後宮へ 1話
「
「……それは、陛下がお渡りになったときで良いのでは?」
「あら、陛下が誰と夜を過ごすのかわからないではないですか」
それに気付いた桜綾が、「どうしたの?」と彼女の顔を覗き込む。
「なぜ男装を?」
「朱亞を後宮から外に出すためよ」
「なぜですか?」
「女性は後宮から出られないの」
「ええと、私が男装して外に出て、梓豪さんと連絡を取り合う……のですか?」
桜綾は「そうよ」と小さくうなずく。朱亞は考え込むように黙り込み、はっとしたように顔を上げてふたりを見た。
「まさか、これ以上に服が増えるのですか!?」
「あ、気になるのはそこなのね」
「宦官の服が増えますね」
「そんな……! こんなに買っていただいたのに……!」
朱亞は驚愕の表情を浮かべて震えだす。こんなにたくさんの服を一気に手に入れたのは初めてで、それだけでも贅沢な気持ちになっているのに、さらに服が増えることに戸惑いを隠せない。
揺れる瞳に、桜綾はそっと彼女の肩に手を置き、言葉を紡ぐ。
「大丈夫よ、朱亞。きちんとあなたに似合う服を贈るわ」
「それも陛下のお金でしょう?」
「当然ですわ。わたくしたちを後宮に入れるのですから」
きっぱりと言い切る桜綾に、梓豪は肩をすくめたが、すぐに時間を確かめるように視線を窓の外に移すと、ふたりに声をかけた。
「とりあえず、朱亞さんは買った服に着替えてください。そして、早速ですが後宮へ向かいましょう。我々もまとまった話を聞かなくては」
自分たちも
彼は頭を下げて部屋から出ていく。どうやら、朱亞が気兼ねなく着替えられるようにという配慮のようだ。
「どんな服を買ったのか、見ても良いかしら?」
「もちろんです。……あの、本当に男装用の服も買うのですか?」
「ええ、買うわよ」
桜綾は買った服の中から薄紅色のものを選び、朱亞に見せる。
「この色可愛いから、朱亞にぴったりだと思うわ!」
「あ、ありがとうございます!」
朱亞は桜綾から勧められた薄紅色の服を受け取り、早速着替えだした。この宿屋で袖を通した絹と同じくらい肌触りの良い生地で、本当にこれを着ても良いのだろうかと一瞬迷う。だが、その考えを振り払うように頭を横に振った。
「……あの、桜綾さん。この服って、これで合ってます?」
着替え終わってから、振り返る。すると、彼女は目をらんらんと輝かせて何度もうなずく。
「ええ、やっぱり思った通り! とても可愛いわ」
桜綾は着替えた朱亞を見て、明るい表情で彼女に近付いて左頬の近くで両手を合わせる。普段あまり聞かない褒め言葉を浴びて、朱亞は照れたように頬を赤く染めた。
「髪型も変えたいわね。それも陛下のお金で解決しましょう」
「本当に良いのでしょうか、陛下のお金で、そんな」
いくら
「わたくしたちは陛下の都合に付き合わされるの。だから、これは前払いの報酬だと思いなさい」
「前払いの、報酬?」
桜綾はすっと栗皮色の瞳を細めて、茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。
「そうよ。わたくしたちは依頼を受けて後宮に入るのだから、その報酬はきちんともらわないと」
「依頼」
「そう考えたほうが、気が楽になるのではなくて?」
頬から朱亞の翠色の髪に手を移動させ、その頭を撫でる桜綾に彼女は少し黙り込み、それから真っ直ぐに桜綾を見つめる。
「確かに少し、気が楽になりました。陛下は私の知識を『雇った』のですね」
「ええ、そうなるわね。さあ、後宮へ行きましょう。わたくしたちを待っているのは、どんなことかしらね?」
朱亞の頭を撫でることをやめ、桜綾は手を離す。そして、扉へと足を進めた。それを追いかけるように朱亞も続く。
しっかりと自分の荷物を持って。
桜綾が扉を開くと、梓豪が廊下で待っていた。
「準備はできましたか?」
「ええ、できたわ」
「はい」
梓豪は薄紅色の服を着た朱亞に気付き、
「似合っていますよ」
「あ、ありがとうございます」
異性に褒められるのはいつぶりだろう? と朱亞は思い返す。村にいたときは、身長が伸びるたびに祖父が服を作ったり、近所の人からもらったりしていた。
袖を通して祖父に見せると、『似合う似合う』と皺くちゃの笑顔で褒めてくれ、むず痒い気持ちになったものだ、と。
それと同じ、いや、それ以上に梓豪から褒められて、朱亞の心はなぜかむず痒くなった。
「では、まずは陛下の部屋に行きましょうか」
梓豪はくるりと背を向けて歩きだす。今朝と同じように桜綾と朱亞が後ろに続いた。宿泊客からの視線は相変わらず桜綾が集めているが、着替え終えた朱亞もまた周囲の注目を集めている。
注目を浴びることに慣れてはいない。しかし、朱亞は凛と背筋を伸ばして歩いていく。
これから後宮に入り、桜綾の侍女として働くのだ。彼女に見合う人にならなくては、と決意を胸に秘め、しっかりと顔を上げて前を見据えた。
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