始まりの日 5話

「皇太后陛下、この者は偶然……我が妃と出会い、そのまま侍女になった幸運の持ち主です。後宮でも役に立つでしょう」


 飛龍フェイロンの言葉に、彼女は眉根を寄せる。その表情を見た人たちは、戸惑いを隠せない様子だった。


「――興が冷めた。あとは好きにせよ」

「あ、あのっ!」


 去ろうと背中を向ける皇太后陛下に朱亞シュアは声をかけた。軽く振り返り、睨むように眼光を鋭くするのを見て、周りの人たちが言葉をむ。


 だが、朱亞はそんな彼女を心配そうに見つめた。


 皇太后陛下は彼女の言葉を待たず、去ってしまう。残された人々は、慌てたように皇太后陛下を追うもの、その場に残るものと様々だ。


「朱亞、大丈夫?」

「……私は大丈夫です。貴妃きひは大丈夫でしたか?」

「ええ、わたくしは平気よ」


 桜綾ヨウリンが朱亞を心配して駆け寄ってきてくれた。労わるようにぎゅっと抱きしめられ、朱亞は目を閉じる。


(――あれだけの敵意を向けられることをした覚えはないのだけど、なにか理由があるのかしら?)


 朱亞は思考を巡らせる。今まであれだけ明確な敵意を向けられたことはなかった。


「すまんな。しかし、よく耐えてくれた」


 飛龍に話しかけられ、朱亞と桜綾はふるふると首を横に振る。


「いつかはお会いしないといけない方でしたから」

「普段は自分の宮に引きこもっているんだがなぁ」


 飛龍は後頭部に手を置いて首をかしげる。そして、皇太后陛下が彼に『妃を連れてきた、と? ならば一度会わねばな』と言われていたことを話した。


「そうだったんですね」

「時間の指定はなかったのですが? 急でしたわよ」

「伝える暇がなかったんだ。だから、燗流カンルーから蘭玲ランレイに伝言を頼んだ。その結果がこれだ」

「蘭玲、どうして先に言わなかったの?」


 厳しい口調で問いかける桜綾に、蘭玲は「申し訳ありません」と頭を下げた。その姿を見て、桜綾は息を吐く。


「重要なことは、先に伝えてちょうだい」

「これから気をつけます」


 朱亞は桜綾と蘭玲を交互に見て、眉を下げる。伝えにくかったのかな、と考えた。


「時間の指定はありませんでした。ただ、ここで待っている、とだけ」

「そうだったんですね」

「胡貴妃と皇后陛下の顔合わせに、私自身が緊張してしまって」

「なぜあなたが緊張するの」

「どんな雰囲気になるのか、まったく想像できませんでしたから……」


 蘭玲は視線を地面に落とす。彼女の言葉に、朱亞は桜綾を見上げた。彼女は少し視線を下げ、今度は頬に手を添えて肩をすくめた。


「まぁ、そうよね。あなたにもあなたの事情があるのでしょうし」


 それから飛龍に視線を移し、声をかける。


「陛下、時間はありますか? 少々、確認したいことがございますの」

「ああ、いいぞ。――そなたたちも好きに過ごしなさい」


 飛龍が桜綾の手を取り、この場から去っていく。その姿を眺めながら、朱亞はこれからどうしようと辺りを見渡す。


 他の妃たちが興味津々に朱亞たちを見ていることに気付き、彼女たちと話をしようとこの場に留まることにした。


 彩り豊かな服を着ている数人の女性たち。着ている服の生地がとても高いものだろうと判断し、朱亞は女性たちの顔を見渡し――にこりと人懐っこそうに微笑む。


「改めてご挨拶いたします。胡貴妃に仕える朱亞と申します。出身が田舎なので、いろいろ教えていただけるととても嬉しいです!」


 左手に拳を作り、右手を添えて目を閉じる。その姿を見て、女性たちは顔を見合わせてから、ひとりの女性が声をかけた。


「――朱亞とお呼びしても?」

「はい、構いません」

「では、朱亞。こちらも自己紹介しますね」


 朱亞は目を開けて女性を見る。彼女は自身の胸元に手を置いて口を開く。


タン小鈴シャオリンよ」


 ややくすんだ明るい茶色の髪を結い上げ、かんざしでまとめている。少し青みのある薄い紫色の瞳を持つ女性が、朱亞を真っ直ぐに見つめて名前を教えてくれた。


わたくし淑妃しゅくひくらいを与えられたわ。昨日」

「昨日?」


 目を丸くする朱亞に、彼女はこくりと首を動かす。そして、ちらりと別の女性に視線を向けた。その視線を受けた女性が軽く手を上げる。


ユー若曦ルォシー徳妃とくひになった」


 赤から紫に近い髪色で、ふわふわとしていた。その髪をひとつにまとめている。焦げ茶の瞳は切れ長で朱亞のことをじっくりと眺めていた。


賢妃けんひシャォ雹華ヒョウカです。……よろしくね」


 最後に腰まである長い白髪に、灰色の瞳。日差しを避けるためだろうか、彼女の傍には侍女いて傘をさしている。


わたくしたち全員、昨日くらいが決まったのよ」


 ふふ、と笑う姿を見て、彼女たちからは敵意を感じないと思った朱亞は、少し安堵した。


「陛下が即位されてから集められたの、私たち。だから、それなりに仲が良くなったのよ。なんせ、陛下は一度もお渡りにならなかったからね」


 え、と朱亞は目を大きく見開いた。その反応に、妃たちはくすくすと優雅に笑う。


「でも、そうね。確かの朱亞のような髪色は見たことがないわ。わたくしたちだって茶髪や赤髪、白髪だものね」

「染めているの?」


 朱亞はふるふると首を横に振る。物心がついた頃からこの髪色だった。


 故郷の村でも目立つくらいに。


 村でも黒髪や茶髪が多かったので、朱亞はとても見つけやすいと村人たちが和やかに言っていたことを思い出し、小さく笑みを浮かべた。


「どうしたの?」

「あ、ええと。私が暮らしていた村でも、私のような髪色をした人はいなくて……その代わりに『見つけやすい』と言われていたことを思い出しました。旅をしていた頃も、同じ髪色の人は見たことありませんね……」


 旅、という言葉に反応したのか、雹華がそっと朱亞の肩に手を置いた。彼女の肌はとても白くて、雪のようだと朱亞は思う。


「あなたの旅のお話を、聞いてみたいわ」


 雹華の言葉に、小鈴と若曦も賛成した。その様子を見て、今まで戸惑ったまま動けずにいた蘭玲がようやく口を開く。


「あの、それでは胡貴妃の宮にいきませんか?」

「え? でも……」


 まだ調度品が……と言おうとした朱亞に、蘭玲は安心させるように笑みを見せた。

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