絶世の美女の侍女になりました。

秋月一花

1章:出会い

朱亞の旅立ち

 ――山奥に、小さな村がある。


 住んでいる村の人数は少ないが、互いに支え合って生きてきた。畑で野菜が採れたらお裾分けをし、魚を釣ったら一緒に料理をし、山で自生している山菜を採っては、あく抜きを手伝う。そんな自足自給の村で育ったひとりの少女が村の門の前で立っていた。


「本当に村から旅立つのかい? 朱亞シュア


 村長が心配そうに眉を下げて問いかけたのは、小柄な少女だった。


 朱亞と呼ばれた少女は肩まで伸び翡翠カワセミのような翠色の髪をひとつに結び、若緑色の大きな瞳をらんらんと輝かせながらうなずく。


「もちろんよ! おじいちゃんも、亡くなる前に好きにしなさいって言ってくれたから……」


 懐かしむように目元を細める彼女に、村長は「そうか」とつぶやいて、すっと旅立つ少女に荷物を渡した。それなりに重さのある荷物を受け取ると、朱亞は目をぱちぱちとさせた。


餞別せんべつだ。……それにしても、みんなに挨拶しなくて良いのか?」


 村長は腰に手を添えて微笑む。問われたことにはちらりと村を見て、ゆっくりと首を縦に動かす。


「だって、会えば揺らいじゃうから。昨日、あんなにお別れ会をしてくれたのに、やっぱり残る! なんて格好がつかないでしょう?」


 昨夜の送別会の様子を思い出し、朱亞は軽く頬を掻く。そして、荷物をしっかりと背負い、村長に明るい表情を見せて大きく手を振った。


「餞別ありがとう、村長さん! それじゃあ、行ってきます!」

に気をつけるんだよー!」

「はーい!」


 こうして朱亞は、十三年間過ごしていた村から旅立った。


 山奥の村から、別の村へと――……。


 旅立って数日は、平穏そのものだった。村長の餞別の中に入っていた地図を見ながら、迷うことなく歩く。


 とはいえ、十三歳の少女の足。疲れては休憩を繰り返し、荷物から食料を取り出して口にし、時には山に自生している山菜を採る。だが、山菜はこのまま食べるわけにはいかないので、地図をじっと見つめて村へ売りに行った。


 そこで物々交換をしたり、一泊させてもらったりと、初めての一人旅にしてはかなり順調に進んでいる。


「一人旅をしていて、大丈夫なの?」


 そう心配してくれる人もいた。外のものとうのではないかと。


「今のところ、まだ外のものには遭っていませんし、野宿にも慣れてきました! そして、お布団のありがたさにも気付きました……」


 しみじみと……そして、あまりにも愛おしそうに布団を撫でる朱亞を見て、彼女の肩にぽんと手を置いたのは、山菜を買い家に泊めてくれた女性だ。


「……ところで、朱亞ちゃんの目的地はどこなんだい?」

「そういえば……考えていませんでしたね。ただ、村から出てどんな世界が広がっているのか見たかったから、ある意味ここも目的地かもしれません」


 女性に問われて、朱亞は目を伏せて顎に手をかけ、「うーん」と考える。すると、女性は目を丸くして「なるほどねぇ」とつぶやき、ふとなにかを思い出したのか「あっ!」と声を上げた。


「それなら、もっと大きな街に行ってみてはどうだい? 田舎じゃ見られないことも多いだろうし、ここら辺よりは安全だろうしね」


 朱亞のことを心配してくれているのだろう。少しの間考えるように黙り込み、それから目を開けてぱっと顔を上げ女性に笑みを見せる。


「そうですね、大きな街には行ったことがありませんし、興味があります」

「道は知っているのかい?」

「一応、村長が地図を持たせてくれましたけれど……」


 ごそごそと地図を取り出して広げて見せると、女性は目を大きく見開いた。


「こりゃずいぶんと古い地図だねぇ。ちょっと待っとくれ」


 ぱたぱたと足音を立てて、家の中から地図を持ってきた。朱亞の持っている地図と見比べ、「この地図でよく辿りつけたねぇ」と感心したようにつぶやく。自分が持っているのはそんなに古い地図だったのかしら? と交互に地図を見るのを見て、女性は眉を下げて地図を広げる。


「ここがこの村。で、ここからなら……ここが一番賑わっている街よ」


 女性はすっと人差し指で現在地を指し、つつ、と指を動かす。この村よりも南にあるようで、朱亞は「南?」と首をかしげた。


 東に行けば帝都があるのに、なぜ南に? と。その疑問は彼女の顔に出ていたようで、女性はにんまりと口元に弧を描く。


「この街はね、皇帝陛下が訪れる予定なのよ」

「……皇帝陛下が?」


 田舎に住んでいるとあまり耳にしない……したとしても、すでに行事が終わっていることが多い『皇帝陛下』という言葉に、朱亞は目を丸くした。


「そう! なんでも絶世の美女が住んでいるらしいのよ。陛下自ら求婚しに行くって噂が流れているの! もしかしたら、その様子を見られるかもしれないよ?」

「わざわざ陛下が求婚しに? うーん、絶世の美女は見てみたい気はしますが、陛下が求婚するところはあまり興味ありませんね」


 住んでいた村で一番の美人と言われていた女性の姿を思い浮かべ、その人よりもきれいなのかしら? と考えながらも、誰かが誰かに求婚する場面を見たいかと聞かれたら、答えは『いいえ』だった。


「朱亞ちゃんにはまだ早いかしらね? でも、もう十三歳なのでしょう?」

「私、ずーっとおじいちゃんと暮らしていたので、そういう話はあんまり聞いてなかったんですよね。たぶん、村に暮らしていたら、村長が結婚相手を見つけてくれたと思います」


 周りにはなにもなかったが、静かで平和な村だった。一緒に暮らしていた祖父の顔を思い出し、懐かしむように目を細める。


「村の人たちは良い人だったのね」

「はい。とはいえ、若い人はあまりいませんでしたけど」


 子どもは数人しかいなかった。きっと、あのまま住んでいたら、そのうちのひとりと結婚していただろうと想像し、肩をすくめた。


「そっか、どこの村も似たようなもんだねぇ」


 ぽんぽんと朱亞の頭を撫でる女性に、彼女はくすぐったそうに表情を綻ばせる。


「それじゃあ、大きな街に行ったら、人の多さに驚くかもねぇ」

「お姉さんは、行ったことありますか?」

「あるよ、一度だけね。いやぁ、すごかったとしか言えないから、朱亞ちゃんにも体験してもらいたいわぁ」

「じゃあ、その街に行ってみます。目的地ができると、一気にわくわく感が増しますね!」

「ははは、そりゃあ良かった!」


 女性は白い歯を見せて豪快に笑い、それから朱亞のために保存食を作り、渡してくれた。


「こんなに良いのですか?」

「ああ。朱亞ちゃんのおかげで楽しい時間を過ごせたからね。ほんのお礼さ。外のものに気をつけてね」

「ありがとうございます、お姉さん。お腹が空いたらいただきますね」


 保存食をしっかりと鞄の中に入れて、朱亞は頭を下げる。出会う人たちが親切で優しいな、と心の中を温かくさせてから、女性の家を出て歩きだす。


 目的地は、南の街――銀波ぎんぱ

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