始まりの日 3話

 どこに武器を隠し持っているのか、朱亞シュアは興味を隠さずに蘭玲ランレイを眺める。


 だが、さっぱりとわからなかった。


「とりあえず、案内をお願いするわ」

「はい、貴妃きひ


 蘭玲は朝食が乗っていた托盘トレーを持って立ち上がる。


 朱亞が「手伝います」と挙手したが、蘭玲は首を横に振った。


「まずは、厨まで案内しますね」

「あ、少し待ってください」


 朱亞ははっとしたように顔を上げて、ぱたぱたと自室に向かい自分の荷物を持って戻った。鞄を手にしている朱亞を見て、蘭玲は首をかしげる。


 桜綾ヨウリンは朱亞が荷物を持ってきたことに目を丸くして、それから「ふふ」と口元に手を添えて笑った。


「待たせしました。案内、よろしくお願いいたします」


 丁寧に頭を下げる朱亞に、蘭玲は「では、行きましょう」と歩きだす。


「後宮はどのくらいまで歩きましたか?」

「月桂樹のあるところまで行きました。若葉って摘んでいないのですか?」

「月桂樹の? どうでしょう……?」


 その問いが意外だったのか、蘭玲は小首をかしげつつ答える。そして、しばらく歩き厨房にたどりついた。


「ここがくりやです。……えっと、なにをしているの?」


 そこはがやがやと賑やかな場所だった。中に入り辺りを見渡してから朱亞は鞄をがさごそして目的のものを手にしていると、托盘を置いた蘭玲がぎょっとしたように目を見開く。


「あ、ちょっと作りたいものがありまして」


 朱亞は赤黄色栝楼カロウを数個取りだす。厨房で働いている人に声をかけて、「隅のほうでやるなら」と許可を得てからさっそく取りかかった。


 すり鉢に栝楼を入れてすり潰し、すり潰した栝楼の汁を土鍋に移し、同量の白いはちみつと砂糖を少々加えて満足するまで土鍋で煮る。甘い香りに、厨房の人たちが「なにを作っているんだい?」と朱亞の近くに集まる。


清熱止咳膏セイネツシガイコウです。咳が頻繁で、熱が下がっても空咳が出て、痰が出にくい人に効くんですよ」

「へえ。……うん? 別の場合があるのかい?」

「黄色く粘って出しにくい痰には、去痰茶キョタンチャがお勧めです。青色で柔らかい栝楼と竹瀝、白いはちみつで作ります」

「ほー、お嬢ちゃん、詳しんだねぇ」

「祖父が教えてくれました!」


 笑顔で答える朱亞に、厨房にいた人たちは表情を緩めて彼女の言葉に耳をかたむけた。


 祖父から教わったことを丁寧に教える姿を見て、桜綾はすっと蘭玲に視線を移す。


「少し、良いかしら?」

「は、はい」


 厨房から出ていく桜綾と蘭玲の姿が朱亞の視界に入ったが、桜綾が朱亞に向けて片目を閉じる。まるで「心配しないで」と伝えるようだった。だからこそ朱亞は、首を縦に動かして祖父から教わったことを厨房の人たちに話すことを再開した。


 どんな会話になったかは、あとできっと桜綾が教えてくれるだろうと思いながら。


「そう、朱亞ちゃんっていうの」

「はい。昨日きたばかりなんです」


 そしてそのうちに、朱亞のところにわらわらと集まってきた厨房で働いている人たちが、椅子を持ってきて朱亞を座らせる。


 気付けば雑談が始まり、朱亞はおやつまでもらっていた。胡麻団子と熱いお茶をいただきながら、これまでの経緯を簡単に説明すると同情のまなざしを向けられた。


「唯一の家族を亡くして旅立ったのかい……」

「それは大変だったね……」


 ほろりと涙を流す女性を見て、朱亞は勢いよく両手を振る。


「でも、旅をしたおかげで、こうしてみなさんに会えました」

「出会ってまだ一時間も経ってないよ」

「はい。それでも人の出会いは縁ですから。縁がない人にはそもそも出会わないと祖父から教わりました。なので、みなさんと出会えたのも『縁』だと思います」


 朱亞は少し照れたように頬を赤く染めて、照れ隠しのように胡麻団子を食べる。香ばしい胡麻の香りが鼻を抜けていく。程よくもちもちの団子の部分と、ほんのり甘い餡子が口の中で調和されて美味しい。


「甘さがちょうど良いです!」

「だろう? うちの胡麻団子は人気なんだよ」


 昨日、朱亞に掃除道具の場所を教えてくれた女性が、自信満々に胸を張っていた。


「あ、昨日の。厨で働いている方だったのですね」

「ああ。掃除は捗ったかい?」

「おかげさまで! 助かりました」


 改めてお礼を伝えると、女性は「そんなにかしこまらなくて良いって」と手を軽く振る。


 おやつをいただいている間に、桜綾と蘭玲の話が終わったようで、厨房に戻ってきた。椅子に座り中年の女性たちに囲まれている姿を見て、桜綾はふっと表情を緩めた。すっかり厨房で働く人たちと仲良くなっている、と。


 帝都につくまでの道中もそうだった。朱亞と話している人たちは、気付けば彼女のことを可愛がっていて、別れを惜しむこともいわれていた。そのことを思い返しながら、桜綾は彼女に近付く。


「胡貴妃!」


 桜綾に気付いて、朱亞がぱっと表情を明るくさせる。


 そして、その言葉で飛龍フェイロンが迎えにいった『絶世の美女』だと全員が気付いた。


「初めまして、みなさま。胡桜綾と申します。以後、お見知りおきを」


 にこりと微笑む桜綾。眩しそうに目元を細める女性たち。そんな彼女たちを見て、朱亞はその光景を眺めて微笑んだ。彼女の美貌を間近で見たら、そういう反応になるだろうと考え、すっかり飲み頃になったお茶を一気に飲み干す。


「お話は終わったのですか?」

「ええ。美味しい朝食をありがとうございました。これからもよろしくお願いいしますね」


 桜綾は朱亞に手を差し伸べる。その手を取るように朱亞は椅子から立ち上がり、女性に「ごちそうさまでした!」と笑顔で一礼してから、桜綾の手をしっかりと握った。

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