始まりの日 6話
「あの、蘭玲さん。
こっそりと聞かれたことに、蘭玲は一瞬目を丸くして、それからふっと表情を和らげた。
「
「れいろう……」
「ええ。貴妃の宮はそう呼ばれているの」
朱亞は舌に馴染ませるように、何度も口の中で玲瓏と繰り返す。その様子を見ながら、後ろをついてくる妃たちにも視線を向ける。
彼女たちにもそれぞれの宮に名前が付いているらしく、どんな名前なのだろうと考えていると、蘭玲が小さく笑みを浮かべながら教えてくれた。
「
「……? 貴妃の宮だけ、なんだか名前の雰囲気が違いますね?」
「貴妃だからね」
くすりと蘭玲の口角が上がる。視線を前に戻して、ぴたりと足を止めた。彼女の視線の先には、
「どうしたの?」
「玲瓏宮でお茶会をすることになりました」
蘭玲がそう伝えると、桜綾はぴくりと眉を跳ねてから、ゆっくりと深呼吸をした。他の妃たちに視線を移す。彼女たちは飛龍を前にしているからか、頭を下げていた。
「――あの、陛下。こちらの方々の位? を決めたのは昨日というのは、本当なのですか?」
「ああ、彼女たちから聞いたのか? そうだ。宮もそれでようやく決まった」
「……今まで彼女たち、どこで暮らしていたんですか?」
桜綾が小首をかしげて問いかける。
「
「い、一年半も……」
目を大きく見開いて額に手を添えてうつむいた桜綾は、左右に首を振ってから、小さく咳払いをして蘭玲を見た。
「わたくしの宮で、お茶会できる場所があるの?」
「え、いつの間に」
「深夜にこっそりと」
蘭玲がすっと桜綾が立っている場所からふたつ隣の場所を指す。
彼女は昨夜のうちに用意していたようで、朱亞も桜綾もそのことに気付くことなく眠っていた。
「朱亞、少し良いか?」
「え? あ、はい」
いきなり飛龍に声をかけられ、朱亞は戸惑ったように桜綾を見た。彼女がうなずいたのを確認してから、飛龍に返事をする。
「朱亞。わたくしたちはあそこにいるから、陛下との話が終わったらきてちょうだい」
「わかりました」
桜綾たちは飛龍に一礼してから部屋へと足を進める。どの部屋に入ったのかをしっかりと見届けてから、飛龍を見上げた。
「それで、私になんのご用でしょうか」
皇帝陛下とふたりきり、という状況に朱亞は眉を下げて問う。
「――そなたは、どこの出身だ?」
問いかけられた言葉に首をかしげる。山の奥の村、と答えると彼は困ったように肩をすくめた。
「そうではなく、村の名前は?」
「雲隠れの村、と呼ばれていました。それしか知りません」
「……余が皇帝になる前から、その村はあったのだな?」
こくりとうなずく。飛龍は考えるように口元に手を置き、真剣な表情でこうつぶやく。
「――皇族は、その村の存在を知らぬ」
――まるで、時が止まったかのように、朱亞の身体が硬直した。
飛龍の言葉が信じられなかった。だが、すぐに考えを改める。あれほど小さな村なのだから、皇族がその存在を知らなくてもおかしくはない、と。
――そう、思いたかった。
「そなたの村は、本当に存在していたのだな?」
「は、はい。山奥に。あ、そうだ。少々お待ちください」
飛龍の問いになんとか言葉を絞りだす。そして自身の荷物から地図を取りだすと、二枚の地図を飛龍に差しだす。
彼はそれを受け取り、真剣な表情で地図を見比べた。
「村はどこにあった?」
「えっと、ここの赤い丸のところです」
「――こんな場所に、人が暮らしていたのか……」
感心したように飛龍がぽつりと言葉をこぼれた。その言葉が耳に届き、朱亞は首をかしげる。
「こんな場所?」
「人が暮らすには適さない場所だ。……そうか、そなたはこの国ついて、本当に知らないのだな」
「うっ。す、すみません」
朱亞に与えられた知識はすべて、国以外ものだった。生きるために必要な薬草の知識や、知っていればいつか役に立つだろうといわれた宝石の知識。
その他の知識もすべて、国以外のもの。
村のことしか知らない朱亞。この国の成り立ちも、飛龍が何代目の皇帝かも知らない。狭い村の中で与えられた知識だけで、旅をしていた。
「あえて国のことを教えなかったのかもしれぬし、別の理由があるかもしれんな」
「別の理由、ですか?」
「その村自体が、国に属していない場合――」
朱亞が息を
「……私、いったい……?」
「謎が多いな、そなたは。いや、そなたの住んでいた村は、か?」
飛龍が両肩を上げて息を吐くと、朱亞はじっと自分の手のひらを見つめた。
「村を探すのですか?」
「……いや、まだわからぬ。『雲隠れ』という名の通り、探したところでもぬけの殻である可能性もあるからな」
広げていた二枚の地図を丁寧に折りたたみ、朱亞に返した。地図を受け取ってぎゅっと抱きしめるように胸元に押し当てる姿を見て、飛龍は彼女の肩に手を置く。
「ともかく、後宮では桜綾を頼む。村のことは、少し気になるがな」
「気になる?」
きょとりと目を丸くして小首をかしげる朱亞に、飛龍はぽんぽんと彼女の肩を叩いた。
「余が知らぬ村だからな。どんな人たちが住んで、そなたに知識を与えたのか気になっている」
朱亞はじっと飛龍を見た。自分が住んでいた村を思い返し、ふっと表情を和らげて楽しそうに声を弾ませる。
「良い村でしたよ。平和で。人々も優しくて、みんないろんな知識を持っていて、たくさんのことを教えてくれました」
目を閉じて、村で暮らしていた日々を思い返す。懐かしさと同時に、最愛の祖父を亡くした切なさで胸の中がほんの少しだけ痛んだ。
「そなたは、その村が好きなのだな」
「――はい、大好きです」
目を開けて、真っ直ぐに飛龍を見つめる朱亞に、彼は「そうか」とだけ言葉を残す。
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