後宮へ 2話

 そこからはとても急激だった。


 飛龍フェイロンが待つ部屋まで行くと、すでに荷物をまとめてあり馬車に乗るだけという状態で、梓豪ズーハオを見た彼は「それじゃあ行くか」とホムラを手にして部屋から出ていく。


 飛龍の歩幅は大きいのか、朱亞シュアは早足で追いかける。それに気付いた梓豪が少し速度を落とし、桜綾ヨウリンの位置と入れ替えた。


「陛下に合わせなくて、良いのですよ」

「え、でも、遅れては迷惑では……?」

「どうせ、ですから」


 梓豪はどこか呆れたように息を吐き、朱亞にだけ聞こえるように話を続けた。前を歩くふたりは、迷うことのない足取りで進んでいく。


「どういうことですか?」

「『絶世の美女』である桜綾さんを、わざわざ陛下自ら探して貴妃きひにするというのは、庶民にとってとても刺激的な話題になるでしょう?」


 確かに朱亞がそのことを最初に聞いたとき、あの女性は興味深そうにしていた。小さく首を縦に動かして、彼の言葉を待つ。


「民は陛下が望んだ『絶世の美女』がどんな人なのか気になるでしょう。そこに桜綾さんが花嫁衣裳を着て陛下の後ろを歩いている。明日にはもういろいろな噂が立つでしょうね」


 淡々とした口調で説明され、朱亞は梓豪を見上げた。


「民の意識を桜綾さんに集中させ、彼女の存在を後宮で確立させるため……でしょうか?」


 考えを巡らせながら口にすると、彼はふっと表情を緩めて「その通りです」とその言葉を肯定する。


 朱亞が自分の胸元に手を置いて、ほっと息を吐く。見当違いのことを考えていたわけではないと安堵したのだ。


「まぁ、王宮に戻ったらいろいろ忙しくなるでしょうけれどね」

「え?」

「仕事が山のように溜まっているでしょうから」

「……もしかして、梓豪さんも?」


 遠い目で飛龍の後頭部を睨むように視線を鋭くさせる梓豪に、朱亞はおそるおそるたずねた。彼はちらりと朱亞に視線を移し、重々しく首を縦に動かす。


 いったいどれくらいの量が溜まっているのだろうか。朱亞にはよくわかなかった。だが、これから梓豪たちが苦労するのだと思うと身体が勝手に動いた。


「あの、お身体に気をつけて、がんばってくださいね」


 励ますように彼の腕にぽんと触れて、心からの労りの言葉をかける。


 梓豪は目を数回ぱちぱちとさせて、眉を下げると微笑みを浮かべた。


「ええ、朱亞さんも後宮でいろいろあると思いますが、がんばってくださいね」

「はい!」


 後宮ではどんなことが起こるのだろうか、と朱亞は真っ直ぐに前を見つめて、これからのことに思いを馳せる。


 梓豪と話している間に宿屋の外に出て、すでに用意された馬車に乗り込んだ。


 まるで『偉い人が乗っています』と主張するように派手な馬車だったが、乗りやすいように工夫されているようで、座るところがふわふわとしている。


「――それで、どう動くおつもりですか?」


 全員が馬車に乗り込み、走り出す馬車の中で沈黙の時間が少しだけ続いた。


 その沈黙を破ったのは梓豪で、飛龍と桜綾を交互に見てから問いかける。


「王宮にたぬきがいるだろ?」

「え? たぬきが?」

「朱亞さん、恐らくその想像とは違う狸ですよ」


 朱亞の隣に座る梓豪が、ゆっくりと首を左右に振る。彼女が想像していたのは、山で暮らしている野生のたぬきだったので、目を丸くした。


 その様子に桜綾が口元を手で覆い、くすくすと可憐な笑い声を上げる。


「朱亞は本当に、良い村で育ったのね」

「どういう意味ですか?」

「朱亞。王宮にいる狸というのは、裏で余を操ろうとする悪い奴のことだ」


 飛龍も肩を震わせて笑っていたが、すぐに気を取り直して彼女に視線を向けて軽い口調で話す。あまりにも軽い口調だったので、朱亞は飛龍があまり困っているようには見えなかった。むしろ、この、口を閉ざす。


「驚くことに、その商家にも関係があったのよ」

「そうだったのですか?」

「ええ。数年前にわたくしをめとろうとした五十代くらいの方なの」


 目元を細めて微笑んでいるが、なぜか桜綾の後ろに怒りの炎が見えた気がして、朱亞は首をかしげた。


「その方は独身だったのですか?」

「まさか! お孫さんまでいらっしゃる方よ。断ったら、胡商会の悪い噂を流して、一時期大変だったのよね」


 過去を思い出し、ふつふつと燃え上がる怒りに耐えているのか、ぐっと拳を強く握り込む。


「ええと、なぜ桜綾さんを?」

「それはもうひとつしかないだろう。『絶世の美女』だからだ」


 朱亞はいまいち理解できずに、助けを求めるように梓豪を見た。彼は飛龍に視線を移し、小さく首を縦に動かすのを見て、申し訳なさそうに眉を下げた。


「美しい女性というのは、それだけで価値があるのです。女性そのものが『財産』になるので」

「財産? 人間が?」


 きょとりと目を丸くする朱亞に、重々しく梓豪がうなずく。


「古い考え方ですが、なかなか頑固な人が多いのです」

「――それはまた、変な考え方ですね」


 眉根を寄せて唇を尖らせる朱亞。人を『所有物』扱いしたい人の気持ちがわからず、息を吐いた。


「ばっさり言ってくれると、余の考えは間違いではないと思えるよ」

「皇帝陛下はどうお考えなのですか?」


 問われた飛龍は、朱亞と桜綾を交互に視線を巡らせ、にぃと口角を上げる。


「知っているか? 余は皇帝だぞ。この国すべての父である」

「……あ、はい。なんとなく理解しました」

「なんだつまらん」


 と、言いつつも満更ではなさそうに笑う飛龍に、なぜか祖父の顔が重なった。昔、祖父も彼と似た表情を朱亞に見せたことがある。それはいつだったか、思い出せない。


「――陛下は国民を、愛しておられるのでしょう?」

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