始まりの日 2話
「急いで着替えるわ。手伝って、朱亞」
「もちろんです」
桜綾の指示に従い、彼女の服を取りだす。群青色に染められた服を渡すと、素早く着替えた。髪を整え、化粧をするまでに三十分もかかっていない。その間に朱亞は寝台を整え、床に置かれた服を丁寧にたたみ、寝台の上に置く。
そうしている間に、桜綾の準備ができたようで、朱亞に声をかけた。
「扉を開けてくれる?」
「はい」
扉に近付き、朱亞はそっと開いた。ずっと待ってくれていた
朝食を置いてから桜綾の前に
「お初にお目にかかります。
「ご、護衛!?」
思わず、というように朱亞が大きな声をだした。静かな室内に自分の声が響き、さっと片手で口元を押さえる。
「なぜ、燗流さんから?」
目を丸くして蘭玲を見つめる桜綾。蘭玲は顔を上げて真摯なまなざしで見つめ返し、口を開いた。
「宦官が護衛につくよりは、同じ女性である私が護衛についたほうが陛下も安心なさるだろう、と」
「そう。……あなた、強いの?」
「私の実力は燗流さまに認めていただいております。とはいえ、そう簡単に信じられないとも思います」
困ったように眉を下げる蘭玲に、桜綾は頬に手を添えゆっくりと息を吐く。
「そうね、いろいろあったから。……とりあえず、朝食をいただきましょうか。あなたも一緒にね」
「え?」
「一緒に食べましょう、と言いました。良いわよね、朱亞」
「はい、もちろん!」
桜綾の一声で、一緒に朝食を摂ることになり、蘭玲は戸惑ったようにふたりを見る。朱亞も桜綾も早速とばかりに蘭玲が持ってきた朝食を口に入れ始め、彼女はますます混乱したようだ。
「あの、信用していない人が持ってきた食事を口にして、良いですか?」
いたたまれなくなったのか、蘭玲がおずおずと尋ねる。朱亞は首をかしげて、
「美味しいですよ?」
と答えた。その言葉があまりにも意外だったのか、蘭玲は朱亞を見つめた。その様子を見ていた桜綾がくすくすと笑いながら食べている。
よく噛んで飲み込んでから、桜綾が口を開く。
「あなたも食べて毒なんて入ってないのでしょう?」
「それはまぁ、そうなのですが……」
桜綾に勧められて、蘭玲も自分が持ってきた朝食を口にする。三人で分け合って食べても、充分満腹になるくらいの量だった。
「そうだ、蘭玲さん。
朱亞の問いに蘭玲はどこか納得したように小さく首を動かしてから、「後宮を案内しましょうか」と微笑んで提案すると、朱亞は目をぱちぱちとさせてからぱぁっと表情を明るくする。
「良いのですか?」
「ええ。場所がわからないと不便でしょう?」
肯定するように何度もうなずく朱亞を見て、桜綾がぽんと彼女の肩に手を置き、蘭玲に視線を向けた。
「わたくしも行くわ。今日は昨日より歩けそうな気がするの」
「では、蘭玲さんにいろいろ教えていただきましょう!」
わくわくと目を輝かせる朱亞に、桜綾が彼女の頭を撫でた。そんな二人の姿を見て、蘭玲は目元を細めて笑みを浮かべる。
「どうしました?」
「いえ、仲が良いのが微笑ましくて」
「といっても、わたくしと朱亞が出会ってからそんなに経っていないのよ」
「出会った日は、昨日のように思い出せますけどね」
懐かしむように天井を見上げる朱亞。びしょ濡れになった桜綾が山小屋にこなければ、こうして彼女の侍女になることもなかっただろう。
「そうね。……
ぶるりと身体を震わせ、自分を抱きしめるように二の腕を強く掴む桜綾に、朱亞は彼女の背中を撫でた。
「狍鴞? 狍鴞から……逃げられたのですか?」
「逃げられたというか、陛下がばっさり斬ってくださいました」
当時の状況を説明すると、蘭玲は「ああ」と納得したように言葉をこぼす。
「陛下が助けてくださったのですね。……ということは、
「間近……まぁ、そうなりますかね?」
「羨ましい。あの剣、本当に綺麗ですよね」
うっとりと頬を赤く染めてつぶやく蘭玲に、朱亞は軽く頬を掻く。剣に興味がないので、そこまでじっくりとは見ていなかった。
「蘭玲さんは剣が好きなのですか?」
「剣、というよりも武具ですね。焔は宝剣ですから、他の剣を比べると輝きが違うのですよ」
「以前、見たことが?」
桜綾が問いかけると、蘭玲は眉を下げてうなずく。
「遠目に少しだけ。それでもあの輝きですから、きっと間近で見たらもっと美しいのだろうな、と」
桜綾と朱亞は視線を交えて、飛龍が持っていた焔を思い浮かべた。
「あの、護衛ということは、武器を持っているのですか?」
どこにも武器を持っているようには思えず、朱亞は不思議そうに彼女を見る。
「ええ、持っていますよ」
「そんな風には見えないのですが……?」
蘭玲はそっと口の近くに人差し指を立て、
「どこに隠しているかは、秘密ですわ」
なんて茶目っ気たっぷりに片目を閉じるのを見て、朱亞はどこに隠しているんだろう? とじぃっと彼女を凝視した。
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