後宮へ 3話

 飛龍フェイロンは目を大きく見開き、うつむいた。額を手に置き、肩を震わせている。


「陛下?」


 怪訝そうに桜綾ヨウリンが彼を見た。


 くつくつと喉奥で笑いだしたのを見て、朱亞シュアは戸惑ったように瞳を揺らし、梓豪ズーハオは肩をすくめている。


「なるほど。朱亞、そなたは本当に愛されて暮らしていたのだな」

「そうですね、否定はしません」


 あの村の人たちは優しかった。山奥で暮らしていたからか、協力し合いながら生活するのが当たり前で、人は助け合って生きていくものだと祖父から教わった。


「みなさんは、違うのですか?」


 小首をかしげる朱亞に、三人はそれぞれ目配りをした。過去を思い返すように目を伏せる姿を見て、自分はなにか変なことを言ったのだろうかと、慌てたようにあたふたと意味もなく手を動かす。


「わたくしは愛されていたわ。それははっきりと言える」


 自身の胸に手を当て、自信満々に言葉をこぼす。その答えに、朱亞はほっとしたような表情を浮かべた。


「余も愛されているぞ? それと同じくらい、憎まれてもいるだろうがな」

「えっ?」

「王宮とはそういうとこだ。なぁ、梓豪?」

「……そうですね」


 梓豪は飛龍の言葉に同意するようにうなずいた。桜綾と朱亞はじっと飛龍を見つめ、次の言葉を待つ。……が、彼はそれ以上なにも言わずに黙り込む。


「王宮にはいろいろな人がいますから。後宮にも、ですが」

たぬきが送り込んだ者が後宮にいる。恐らく、その者はそなたたちにきつく当たるだろう」


 飛龍が淡々とした口調で言葉を紡いでいく。馬車の窓から外を眺めると、子どもたちが興奮したように大きく手を振っているのを見て、愛嬌よく手を振り返した。


「わたくしたち、泣き寝入りはしませんわよ?」

「それでいい。いや、それがいい」

「おふたりに、監視してほしいということですか?」

「いや、監視というわけではない。ただ、動向を探ってほしいだけだ。……まぁ、魂胆はわかりきっているが」


 ゆっくりと息を吐く飛龍に、梓豪は眉間を揉むようにつまみ、目を閉じる。


「魂胆?」

「ああ。余を引きずりおろそうという輩がな」

「……王宮って、いろいろ大変なところだったんですね」

「どんなところだと思っていたんだ?」


 興味深そうに朱亞を見る飛龍に、彼女は自分がどんな風に想像していたかを素直に口にした。


「金色に輝いていて、豪華な料理を食べて、綺麗な女性を侍らせて、贅沢三昧をしている――のだと思っていました」

「まぁ、一部は間違っていない。贅沢三昧、か。それに見合うことを、余はしているぞ?」

「……そうですよね」


 馬車の窓から見える民の表情は明るい。


 心からの笑みを浮かべている人々を見て、飛龍の治世は素晴らしいものだと感じた。そして、それに見合う待遇を受けていることもわかる。


 着ているもの、食べるもの、使うもの、そして周りに人たち。


「その中でも梓豪はいい拾いものだったな」

「拾いもの?」


 飛龍は大きくうなずく。梓豪に視線が集まり、彼は蒲公英たんぽぽ色の瞳で三人を見つめた。


「わたしの目、黄色いでしょう? 両親からも気味悪いと言われましてね。妖怪の目やら悪魔のめやらと怖がられていました。……そんなとき、陛下が『いらないならくれ』、と」


 桜綾は口をぽかんと開けた。はっとして扇子を開き、口元を隠す。朱亞は複雑そうに表情を歪める。


 しんと静まり返った沈黙の中、飛龍が口を開いた。


「そういうわけで、梓豪は余の『拾いもの』になったわけだ」

「……えっと、瞳が黄色いと、なぜそんなことに……?」

「自分の周りにいないからだろう。人とはそういうものだ」


 ひらひらと飛龍が軽く手を振る。梓豪が小さくため息を吐き、一度両手を叩く。


「ほら、変な雰囲気になったでしょう。わたしのことを話すとこうなるから嫌なんですよ」

「まぁ、そういうな、梓豪。お前にだってしっかりとした地位を与えだろう?」


 くつくつと笑う飛龍に、呆れたように肩をすくめる梓豪。そんなふたりを見て、朱亞と桜綾は顔を見合わせた。


「とりあえず、おふたりの仲がよろしいことはわかりましたわ」

「仲が良いように見えるか?」

「……梓豪さんが苦労人だということは、わかります」


 朱亞には想像ができない世界で、梓豪は生きていたのだろう。血の繋がりがなくとも、朱亞はあの村で愛され、大切に育てられていた。大事にされていたという実感がある。


「だいぶ慣れました」


 ふっと目元を細める梓豪を見て、朱亞は労わるようにぽんぽんと彼の肩を叩いた。


 あの村で暮らしているだけではわからなかった、世の中にはいろいろな事情を背負い、生きている人がいるということを。


「――同情したか?」


 飛龍の問いかける声は、まるで氷のように冷たかった。だが、朱亞は真っ直ぐに彼を見つめて、首を左右に振った。


「いいえ、しません。それは梓豪さんに失礼です」


 きっぱりと言い切った朱亞に、飛龍はにんまりと口角を上げる。


「やはり少し――いや、かなり変わった娘だ」

「朱亞を試すような問いかけ、やめていただけませんか?」


 桜綾がじろりと睨むように飛龍を見る。彼はそのことを気にせずに、言葉を返す。


「王宮にいないたぐいの者だからな。純真無垢というのは、本当に珍しい」


 飛龍は目を閉じて、それ以上はなにも言わなかった。


(――本人の性格か、それとも――


 どちらにせよ、桜綾と朱亞が後宮に入ることで、あの場所は少し騒がしくなるだろう。


 そう考え、飛龍はこれから先のことを思い、ほんの少しだけ、表情を綻ばせた。


 そして、誰も口を閉ざしたまま、馬車は目的地へ向かう。

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