっと見つめるのは、若曦ルォシーだ。


「わたしのことも美しいと?」


 どこか、呆れたような声だった。


 自身の髪をいじりながら、そう問いかける若曦に、彼女はきょとんとした表情を浮かべた。そして、不思議そうに彼女を眺めて首を縦に動かす。


「はい。蘇芳すおうの髪も、焦げ茶の瞳も……ユー徳妃とくひの美しいところです」

「……この髪が?」


 思いも及ばない返答が耳に届き、若曦が自身の髪をきゅっと握って怪訝そうに表情を歪め、小さな声でつぶやいた。


「私は好きですよ、蘇芳色。于徳妃に似合っています」


 思わずぽかんと口を開ける若曦に、小鈴がくすくすと口元を隠して笑う。


「朱亞の勝ち」

「……まったく、純粋過ぎて扱いにくいったら」


 こてんと首をかしげる朱亞に、なぜみんな楽しそうに笑った。


「ねえ、朱亞。私は?」


 わくわくしたように瞳を輝かせながら、雹華が声をかけた。彼女に視線を移して、朱亞はにこりと微笑む。


シャォ賢妃けんひの白い髪も、灰色の瞳も素敵だと思います。肌も白いのですね」

「生まれつきなのよ」

「では、わたくしは?」


 雹華が自身の袖を戻している間に、小鈴にもたずねられて朱亞は素直な気持ちを口にした。


タン淑妃しゅくひは瞳の色が特に好きです。少し青みのある薄い紫色の瞳で、見つめられるとどきっとします。艶のある髪も綺麗だなぁって」


 照れたように頬を赤らめる朱亞に、小鈴はぐっと自分の胸元に手のひらを押し付ける。


「……貴妃きひ、朱亞を貸して欲しいわ」

「お断りしますわ。朱亞はわたくしの侍女ですもの」


 雹華から離れた桜綾は、急いで朱亞のもとに戻り、彼女の隣に座るとぎゅっと首元に抱きつく。


 自身の侍女だから、誰にも渡すつもりはないという宣言に、妃たちは残念そうに息を吐いた。


 素直な朱亞の言葉は、妃たちの心にじんわりと沁み込んでいく。


 だからこそ、返すことを前提で小鈴が言葉にしたのだが、桜綾はきっぱりと断り――会心の笑みを浮かべた。


 彼女を侍女にすると決めたのは、その純真な心がまぶしく、きっと後宮でも光を照らす存在になるだろうと考えたからだ。


「朱亞はわたくしが見つけた子ですもの」

「羨ましいわ。そんな純真な子を侍女にできて」


 雹華が声を潜めてつぶやく。彼女の侍女だって優しい子だ。だが、雹華を心配するあまり、笑顔を見せることが少ない。


 生まれつき白い髪と灰色の瞳をもったため、家族からも疎まれ生家では自分の居場所がなかった。居心地の悪い家の中、雹華が自我を保てていたのは自身の侍女のおかげだ。


 肖家に仕える女性で、雹華にとっては姉にも等しい人。


 彼女は雹華が後宮に入ることになったとき、自ら志願してついてきてくれた。


 そのことにはとても感謝している。


 感謝しているが、時々とても申し訳なく感じるのだ。


(――私が後宮に入ったのは、両親が望んだから)


 皇帝である飛龍は、三人の妃を後宮に受け入れた。しかし、一度も妃たちに触れたことがない。


 そんな彼が、『絶世の美女』とちまたで称賛されている女性を迎えに行ったと耳にした日は、三人とも落胆したものだ。


 後宮で生き残るには、彼の寵愛ちょうあいが必要になる。


(――そう、思っていたのだけど……なんだか面白いことになってきたわね)


 雹華はひっそりと微笑んだ。


 皇后に一番近い貴妃の位を与えられた桜綾。


 彼女は雹華が思っていたよりも、竹を割ったようなさっぱりとした性格で、それがとても好ましい。


 そして、彼女の侍女である朱亞も。


 確かに他に見ない翠色の髪ではあるが、彼女の雰囲気にぴたりと当てはまっている。


 柔らかく、優しく、美しい、色。


 皇太后陛下がなぜあんなにも朱亞に対して厳しい言葉をかけたのか、理解できないほどに『朱亞』という少女は無害に見える。


 小鈴も若曦も、朱亞に好意的だ。雹華も、朱亞の純真さに惹かれていた。


「みなさんにも、侍女がいるのですよね」

「ええ、いるわ。でも、朱亞が良い子だから、もっとお話したくなっちゃったのよ」


 小さな子どもを見守るように微笑む小鈴の姿に、雹華も若曦も言葉をむ。


 一年半ほどの付き合いだが、彼女があのように慈しむような表情を浮かべられるということを、初めて知ったからだ。


「でしたら、またこうしてお茶会を開きましょう」


 朱亞の首元から腕を離し、ぱんっと音を立てて両手を合わせる桜綾に、三人の妃たちはうなずく。


「そうね、今度は花月かげつ宮でお茶会をしましょう。わたくしの宮に、遊びにきてくださる?」

「もちろんですわ、唐淑妃」


 それを聞いていた若曦がひらひらと手を振った。


「なら、その次はわたしの宮、さらにその次は月華げっか宮という感じで親交を深めていこうか」


 提案を口にする若曦に、全員の視線が集まる。


「そうですね、ひとりの宮にだけ集まるのは、不公平ですもの」


 雹華の言葉に、全員がうなずいた。

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