朱亞の知識 1話
どのくらいまで待っていただろうか。耳を研ぎ澄ますように目を閉じていると、ばたばたとした足音が耳に届く。そして、扉が勢いよく叩かれる音に飛び起きる。
「な、なに!?」
こんな勢いで扉を叩かれることはないので、驚きよりも先に恐怖を感じて動けずにいると、扉の外から声をかけられた。
「
切羽詰まったような声は
「な、なにがあったんですか?」
梓豪は説明する間も惜しいのか、「荷物を持って、付いてきてください」と早口で伝える。その様子にただならぬものを感じ、朱亞は足早に荷物を持ち問いかけた。
「どこまで行くのですか?」
「呉服屋に。きっとあなたなら、対処法がわかると思うので。失礼をお許しください」
「え? きゃあっ」
ふわり、と自分の身体が浮いた。梓豪が朱亞を抱き上げたのだ。
そして、そのまま走り出す。
(す、すごい。軽々と抱えて走っている!)
それにしても、呉服屋でいったいなにがあったのだろうか。こちらを注目する宿泊客たちの視線を感じながら、朱亞は梓豪の腕の中でぎゅっと自分の荷物を抱きしめた。
◆◆◆
――呉服屋までは馬で向かった。朱亞を前に乗せ、梓豪が後ろに乗り馬を走らせる。馬に乗るのは初めてことだったが、景色を楽しむ余裕はなく、向かい風に思わず目を閉じる。
呉服屋につくと、まず梓豪が降り、次に朱亞をひょいと抱き上げて降ろした。
馬を近くに繋いでから、呉服屋に足を踏み入れる。
「――大丈夫ですか!?」
お腹を抱えて座り込んでいる女性と、おろおろとしている男性の姿が視界に飛び込んできた。
朱亞が駆け寄り、声をかけた。男性が顔を上げて、朱亞と梓豪を見ると「つ、妻が急に腹痛を訴えてきて……!」と掠れた声で
「お腹が痛いのですね? 失礼します」
座り込んでいる女性に近付き、顔を覗き込む。意識はあるようで、朱亞に気付くと口を小さく開き言葉を紡ぐ。声にならない声だったが、こくりとうなずいてからふたりに顔を向けた。
「休む場所はありますか?」
「は、はい。奥に……」
「歩けますか? 支えますよ」
「……お願い、します……」
朱亞が手を差し伸べると、その手を取って立ち上がる女性。左手をお腹に添えて、よろよろと歩きだす彼女を支えるように、ゆっくりと歩いて奥の部屋に移動する。
その部屋には寝台があった。
「横になったほうが楽ですか?」
こくり、と力なく首を縦に振る女性。寝台まで支えながら歩き、彼女を寝台に座らせると横になるように
「どんな痛みか、教えてもらえますか……?」
痛みに耐えているのだろう。眉間に皺を刻みながら小声で教えてくれた。
「刺すような……痛みなの。……ちょうど、二日目で」
「二日目……ああ、はい。わかりました。少々お待ちください」
納得したようにつぶやいて、ふたりのところに戻る。
刺すような腹痛と二日目、という言葉に思わず自分の腹部を撫でた。
「あの……」
「あのっ!
男性と朱亞が同時に口を開き、男性は目を丸くする。
「月季花? あるにはあるが……」
「少しいただけますか? それと、
自分の持ってきた鞄から、砂糖と米を取りだす。ふたりは朱亞が手にしているものを見て首をかしげたが、すぐに月季花と櫻桃を入手するために動きだした。
「すみません、台所、勝手に借ります!」
「あ、ああ」
男性に声をかけてから、朱亞は気合を入れるように両手で頬を軽く叩く。女性を奥の部屋に支えて向かったとき、台所があるのは目視している。
台所に足を運び、「お借りします」と一言つぶやいてから、お粥を作り始める。そのうちに、男性と梓豪が月季花と櫻桃を持ってきてくれた。
それらを受け取り、月季花と櫻桃を丁寧に洗い、お粥に入れて五分ほど煮る。最後に砂糖で味を調えて、くるりと振り返り男性を見上げる。
「お茶碗って、どれを使っていますか?」
「えっと、彼女が使っているのは、これだよ」
わたわたと女性が使っている茶碗を朱亞に渡す。茶碗に少量のお粥を入れ、
寝台の上でお腹に手を添えて、痛みを耐える姿が視界に入り、足早に近付く。
「起き上がれますか?」
なるべく優しく聞こえるように気をつけながら、声をかける。彼女はゆっくりと起き上がり「なんとか……」と眉を下げて苦笑をもらす。
「熱いので、ゆっくり召し上がってくださいね」
茶碗と勺子を渡し、食べるように勧めると彼女は戸惑ったように朱亞を見る。そこでなにかに気付いたように、お粥の説明を始めた。
「その粥は月季花粥といいます。刺すような痛みを伴う月経痛に効果があるんですよ」
内緒話をするようにひっそりと耳元でささやくと、女性は目を数回ぱちぱちとさせて、お粥に視線を落としてから勺子で掬い、ゆっくりと口に運ぶ。
「……甘いのね」
「砂糖で味付けていますから」
「そう。でも、食べやすいわ」
温かいものを食べたからか、ほっとしたように息を吐く。先程よりは痛みが引いたのか、表情が和らいでいた。
「ありがとう、助かったわ」
「お役に立ったのなら、なによりです」
朱亞はにこりと微笑み、お粥を食べる女性を見守る。すべて平らげたのを確認すると、「預かります」と手を差し伸べる。
「勝手に台所をお借りして、すみません」
「いいえ、むしろありがとう。少し、痛みが引いたわ」
女性は優しく微笑んで腹部を撫でてから朱亞に食べ終わった食器を渡すと、月季花粥の作り方を教えてほしいと両手を合わせたので、口頭で作り方を教えた。
「……簡単に作れるものなのね」
「基本煮るだけですからね。朝夕に少しずつ食べてください」
「本当にありがとう」
「いいえ、お気になさらず。さあ、少し休んでください。無理しちゃだめですよ」
横になるように促すと、女性は「お言葉に甘えて」と寝台に寝転ぶ。
冷えないようにきっちりと布団をかけ、朱亞は梓豪たちのもとに歩いた。
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