始まりの日 7話

「すっかり話し込んでしまったな。桜綾ヨウリンのところに行きなさい」

「陛下は?」

「余は執務がまっているからな」


 渋い表情で大袈裟に肩をすくめる姿を見て、朱亞シュアはくすりと笑ってから「それでは、失礼します」と頭を下げた。


 一度自室に戻り、二枚の地図を鞄にしまい、桜綾たちのいる部屋に向かう。


 扉の前に立ち、軽く扉を叩くとすぐに「入って」と声が聞こえた。朱亞が開ける前に扉が開く。どうやら蘭玲ランレイが開けてくれたようで、中に入るようにうながした。


 朱亞は中に足を踏み入れ、そして目を大きく見開く。


 蘭玲が意味深に微笑んでいたのは、これだったのかと思わず辺りを見渡す。一目見ただけでも、この部屋に置いてあるものは高級なものだとわかった。


 大きな丸い机に、椅子にはふわふわの背当てが置かれ、座り心地が良さそうだ。机の上には硝子でできた急須が置かれ、緑茶を淹れたのか綺麗な緑色が見える。


「朱亞、こちらにおいで」


 桜綾に招かれて、彼女に近付く。彼女はぽんぽんと自分の左側の椅子に座るように指示をした。


 それに戸惑ったように朱亞がこの場にいる人たちの顔色をうかがうように視線を巡らせる。


 全員がにこにこと笑っていて、朱亞はすとんと椅子に座り、改めて女性たちを見渡した。


「ええと、どこまで話したかしら?」

貴妃きひと朱亞の出会いまで、ですわ」


 小鈴シャオリンが小さな湯呑みに入っているお茶をほんの少し口に含み、香りと味を楽しむように目を閉じて飲み込んでから口を開く。その言葉を聞き、桜綾が「そうでしたね」と柔らかく微笑む。


「びしょ濡れになったわたくしに気付いて、朱亞が山小屋に招いてくれたの。そんなに昔のことではないのに、なぜかとても懐かしく感じるわ」


 桜綾は口元を手で隠してくすくすと笑う。その様子を見ていた蘭玲が、朱亞の分もお茶を淹れて、目の前に置いた。


「あ、ありがとうございます」


 蘭玲にお礼を伝えてから、朱亞は湯呑みに手を伸ばす。


 緑茶を口の中に入れて、その味に驚いた。


 まろやかな口当たり。渋みを感じることなく、舌に残るのは甘みだけ。不思議そうに目を大きく見開き、こくりと飲むとぱぁっと表情を明るくさせる。


「美味しい?」

「こんなに甘いお茶、初めて飲みました!」

「ふふ、それは良かった」


 蘭玲がほっとしたように胸を撫でおろす。


「このお茶はいったい?」

「玉露というのよ」


 桜綾に美味しい緑茶の前を聞いて、朱亞は「玉露」とつぶやいてから、はっとしたように目を瞠った。


「聞いたことがあります。飲むのは初めてですけれど……」

「どんな効果があるの?」


 興味津々というように、雹華ヒョウカたずねる。朱亞は彼女に顔を向けた。


「確か、免疫力を上げる効果があるはずです。あと、いらいらするときにも良かったはずです。玉露というか、緑茶全般にいえることなのですが……」


 祖父に教わったことを口にしていくと、感心したような視線が朱亞に集まる。


 そのことに首をかしげると、ぱちぱちと若曦ルォシーが拍手を送った。


 拍手を受け、朱亞はきょとんとした表情で若曦を見つめた。彼女は焦げ茶の瞳をすっと細めて、口角を上げる。


「その知識も、村から?」


 こくりと首を縦に動かす朱亞に、小鈴が言葉を重ねた。


「朱亞は何歳だっけ?」

「十三歳です」

「十三歳……その歳で、その知識力。素晴らしい」


 顎に手をかけて、若曦がつぶやく。そのつぶやきを拾い、桜綾がぎゅっと朱亞の腕に抱きついてきた。


「よっ、……胡貴妃?」


 つい名前を呼んでしまいそうになった朱亞に、桜綾が空いている手を自分の頬に添える。


「いやですわ、みなさま。わたくしではなく、朱亞にばかり注目しないでくださいませ」


 こてん、と首をかしげる桜綾に、その場にいる女性たちが一瞬目を丸くして、それからそれぞれに笑いだす。


 目尻ににじんだ涙を人差し指で拭い、「それもそうだな」と若曦がうなずいた。


 桜綾がそっと朱亞から離れ、にこりと微笑む。自身に向けられていた視線を、一瞬でかき集めていった桜綾を見て、心の中でぱちぱちと拍手を送る。


「胡貴妃はどこの出身でした?」


 雹華の問いに桜綾はすかさず「銀波ぎんぱです」と答えた。そして三人の瞳を見つめてから、目元を細めて口角を上げ、かたりと椅子から立ち上がり、右頬の近くで両手を重ねて口を開いた。


「さまざまな品物を取り揃えている胡商会を、よろしくお願いいたします」


 声を弾ませて生家を宣伝する桜綾に、妃たちは一瞬虚を突かれたように目を瞬かせ、それから「商売上手ねぇ」と小鈴が頬に手を添えて噴き出す。


「お勧めはあるのかしら?」

「そうですね、桐の箪笥なんていかがでしょうか。職人が丁寧に、心を込めて作っていますわ」

「そういえば、ここの調度品はどこから?」


 ちらりと蘭玲を見る若曦。蘭玲は辺りを見渡して、眉を下げた。


「陛下が用意したと、燗流カンルーさまから聞いております」

「あら、そうだったの。わたくしと朱亞の部屋はまだ調度品が揃っていないから、てっきり他の部屋もそうなのかと思っていたわ」

「さすがにそれでは胡貴妃に申し訳ない、と」


 朱亞は辺りを見渡す。桜綾が口にしていた桐の箪笥も置かれているし、このガラスの茶器だって上質なものなのだろう。


「陛下はどこで注文したのかしらね」

「……あの、胡商会では、化粧品を取り扱っていませんか?」


 おずおずと雹華が手を上げる。そして自分の服の袖をそっと捲り、白魚のような肌を見せた。少し赤身を帯びているのを見て、桜綾がはっとしたように彼女を見つめた。


「かぶれ、ですか?」

「はい、そうみたいで……。なかなか肌に合う化粧品を見つけられなくて、困っていたところなのです。胡貴妃のお勧めを、試してみたいですわ」


 雹華が目をきらきらと輝かせて、両手の指先を合わせる。桜綾は彼女の近くに足を進め、すっとしゃがむと彼女の手に触れる。


 ぴくりと彼女の白魚のような手が跳ねる。包み込むように手を重ね、雹華を見上げる桜綾の瞳は真剣そのものだ。


「化粧品は使ってみないとわかりませんものね。肖賢妃の肌にあう商品を、一緒に探していきましょう」

「心強いですわ」


 ほっと安堵したように微笑む雹華に、桜綾は微笑みを返す。


 そして、彼女から手を離して立ち上がり、小鈴と若曦にも顔を向けて尋ねた。


「おふたりも、化粧品はいかがでしょうか? 自分にぴったりの化粧品を使うと、より魅力的になりますわよ」


 朱亞は感心した桜綾を見つめ、自分の頬に触れてみた。自分にもぴったりな化粧品があるのだろうかと思考を巡らせる。


 それを見ていた小鈴が、小さく笑みを浮かべて口を動かす。決して言葉にはしなかったが、朱亞には確かに『気になる?』と聞こえた。

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